<外国産>
1.マーチン 
CF. Martin

 別に外国製のギターにコンプレックスがあるわけではないのですが、なぜか今までの私のギター人生では、外国製ギターは重要なポジションにつきませんでした。現在所有しているギターの中で、外国製はバグズギア一本のみです。
 
 過去、私はいくつかの外国産ギターを購入しています。マーチンの他にもギルドモスマンなどを購入しましたが、なぜか私の愛器として定着することはありませんでした。やはり私は「ギター国粋主義者」なのでしょうか。そもそも、私はそんなによいギターを探し当てる耳がないようです。
 話は変わりますが、私は味覚もそんなに鋭くないようです。料理もレバーとネギ以外はえり好み無く、比較的まずいものでもうまそうに食べているらしく、母親にたいそう喜ばれていました。食は全ての人間の基本ですから、私は「そこそこに食べられればいいじゃん」という感じで生きてきた、いい加減な男なのかも知れません。まあ、味にこだわりすぎて煙たがられるよりはいいかなあ。振り返って考えれば、ギターの音も、こだわろうと思えば果てしない点では、料理の味と大差ないのかも知れません。
 

M−38(1979年製、#410290)(現在無し)

表面板:スプルース単板
側板・背面板:ローズウッド単板
指板:ローズウッド
ネック:マホガニー(一本)
 
使用アルバム:「海猫飛翔曲
 
 Mタイプのギターというところがとってもマニアック(一時期「OOOO」という型番になっていましたが、近年は元のMという型番で復活しています)。私には、どうもこのMタイプの存在意義はよくわかりませんでした。Fタイプのボディーシェイプの再現など、その成り立ちはわかるのですが、それでもトリプルオーやOMと差別化されている意義がよくわからないのでした。
 
 このギター、実は知り合いから譲り受けたものでした。音は最高によく、安定感のある野太い音。さすがマーチンで、私がこの後いろんなギターと出会っていく際も、外国産ギターの基準としての役割を果たしてきました。このギターが縁で、まだ会社員時代、昔のマーチンクラブの会報で自分のことを紹介していただいたこともあります。そこで初めて私のことを見知っていただいた方が多かったことを後になって知り、つくづく人の世の縁を感じるのでした。
 
 実は一度だけ本州ツアーに持っていったことがあります(2000年、トム・ロングさん・打田さんとのジョイント)。その際は、私のラグタイム・ギター・スタイルだと中低音の生々しいボリュームがありすぎて、どの会場でもイコライジングが必要だったようです。ギターとしての底力を示すその生々しい鳴り方は、良くも悪くもマーチンらしいものだったと思います。
 たまたまという事もあるが、今までCD『海猫飛翔曲』の数曲の録音に使用した他は、どうにも出番がありませんでした。私は、当時の録音でもライブでもヤマハのネックの握りで弾き慣れてしまっていて、このギターはそれに比べると指板が平べったくて、弾きづらいというのが正直なところでした。Mタイプのギターの仕様なので、これは慣れということもあります。実際、2007年に入手した、Mとほとんど同じ仕様を持つモラレスBM−100は、すでに私の弾き慣れたギターになっています。
 
 音の良さは折り紙付きなので、機会があればまた使いたいと思いつつ、私の怠惰のせいか、図らずも年月が経過してしまいました。
 2008年、久しぶりにチェックしてみると、多少リペアが必要になっていました。それに気づいたとき、私は自分の持ち歌である「ギター残酷物語」(CD『私の小樽』収録)を自ら思い出して反省すると共に、これ以上自分の中での立ち位置が決まらないまま無駄に保有しているより、このギターを必要としてくれて有効に使ってくれる人にお譲りした方がいいと思うようになりました。
 そして、信頼できるお店できちんとリペアをしていただき、残念でしたがついに手放したのでした。
 ギターは弾かれてこそ華ですから、せめて次のオーナーが大事にしてくれることを願っています。
 
 手放す直前、札幌の楽天舎で撮った写真をここに置きます。
 
 
 
 

D−18ST(1979年製、#410324)(現在無し)

表面板:スプルース単板
側板・背面板:マホガニー単板
指板:ローズウッド
ネック:マホガニー(一本)
その他:サンバースト仕様
 
使用アルバム:「最後のペンギン
 
 大学1〜2年の頃(?)、小樽市の老舗の楽器店で購入した、生涯二台目のギターです。それまでがヤマハのFG−250だったので、大幅なグレードアップでした。もちろん私も出資しましたが、むしろ親から多大な支援をいただいて「買ってもらった」唯一のギターでした。「初心者だからこそ、いいギターを持たないと上達しないよ」と、楽器店おきまりの誘い文句に乗った形でしたが、当時はやっとバレーコードができるようになったくらいの腕前で、「豚に真珠」状態だったのは否めません。
 
 このD−18STは、当時は派手な印象を極力排除していたマーチンにしては珍しい、サンバースト仕様のギター(ただし、後からペイントした可能性あり)で、今思い返してもよいギターだったと思います。特にコードの鳴りが抜群によかったと記憶しています。以前の持ち主がピエゾ・ピックアップを付けていて、学生時代はそのありがたみがわかりませんでしたが、今考えれば実に使えるギターでした。
 いつまでも「豚に真珠」ではくやしいので、私はこのギターで、大学時代にかけて練習しまくりました。現在の自分の基本的なプレイ・スタイルは、このギターによって創られたものだと思います。大学時代最後の学園祭(緑丘祭)でのサークル演奏で、3日間ぶっ続けでこのギターを弾きまくったのは、青春の良き思い出です(当時の録音テープが残っていて、オリジナル1曲をのぞいて全て他人の曲だったのも時代を感じます)。
 
 ただ、フィンガースタイルで弾くのにドレッド・ノートのギターは似合わないのでは、という誤った先入観が当時の私にはありました。というのも、京都の通販店「プー横町」から紹介されるフィンガースタイル・ギタリストで、Dタイプのギターを使う人など、マイケル・ヘッジズ以外ほとんどいなかったので、そういうイメージにも影響されていたと思います。私も昔は、外見でものを考える浅はかなところがあったのでしょう。
 その後、神戸であのフィールズを買ってしまったため、メイン・ギターの座はそちらに移行し、とうとう会社員時代に、別のギターを手に入れるため下取りに出してしまいました。これは、今考えれば、実にもったいなかった...。
 
(写真は、まだ大学生、22歳の頃、今は無き札幌「キツネハウス」でのライブ。右側にフィールズも見える。)

D−18(1952年製、#124085)

表面板:スプルース単板
側板・背面板:マホガニー単板
指板:ローズウッド
ネック:マホガニー(一本)
 
使用アルバム:なし
 
 2015年の暮れに、とあるライブ会場にて弾かせていただく機会のあったマーチンD-18のヴィンテージギター(プリウォー)の響きは、私の今までの価値観(ローズウッド好き、国産ギター信奉)を完全に吹き飛ばす、筆舌に尽くしがたい素晴らしい音でした。音楽仲間の健さんも「浜田くんもこういうギターを買いなよ」と勧めるのです。自分のハンマーダルシマーを唯一無二の楽器としてとても大事にしている健さんのアドバイスは説得力があり、私の心に強く響いたのです(プリウォーマーチンは値段が天井知らずなので、流石に無理ですが…)。

私も気がついたら51歳、そろそろこの辺で意固地な考えをやめて、どんな制限も取り払い、誰から見ても恥ずかしくない最高のギターで自分の音楽を試してみたいと思うようになり、今年(2016年)の目標として一生モノのギターを手に入れることにしたのでした。

その後、いろんなギターを弾く機会を少しずつ作り、おそらくこの人生で初めて、値段の制限を全く考えずに、どんなギターがいいのかいろいろ検討しました。悩みまくりましたが、なんとその結果、以前弾かせてもらった伊藤賢一くんの持っているD-18(1952)を譲っていただくことになったのでした。
このギターは、8/6に伊藤くんのギター教室内で行われたライブの際に弾かせてもらい、その素晴らしい響きにやはり魅了されていたのです。いろいろあってこんなことになりましたが、伊藤くんには改めて、心から感謝したいと思います。

思えば、私が大学時代に購入したギターがマーチンのD-18ST(サンバースト)でした。私のギターの基本的なスタイルを育てたのはD-18だったとも言えるでしょう。年代は全く違いますが、そのD-18を一生のギターとして再び選んだのは、何か不思議な因縁を感じます。
これからライブや録音でバリバリ使っていきたいと思います。どうぞよろしく(^-^)/!

 

"Fruit of the Yew" (by Martin D-18)

"Ragtime Seagull" (by Martin D-18)

 

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