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★ バック・ホーム・アゲイン Back Home Again/ジョン・デンバー John Denver(ビクター RCA-6239、1974年)

 アルバム紹介の最初にこんな事を書くのは気が引けるのですが、私にとって1997年から1998年にかけては、本当につらい時期でした。1997年に大ファンだったジョン・デンバーやマイケル・ヘッジズが相次いで不慮の事故で亡くなり、翌年にはなんと自分の父まで病気で亡くなりました。今まで好きだった人、尊敬していた人たちが次々といなくなり、普段は意識していなかった世の中の無常をいやというほど実感しました。
 しかし、いくらこの世が無常であっても、その記憶は受け継がれて残っていきます。私がジョン・デンバーに夢中だった学生時代の楽しい思い出は、私の目の黒いうちは決して忘れないでしょう。

 ジョン・デンバー、本名はヘンリー・ジョン・ジュッセルドルフ・ジュニアで、PPMの「悲しみのジェットプレーン」(1969、作曲は1967)のヒットをきっかけにチャド・ミッチェル・トリオから独立し、1969年のソロ・デビュー以後、1970年代に数々のヒット曲を生み出しました。このころの録音はアコースティック・ギター中心で、音作り的にもすばらしいものでした。また、ギルドやヤマハの愛好者としても知られていました。
 私のジョン・デンバー初体験は高校生の頃、やはりベスト盤で彼の最大のヒット・アルバム『故郷の詩 John Denver's Greatest Hits』(1974)でした。問答無用の名曲揃いです。「太陽を背に受けて」「カントリー・ロード」「ロッキー・マウンテン・ハイ」など、少しカントリーっぽい、古き良きアメリカを思わせるストレートなフォークソングが、ディランで少し斜に構えはじめた私の音楽的居住まいを正してくれたような感じがします。その明るく伸び伸びとした歌声は、多少の音楽スタイルの変遷こそあれ、終生変わりませんでした。

 彼の活動の変遷を私なりに大まかに分けると、1.チャド・ミッチェル・トリオ時代(〜1969)、2.「カントリー・ロード」以前(1969〜1971)、3.「カントリー・ロード」以後の絶頂期(1972〜1976)、4.混乱期(1977〜1981)、5.都会派ポップス時代(1982〜)という感じになるでしょうか。
 多くの人は意外に思うかも知れませんが、ジョンはもともと「都会派ポップス」的なセンスを持ち合わせていて、カントリー・ボーイ的な演出が加わったのは「カントリー・ロード」のヒット以後の一定期間のみという気がしています。例えば、初期の名曲「悲しみのジェットプレーン」「フォロー・ミー」も、あまり自然謳歌とは関係なく男女の仲を歌ったものだし、「さらばアンドロメダ」は後の哲学的な思索を象徴する歌です。ジョン自身も、常に自然派シンガーのイメージで見られることから脱却したがっていた節があるのです。「混乱期」以後はヒット・チャートから少し離れてしまいますが、その暖かみのある音楽の魅力は健在でした。
 彼についてはまだまだ書きたいことがいっぱいあるのですが、またマニアックになってきそうなので控えておきましょう。

 さて、この「バック・ホーム・アゲイン」はちょうど絶頂期の作。彼のオリジナルアルバムはいいものがたくさんありますが、これはおそらくその中でも代表作でしょう。何せ「太陽を背に受けて」「緑の風のアニー」と連続で全米NO.1となった後のアルバムで、内容的にも非常に充実しています。まさに多くの人のイメージする「カントリー・ボーイ」のジョンがそこにいます。その歌詞は、
「家に帰るって本当にいいものだなあ」
「家に帰れよ、と月の中の男が言った」
「おばあちゃんの羽根のベッドはすごく楽しかった」
「ボクがカントリー・ボーイで良かったよ、神様!」
 という感じで、出稼ぎや疲れた都会人たちへのメッセージとしても大いに受け入れられたのだと思います。
 私がこれを聞いた学生時代は、そういう社会的背景などに思いを馳せることはありませんでしたが、ただジョンの美しい歌声に聞き惚れました。特に「オン・ザ・ロード」「マシュー」(ベスト盤にはあまり入らない曲)での歌唱力と情感の表現は絶品で、歌詞がわからなくても心に迫るものがあります。

 学生時代、家でジョン・デンバーのレコードを聞いていたら、横から母に「いい歌だね〜」と言われたことがあります。自分の好きな音楽を誰かに誉めてもらうことは、まるで自分が誉められたようにうれしかったのです。私が、こんな所で思い出話を交えていろいろなアルバムの紹介をしているのも、そしてラグタイム音楽の解説をしているのも、本当にただそういう気持ちになりたいからかも知れません。

 

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