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【か】

かいえんまえのごはん【開演前のご飯】〔名詞〕
 ライブや演劇、催し物などの本番が開始する前にいただくご飯。通常、パフォーマーは楽屋やお店の周辺にて思い思いの時を過ごす。開演前に近くのお店で腹に何かを入れておかないと気が済まない人もいれば、絶対に何も口にしない神経質な人もいる。音楽演奏中に消化活動も同時並行で行うミュージシャンは確かに胃丈夫だろうが、終演後のアガリについて語られる反省会では、その健康的な胃もキリキリ痛んでくる。

かいせつ【解説】[名詞](補遺)
 物事についての自分の解釈を人に説明すること。類語:批評。人間が行う限り間違っていることも当然あり得るが、この語は「批評」より客観性を持つ言葉だと思われているため、印刷されたライナーノーツの解説をはなから疑う人はまずいない。ミュージシャンは、自分の作品について自ら解説することがある。自分の作品について一番よくわかっているのは、確かに当のご本人に間違いないので、できるならしてもよかろう。しかし、音楽の才能とうまい解説の才能は、全くの別物である。思い入れの強い本人の解説では、彼の作品について彼ほどはよく知らない一般の人々を納得させることができないこともある。例:「この歌は、今のボクの想いを表現したものです」「今のワタシのありったけの気持ちを込めました」「いきとし生ける全てのものへの応援歌です」。こんな調子の解説を読んだり聞いたりするくらいなら、とりあえず再生ボタンを押した方が早い。

かいぶん【回文】[名詞]
 順に読んでも逆から読んでも同じ音型を持つ文のこと。例:「竹藪焼けた(たけやぶやけた)」「ラブラブ夫婦、ブラブラ(らぶらぶふうふぶらぶら)」。ミュージシャンにはなぜか回文愛好者が多い。逆に言えば、仮にもミュージシャンならば無理してでも回文を作るべきである。作詞の練習にもなるし、ひょっとしたらヘタな作詞家よりも詩情溢れるものが期待できる。

かえうた【替え歌】[名詞]
 元々の歌詞の代わりに、全く別の歌詞を当てはめた歌。パロディーの一種。私が子供の頃、最も流行った替え歌は、例の「軍艦マーチ」だったと記憶している。ここで戦艦大和の運命を事細かに紹介しないのは、私の羞恥心のなせる業である。この辞書の「歌」の定義によれば、替え歌は思い切り邪道な歌になるのだが、元の歌詞を知らない場合もあるから仕方ない。元の歌より面白くなければやる意味はないのだから、歴史の荒波に揉まれた替え歌は当然面白い。しかし、歌詞の内容によっては「著作人格権」(平たく言えば、著作者の名誉を傷つけてはいかんということ)に触れる恐れもあり、いろんな意味で難しいジャンルだ。昔の人はよくもまあ、果敢に下ネタにチャレンジしたもんだ。→パロディー、歌。

かえし【返し】[動名詞]
 モニター(B)から出てくる音のこと。→モニター。

がくきょく/がっきょく【楽曲】[名詞](補遺)
 音楽の曲。声楽曲から交響曲、果ては聴いていて悶絶してしまうほどひどい流行歌まで、最低でもとりあえず音楽と言えるものでありさえすれば、全てのものに適用される便利な言葉。しかし、普通は単に「曲」と言うだけで十分通じる。「楽曲」を「曲」と隔てている微妙な違いは、その不思議な格調の高さである。このため、この語は一部の評論家やオーディションの審査員にこよなく愛されている。

がくや【楽屋】[名詞]
 ステージ出演者の控え室。当然だがこれは非常に恵まれた環境であり、専業ライブハウス以外は楽屋がない店の方が多い。楽屋がない場合、出演者はどこで控えているかというと、ステージだったり、おトイレだったり、いわば針のむしろ状態のカウンターだったり、お店近くのファミレスやコンビニだったりする。専業ライブハウスですら楽屋がない店もあるのだが、こんな些細なことで不満を言うなんてとんでもない事だ。しがないミュージシャンにとっては、お客様と同じくライブハウスも神様なのである。

かけはし【架け橋/掛け橋/懸け橋/桟】[名詞](補遺)
 板などを掛けただけの応急処置的な橋。実物は、道路整備が進んだ昨今ではなかなか見つけられなくなったが、歌詞の世界では「心の架け橋」「虹の架け橋」「勝利への架け橋」など、ロマンチックな物言いの中で比喩的によく使われる。キミとボクの間にいつか立派なつり橋でもできるといいのだが、それまではとりあえず危ない橋を渡ります、という意味に解釈できる。

かける【駆ける/駈ける/翔る】[動詞]
 高速で移動する。「走る」より意味が広く、走ることも飛ぶことも含まれる。例:「大地を駆ける」「大空を駆ける」。歌詞の世界では、この他に「駆け抜ける」(=高速で[どこかを]通り過ぎる)という動詞がよく使われる。このスピード感溢れるロマンチックな言葉は、曲のスピードとも連動しているらしく、スローバラード系の歌詞には適さない。明日も歩いていこうとか、急いで駆け抜けろとか、とにかく理由なく人を移動させようとする歌詞は「移動指示系」と総称できる。人生にとって大切なのは、移動することそのものではなく、移動した先で何をするかなのだが。→走る。

かし【歌詞】[名詞]
 歌の言葉の内容。→歌。

かしが【歌詞画】[名詞](補遺)
 『デイリー 新語辞典』によると「携帯電話端末で,有名曲の歌詞の一部(サビなど)が書き込んである,待ち受け画面のこと。(略)」とあり、つまり「歌詞の待ち受け画面」の略語らしい。私によってその存在すら否定されうる、有害無益でくそったれで、頼むから無くなってほしいと願うような、悪魔の所行の、人生にとって全く余計な言葉。良識ある辞書編纂者は、こんな女子高生レベルのくだらない戯言を見出し語にしてはいけない。

かずー【カズー】[名詞]
 英語の「kazoo オモチャの笛」。笛というのもおこがましく、ただ声に合わせて管を震わせるだけの道具である。誰にでも簡単に吹けるため、名カズー奏者というものは存在しないか、存在したとしても多くの人に勝てるチャンスがある。カズーの代わりに、ただ口を手のひらで覆って震わせるように唄うと、少しは似た効果が出せるのでお試しあれ。アメリカのジャグ・バンドや、練習不足でハーモニカが吹けないストリート・ミュージシャンなどがよく使う。カズーの下品でやかましい音は、巡り巡ってラグタイム音楽を誤解させる一因にもなっているので、私はこの楽器(?)が嫌いだ。

かぜ【風】[名詞]
 @軽い空気の流れを指す気象現象。重たい空気の場合は流れずに、嫌な雰囲気を醸し出す。
 A多くの比喩表現で使われる、人気のある単語。「風になりたい」という場合には行くこと叶わない場所への往来の自由を象徴し、「風はこっちに向いている」「逆風だ」という場合には勢いや世論、運のつきを表し、「答えは風に吹かれている」という場合では何の結論も出せなかったことに対する美しい言い訳に使われ、「風とともに去りぬ」「風の向くまま気の向くまま」という場合には気楽な放蕩息子を描写する。他にも、特に車やオートバイのスピードを表す場合もあるが(「一陣の風のように駆け抜ける」など)、これこそ厚かましいたとえというもので、暴走による騒音公害から人の目を逸らすためのロマンチックな物言いに過ぎない。肩で風切って走る連中はいい気なものだ。

かせっと【カセット】[名詞]
 英語の「cassette」で、主に録音用のカセット・テープ・メディア全般を指す。昔、これの録音機器はスピーカーやアンプも内蔵するポータブル型が多かった。これらは単に「レコーダー」、ラジオが付いたものは「ラジカセ」などと言った。今ではウォークマン中心だが再生専用機もあり、それは「コーダー」といった。後に一般的になった据え置き型は、それと区別する意味で「デッキ」と呼んだ。英語の「deck 甲板/(トランプなどの)一組」だが、よく考えたらなぜそう言うのかわからない不思議な語である。MD世代は、カセットを使ったことがないかまたは知らないという人が多く、大変嘆かわしい。カセットがMDを凌駕する部分は意外に多い。まずダイナミック・レンジが狭いので、音が耳に優しく聞きやすい(当時はプチプチノイズのあるレコードより「よい音」だという評価もあった)。SN比が悪いので、高性能のノイズ・リダクションを使うことができる。レベルやバイアスの調整を自由にできるので、最良の録音バランスを自分で選択できる。歪むのが好きな人だっているのだ。曲の頭出しができないのはミュージシャンにとって大きな長所。全部の曲を最初から最後まで飛ばさずに聞いてもらえる。メディアの体積が厚くかさばるので、いざというときMDより忘れにくい。早送りや巻き戻しはテープを痛めるが、やってみるとキュルキュルとかっこいい。コピーするのに普通のデッキでは等倍速しかできず、倍速以上にすると音質が落ちるので面倒くさく、際限のないコピーの弊害を抑止できるし、実際に抑止してきた。また、コピーガードの入ったCDも難なく録音できるし、サンプリング周波数の違いなどまったく考慮しなくていい。今となっては持っていない人も多いので、知らない人に通ぶれる。そして、いらなくなったらワカメにして遊べる。ふう、ほとんど全部カセットの欠点じゃないか。

かたかなご【カタカナ語】[名詞]
 @特定の外国語をカナ表記で表した外来語。多少の年月を経て日本固有の意味を派生したものもあるが、最初からヘンテコな意味で定着しているものもある。比較的近年の用語では、意味も分からないまま、何となく博学な印象を与えるためだけに使われているカタカナ語が多いが、これはずいぶん前から問題視されている。しかし、乱れまくった日本語本体に比べたら、今更どうこう言うほどのことでもない。
 A流行歌のタイトルや歌詞などで、ある特定の強調したい語句をカタカナ書きすることで、何か特別で深遠な意味があるかのように錯覚させるテクニックを適用された言葉。若いミュージシャンの多くが感染している流行病の一種と言える。例えば「アシタノタメニ」とか「ココロニヒビク」とか「キミノチカラ」などのように使われる言葉で、これは漢字が読めない人のための読み仮名みたいに見えるが、そうではない。実際、こちらの方が読みにくいのである。文学や哲学の著作における「傍点症候群」(意味を強調するためにやたらと文字に傍点を振ること)と逆の意味で似ていて、何とか自分の底の薄さがばれないように加えられた、意味を曖昧にする工夫だとも言える。まあどちらにしても、歌詞カードを見ないで声に出してしまえば大した違いはないようなので、お試しあれ。

がっき【楽器】[名詞]
 音楽を奏でる器具の総称。大別して打楽器、弦楽器、鍵盤楽器、管楽器、電子楽器などの種類がある。鍵盤楽器でしかも擦弦楽器であるハーディーガーディーのような、怪しげな種類の楽器も多い。最近では、ギターやピアノなどの良く普及した楽器が飽きられているようで、特に大道芸においては人目を惹く珍しい楽器や奏法がもてはやされる。どうやら、ヘンテコ楽器が音楽の手段ではなく目的化している向きもあるようだが、これは良くない傾向だ。楽器はヘンテコなのにやっている音楽が普通の流行歌だと、それだけで違和感がある。敢えてその楽器を弾くことに一体どれほどの意味があるのかと、思わず突っ込まずにはいられない。三味線でロックを演奏したり、蛇味線でクラシックを演奏したりするのは、確かにすごいことなのかも知れないが、よほど真剣でない限り何だかパロディーというか、バカにされているような気もする。ギターでピアノ音楽をやるなんて言語道断、冒涜としか言いようがない。なお、楽器だけで演奏される音楽をインストゥルメンタル(instrumental)といい、歌ものより売れないので普通のレコード会社は嫌がる。しかし人の嫌がることをやるのは、ちょっと気が引けるが快感でもある。

がっしょう【合唱】[名詞]
 複数人で同じ曲を歌うこと。メロディーが同一の場合(ユニゾン)もあれば、時間をずらす場合(輪唱)、和音を成す場合(ハーモニー)などがある。合唱は、その性別や年齢によって聴く者に異なる印象を与える。少年少女の合唱をつけることで曲に親しみやすい印象を与えることもあるし、男性の「グリークラブ」による合唱でないとピンとこない山歌のような分野もある。人間は、みんなで力を合わせると思いがけない結果を出すことがある。実は大して面白くない曲が、複数人で歌うとなかなか耳に心地よかったりすることをここでは「合唱効果」と仮称する。今の流行歌は、気がついたらその大半が合唱効果を使っていたりする。→ハモる。

がった【ガッタ】[間投詞]
 日本のブルースやロック歌手が曲の盛り上がりでよく使う、意味不明のカッコツケ間投詞。通常はシャウト(叫ぶ)して使う。例:「ガッタ!ガタ!ガタ!ガタ!」。R&B(リズム・アンド・ブルース)の歌詞でよく使われる言い回しの「I've got a ...(blues, feeling, womanなどの名詞が後に続く) 私は〜を得た」「You've got a... お前は〜を得た」などが語源らしい。「Get up! 立ち上がれ!」をゲロッパと認識するのと同じ事。非英語圏の聴衆は、何を歌ったって歌詞の意味など気にしない。こういう語呂だけのカッコツケを認める聴衆の態度が、巡り巡って歌詞の世界の弱体化を招いたことに気付かなければならない。

かね【金】[名詞]
 貨幣、紙幣。経済的成功がもたらす富。天下の回りもの。ミュージシャンにとって、あくまで見かけ上の優先度は低いが、マネージャーやプロデューサーにとっては見かけ上でも最優先事項。いわんや本音においてをや。マーフィーの法則ではないが、お金は、本当に難儀している時には十分に得られず、よこしまな欲望から解放されて色即是空の精神がわかるようになってきた頃、葬式をしてもらえる程度に入ってきたりする。

かばー【カバー】[名詞]
 英語の「cover」。
 @覆い。何かの上にかぶせるもの。何かを隠すもの。
 A援護すること。何か至らない部分を補完すること。例:「この辞書が語彙の不足をカバーしてくれる」。
 B人の作品を自分の演目に取り上げること。パクリの最上級形。特に流行歌手が他の流行歌手のレパートリーを唄う場合に多く用いられる。例:「この曲はビートルズのカバーです」。リメイクという類語もある。自分で自分の昔の曲をカバーすることをセルフカバーとも言う。どうしてこんな些細な事にまで英語を使うようになったのかよくわからないが、元々の語義をよく考えると、「出来がイマイチまたは古めかしい曲を、新たな才能で補完してあげる」という解釈が妥当である。つまり、オリジナル・バージョンに対する敬意があまり感じられない言葉だ。新曲がつまらなかったり売れなかったりすると、過去作品のカバーが増えるのは世の常だが、残念ながら足りない才能までカバーすることにはならない。

かぶ【株】[名詞]
 @ダイコンのような植物の根株。
 A株式会社が外部から運転資金を調達するための有価証券。なぜこれを植物の部位名称である「株」で表すのか私は知らないが、多分しょうもない謂われ話が、得意満面で説明されるのを待ち構えているに違いない。現状では、会社の評価自体よりも外国人の顔色次第で乱高下することが多いので、腹立たしい。もし地球が逆に回っていても、アメリカ人ならここまでひどく右にならえということはないだろう。横並びの好きな日本人には、株式は向かないと思う。
 B株(A)の比喩表現として、人に対する評価の値踏みを表す。投機的な人生を送ることが多いミュージシャンは、あわよくば自らが音楽界という株式市場の牽引役になることを夢見ているが、若さのピークを過ぎると世間からはほとんど外れ馬券のように扱われる。よっぽどいい株でないと、買っても数年で紙屑だ。→ヒットチャート。

かぶる【被る】[動詞]
 @(帽子や布団などを)掛ける。上に掛ける。
 A(水や泥などが)掛かる。身に掛かる。
 B(話のネタややりとりなどが)重複する。上記二つの用法から見れば微妙に変なのだが(この意味なら「かぶさる」が適任のはず)、もとは業界用語の一つだったらしい。今では一般社会でも普通に言う。音楽の場合も、例えばアマチュアのオムニバスライブで、前にやっていた人と同じ曲のカバーをするのは極力差し控えようとする心理が誰にでも働く。それは正常なバランス感覚である。しかるに、肝心のプロ・アーティストたちのキャラクターや曲想は、先行者に何の遠慮もなく二重三重に被っている。まあ、柳の下のドジョウを狙うのが業界の常だから、批判はおカド違い。

かぽたすと【カポタスト】[名詞]
 イタリア語の「capotasto」。略称カポ。英語風だと「ケイポ」のような発音になるらしい。ギターなど特定の弦楽器の指板に装着する器具。これでフレットを押さえることによって、チューニングや指遣いを変えずに全体的に音を移調する事ができる。私はカポをけっこう多用するので、万が一忘れるとレパートリーが半減するくらいの一大事。そこで、忘れないようにいつも財布にカポを入れているので、たまに下半身の座りが悪いこともある。カポは、アコースティック・ギターに取り付けるのは普通だが、エレキ・ギターに取り付けるとなぜか異様にカッコ悪く見える。普通のカポはちょうど指板の幅くらいの長さだが、長さがその半分しかない「パーシャル・カポ partial capo 部分的なカポ」という、まさに変態でなければ使わない道具もある。私には変態の友達が多い。

かめらわーく【カメラワーク】〔名詞〕
 英語を直訳すると「カメラの仕事」(仕事をするのは人間なのだが、まあいいか)。映像を写す構図、角度、ピントや露光、動き、ズーム、オーバーラップ、複数台の切り替えなど、カメラ撮影における諸々のテクニックを指す。近年のCMやハリウッド映画、さらには有名ミュージシャンのプロモーション・ビデオでおなじみの先進カメラワークを見よ。すごい。あまりにもめまぐるしくカメラが切り替わるものだから、私のような鈍い人間では、多分目が四つか六つくらいないと知覚速度が追いつかない。仕事をするのは確かに良いことだろうが、やたらにすればいいというものでもなかろうに。

から【から】[格助詞/接続助詞]
 @(格助詞として体言に付き)出発点、経由点、範囲、由来、原因、理由などを表す。例:「心から愛しています」「君からそう言われたんだよ」。
 A(接続助詞として動詞の終止形に付き)原因、理由などを表す。例:「あなたがそう言ったから結婚したのよ」「そんなこと言うから嘘つきって言われるのよ」。
 B「から(A)」から転じて、みせかけの終助詞として俗語で多用される。文をはっきり終わらせない効果がある。含みを持たせて、相手からのツッコミを期待する心理のあらわれか。例:「今はお別れだけど キミへの気持ちは永遠だから」「キミの浮気に悩んだけれど ボクは明日を歩いて行くから」。歌詞の審査員は、この煮え切らない文言の終わり方にどうかご立腹をお願いします。

からおけ【カラオケ】[名詞]
 元は「空(から)のオケ(=伴奏)」の略。テープ、ディスク、通信によるMIDI演奏など、何らかの方法で伴奏を流し、それに合わせて流行歌を唄って楽しむ遊び。日本人の発明である。それまで聴くだけだった音楽の楽しみが、積極的に唄う喜びへと変化した功績は大きく、世界的に普及したのもうなずける。しかしこれにより、店のお抱えバンドの多くは軒並み解雇された。お店にとっては、貝のように張り付いていた奴らを追い払うのに、ちょうどいいリストラの口実になった。カラオケの利用で生じる膨大な著作権料のおかげで、作・編曲者は以前にも増して安定収入を得られることになり、結局演奏家だけが割を喰った。多くの演奏家がカラオケに対して何らかの敵意を抱くのも、そういうわけで無理もない。このカラオケの台頭により、しょせん機械の伴奏に負けていては演奏家として生きていけないという、厳しいが当たり前の教訓が生まれたのである。

かんがっき【管楽器】[名詞]
 吹奏楽器ともいい、管に息を吹き込んで音を出す楽器の総称。略して管(カン)とも言う。最もわかりやすい管楽器は笛(草笛や口笛は除く)。管楽器は木管楽器と金管楽器に大別されるが、金属製のフルートやサックスが木管楽器などというワケのわからない分類なので、あんまり気にしないでいい。管楽器は、電気楽器のない時代、全ての楽器の中で最も大きい音が出せたため、特にジャズでは現在でも花形楽器の地位を守っているが、クラシックにおいては残念ながらバイオリンの引き立て役に甘んじている。しかし、弦楽器は下手でも何とかごまかせるが、管楽器は下手だとすぐ聴衆にわかってしまうため、音楽的重要度は一番と言っていい。参考:→リード楽器(@)。

かんじゅせい【感受性】[名詞](補遺)
 いろんな物事の一つ一つを純粋もしくは無防備に受け止める性向。個人の感覚の特異性を表す「感性」とは似て非なる言葉。普通は良い意味で表されるため、もっぱら「豊か」であるべきもの。悪い意味での感受性は「神経質」という別語で表されるが、要するにどちらも同じ性向である。「アーティストは感受性が豊かである」とよく言われるが、私が見る限り、意外にも実際は逆のケースが多い。優秀なアーティストには、天然ボケの人が実に多いのである。つまらないことでいちいち純粋に悩んでいたら、軒並み苦しい生活を強いられているアーティストは身が保たないし、さらに自分の才能に対するうぬぼれが起こりにくくなってしまう。換言すると、才能とはある種の鈍感によって支えられているか、もしくは鈍感そのものなのである。

かんぱけ【完パケ】[名詞/形容動詞]
 編集済み。音楽やビデオなどの情報が、これ以上何の手も加えずにそのまま本番に使用可能なマスターであることを指す。これほどさわやかな爽快感のある言葉も珍しい。例:「このテープ完パケかい?」「応募テープは完パケのみ受け付けます」。語源がよくわからなかったので調べてみると、何と「完全パッケージ」の略なんだそうだ。パッケージ(package)は英語で「包装」という意味なので、「完全包装」という意味か? だったらプチプチでくるんでおかなければ。ちなみに、パッケージしたあとでも、何か気になって、土壇場でテープをケースから出してチョコチョコいじる、あきらめの悪いヤツもいる。参考:→プリプロ。

がんばる【頑張る】[動詞]
 @(良い意味で)一生懸命になる。中途半端な定義しかできない語で、何をどの程度やれば本人にとって一生懸命になるのか、数値目標でも設定しない限り明確な基準はない。がんばって寝る、がんばってテレビを見る、がんばって遊ぶ、がんばって歯を磨く、言葉の上では何でもOK。とりあえずがんばってさえいれば、何をやっても他人からは文句が出にくくなるので、この語は一時的な免罪符としての役割も果たす。日本語というものはどうも難しい。ちなみに、アイヌ語でがんばるという意味の「アリキキ arikiki」には、ちゃんと「がんばって働く」というニュアンスがある。「がんばる」は、「あきらめない」と共に励まし系が使う代表的な語だが、この似たような二つの言葉にはちゃんと棲み分けがある。つまり、それなりにがんばって生活している人が、本質的なところでは内心あきらめていたりするし、絶対あきらめないぞと心に誓っている人が、だからといって別段何にもしていなかったりするのだ。
 A(悪い意味で)強情を張る。てこでも動かない。こうなったら、エサでも与えて出ていってもらうしかないという悲惨な状態。

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