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【お】

おいら【おいら】[代名詞]
 第一人称単数「私」を表す、男の子の古い幼児語。例えば大五郎、どろろ、青影など、時代劇の子役のほほえましい言葉遣いを思い浮かべてもらいたい。この語は、悪ガキ的な雰囲気を醸し出すらしい。多分「おい(私)+ら(等)」というのが語源だろう。自分のいうものがまだ確立していないか、または同世代の仲間意識の強さを表す言葉だと思われるが、現代の日常会話ではほぼ死語である。どちらにしても、本来分別ある大人は使わない言葉なのだが、日本の60〜70年代フォークまたはロックの歌詞では、どういうわけか、いい年こいた大人が連発した。確かにこの時代、同世代の仲間意識はやたらに強そうである。今でもこの語を懐かしんで使う頑固者もいる。ロックをやるには年を取りすぎた自分を若く見せようとして、使用言語が退行しているのかも知れない。しかし、仮に当の歌手にインタビューしても、第一人称にこの語が出てくるかどうかは非常に疑わしい。なお、これに対応する女の子の幼児語は「あたい」などといい、やはり多用する成年女子のシンガーもいる。言文不一致ならぬ、言詞不一致の典型的な例。

おうえんか【応援歌】[名詞](補遺)
 何かを応援するときにみんなで唄う、応援団などによってあらかじめ定められた歌。例:「六甲おろし」(阪神タイガースの応援歌)。もちろん応援対象を鼓舞するのが主な目的だが、観客がばらばらに勝手な歌を歌って統率を乱すことを防止するという側面もある。ただし、現代はいわゆる「励まし系」の歌をも応援歌と称する。J−POPにおいては、非常に多くのアーティストが、てんでんバラバラにこの手の応援歌を歌いまくっている。誰を励ましているのか、何をがんばればいいのか、もっと真剣に励ましてくれないと、結果ダメだったときに悔し紛れでメガホンを投げにくい。→解説、励まし系

おーばーだびんぐ【オーバーダビング】[名詞]
 英語「overdubbing」。録音した音に別の録音を重ねること。多重録音。高尚なプログレなどの芸術ロックはこれを売り物としているが、ギターソロ奏者は逆にこれを全くしないことを自慢のタネにしている。本当にそうかどうか、音源から確認する手だては乏しく、疑問に思った人は彼のライブを見に行くしかない。ぜひ見に行って欲しい。私から強くお願いしておく。→アフレコ。

おかず【おかず】[名詞]
 @主食に対する副食品。食べ過ぎは体に毒。
 A自慰行為における妄想対象を指す。やりすぎは体に毒。
 B決まった伴奏パターンに少しだけ付け加えられる、短い変奏。ドラムスやギターなどの繰り返しの多い楽器は、おかずが大好きだ。「おかず」は、副食品が主食のうまさを引き立たせることに由来する比喩表現だろう。体に毒とまでは言えないが、もちろんこれもやりすぎるのはセンスがない。派手なおかずを入れずに淡々と叩き切る、チャーリー・ワッツのように渋いドラムスは、今の時代なかなかいないので残念である。なぜそういう渋いドラムスがいなくなったかというと、永遠に淡々と演奏することが可能なシーケンサーなどのループマシンが出てきたからだ。コイツときたら絶対に叩き間違えないし、小賢しいことにスイッチ一つでイカシタおかずまで入れやがるので、人間のドラムスは徐々に担い手が少なくなってきている。

おとこ【男】[名詞]
 →女。

おとのよびかた【音の呼び方】[句]
 本来、こういう辞典で音楽の初学者向け講釈をすべきではないと思うのだが、イロハもドレミもわからないのではミュージシャン失格。ちょうど良い機会だから調べてみた。西洋音階における音の呼び方は、以下のようになるらしい。
 イタリア語:「ド/レ/ミ/ファ/ソ/ラ/シ」
 日本   :「ハ/ニ/ホ/ヘ/ト/イ/ロ」
 英米   :「C/D/E/F/G/A/B」
 私は、学校の音楽授業の時、もし音楽が上手くなったら、これら以外にも「H」とか「I」とか「J」などという未知のコードネームがポンポン出てくるものだとばかり思っていた。思えば、恥ずかしいくらい無知だった。ところが、なんと「H」はドイツに存在するのである。
 ドイツ  :「C/D/E/F/G/A/H」(ドイツでは、Bbの音を特にBと言う。)
 このドイツ式は、今でも日本において根強い愛用者がいるが、これはクラシック音楽の本場がドイツやオーストリアだったという理由だけでなく、鬼畜米英(ベーエー)の名残とも考えられる。一方、日本式の呼び方は、主にクラシック曲の調を表すときに使われる。例:「嬰ハ短調」=key : C#m、「変ホ長調」=key : Eb。シャープが「嬰(えい)(生まれたての赤ん坊を表す雅やかな字)」で、フラットが「変」というのは、フラット調を得意とする私にはどうも納得できない。フラットが変だというなら、シャープだって同じくらいは変だと思うのだが。

おはよう【おはよう】[間投詞]
 @朝の挨拶。アイヌ語沙流方言では、これに当たるうまい言葉がない。昔は、早く起きるのが当たり前だったからだろうか。
 A昼夜の別なく、みだりに使われる仲間内の挨拶。主に芸能人、または芸能人にあこがれるコンビニのアルバイト店員が使う生意気な言葉。多くのコンビニは、この言葉を職場のマニュアルから閉め出そうという努力を怠っている。この間違った言葉によって、彼(彼女)がしょせん自分と同じ穴のムジナであることを確認して安心することができる。

おひねり【お捻り】[名詞]
 大道芸のご褒美として、お客様がくれる物品の総称。お金の場合は「投げ銭」ともいう。それ以外の場合はお菓子などの食べ物が多い。私はお捻りで野菜サラダをいただいたことがある。もちろん残さず食べるのが礼儀だ。→投げ銭。

おふぃしゃるほーむぺーじ【オフィシャル・ホームページ】[名詞]
 英語の「official homepage 公認(公式)ホームページ」。アーティストや主催者本人、または彼の関係者(友人、所属する会社や団体など)が作成して、本人や関係者のお墨付きを得たインターネットのホームページのこと。この語は長いので、日本人お得意のステキな略称を望むところだ。オフィシャル(公的)という語は、「オフィス office 職務、職場」と語源が一緒。しかし、会社に務める人でなければ公認ホームページを作れないと言うことではない。実際、アマチュアの個人アーティストもこの語を使っているので、英語初心者にとっては少々紛らわしい。彼らのページは、オフィシャルなどと言いながら、内容は思いっきりパーソナル(私的)だったりするのだ。個人のページの場合、アーティストにとって絶対公認できないような、ひどい内容のホームページが他に一つでもあれば別だが、もしなければ、わざわざ「公認」などと銘打つ必要はあまりないと言って良い。「オフィシャル」という一見カッコイイ英語の裏には、「オレはこんなに大勢の人から認められているんだぞ」ということを少しでもひけらかしたいという深層心理、または「頼むからオレを認めてくれ!」という見栄っ張りの願望が働いていると私は考える。

おもい【思い/想い】[動名詞]
 誰かや何かに対する気持ち。「心」が漠然と人の心情や精神を表す言葉なのに対し、「思い/想い」はその思いの対象がなければいけない。動詞の名詞化なのだから、目的語があるのは自然である。例:「あいつの仕打ちにくやしい思いをした」「彼への秘めた想いを手紙に込めました」。歌の世界では、その目的語を具体的に示さないことで含みを持たせることがある。例:「走り続けるこの想い、風になれ」。なんじゃこりゃ。作詞家は、この類の言い回しにより、別に何をどうとも想っていないのに「想い」を軽々しく口にすることが可能になる。なお、言葉として間違っているが「想い達」という複数形もある。→たち(達)。

おりじなりてぃー【オリジナリティー】[名詞](補遺)
 英語の「originality 独創性」。ちょっとしたクセから誰も思いつかなかった画期的な発明まで、場合によって様々な特徴を指す言葉。音楽の場合、普通はよい意味で用いられるのだが、実は譜面が読めないとか、まじめに勉強していないとか、テキトーでいいじゃんとか思っていることを正当化するための用例も多々ある。彼らにとっての真のオリジナリティーとは、ただの独りよがりのことである。クラシックの作曲家にとって、自分の曲を演奏する人には全く不必要なもの。→個性

おるごーる【オルゴール】[名詞](補遺)
 オランダ語の「orgel」で、音楽の自動演奏装置の初期形態。ゼンマイなどの動力により、小さな金属板で音をうまい具合に鳴らす仕掛けを持っている。職業音楽家にとって最初の、人間ならざる敵。オルゴール専門店の多い小樽に住む私にとっては、今でも最大の敵。同じ曲を同じ抑揚でしか表現できない演奏家の演奏は、オルゴール的と言えるだろう。人は、オルゴールの心洗われるような懐かしい音を聞けば聞くほどに、必要以上にくよくよする性癖を持つようになり、ひいては通常以上のスピードで年をとるようになる。多くの心理学者は、一般的なオルゴールの音楽において、「癒し」の効果というより、いっそのこと「あの世行き」を希望する如き信号を見出すだろう。苦しみの多い人生をオルゴールの音で楽にしようと思っているのなら、やめた方がいい。

おんがく【音楽】[名詞]
 あらゆる芸術の中で、鑑賞する際、目に頼らなくても済む数少ない分野。音を楽しむことではなく、人が楽しめるような音のこと。しかし、J−POPシンガーの裏声のように、血管が切れそうなくらい苦しそうな音まで楽しめてしまうのは、人間の不思議な所だ。さらに、ちゃらちゃらした流行音楽を鑑賞する際、多くの人は耳よりも目に頼っている。どんなにカッコイイ容姿や踊りも、耳では聞こえないからだ。

おんがくか【音楽家】[名詞]
 音楽の専門家。音楽の製作者側のことを指すが、照明やPAなどの裏方さんや専業プロデューサーなどはこの概念から外れる。ただ「音楽家」と呼ぶ場合にはプロを指すというのが一般認識らしいので、ミュージシャンより適用範囲が狭い言葉と言える。なお、この語は「おんがくか」とも「おんがっか」とも読める。私の友人の某氏は、もっぱら後者のひらがな表記を好むようだ。「楽器(がく・き)」を「がっき」と読むことを考えればこれでもいいかも知れないが、「がっかりだ」とか「そうでっか?」などの促音(つまる音)と同様、お間抜けな印象は拭えないため、普通の辞書ではもっぱら「おんがくか」で載っている。→ミュージシャン。

おんがくがっこう【音楽学校】[名詞]
 音楽を専門的に教える学校。「音楽院」とも。ちなみに私は普通の商科大学だったが、小・中・高と音楽の時間がそれほど好きではなかった。こんな事を一日中やっている学校も、勉強できる生徒たちもすごいと思ったものだ。現在では、その音楽学校を出た後、必ずしも音楽の仕事に就ける訳ではない。しかし運良く就いたとしても、彼らに対してはいろんな意見があるようだ。例えば「学校で勉強した人の音楽はつまらない」と即断する軽音楽愛好家が罵詈雑言を浴びせる。せっかく懸命に音楽に打ち込んだ人に対して、勉強したからつまらないとはひどい言いぐさだ。一方で「勉強した者でないと音楽の解釈は許されない」と信じるアカデミックなクラシック愛好家もいる。どうもみんな極端すぎるし、学校というものに様々な形のコンプレックスがあるらしい。

おんがくきょうし【音楽教師】[名詞]
 音楽の先生。この語は「学校の先生」を想像させるが、実際はかなり矮小な規模の教室、もしくはマンツーマンで家庭教師として教えている人が圧倒的に多い。今のこの世の中、音楽の演奏だけで生計を立てるのは大変で、授業料は魅力的な定期収入源である。しかし、人にものを教えるのはどのジャンルでも大変で、この場合も音楽の才能とはまた違う、人を育てる才能が必要である。よく「音楽の先生」の作る音楽はつまらないといって毛嫌いする人もいるが、それは全く間違い。つまらないのは彼らの音楽ではなく授業の方だったりする。

おんがくせい【音楽性】[名詞]
 音楽の性質、性格、素養、取り柄、持ち味、センスなどを良い意味で漠然と表す言葉。例:「音楽性が高い」。この言葉には明確な基準がない。昔は、主に理論をきちんと勉強した人、または理論的裏打ちに最大の価値を認める評論家が使いたがった言葉だが、何をもって音楽性と言うかがはっきりしないため、全く理論が身についてないミュージシャンにも適用できる。むしろ最近では、「理論的かどうかは知らないけど音楽性は高い」と言う主旨で使われることが多い。私のような無学な音楽家にとっては結構便利な言葉。

おんがくにこっきょうはない【音楽に国境はない】[文]
 耳慣れない異国の音楽を無理にでも人に聴かせようとする際に、提供者や推薦者側から思わず口をついて出てくる言葉。人間に国境がある以上、音楽などの精神文化に何故国境がないと言えるのか? むしろ国境こそが、文化の多様性を生み出す土壌なのではないか? というもっともな疑問はさておき、日本のJ−POPが相変わらず世界的な人気を勝ち得ていないのは、単なる関税システムや言葉の違い以上の問題があるのは間違いない。逆もまた真なりで、オリコン初登場一位がアフリカの民族音楽やロシアのバラライカ音楽などというようなことは、多分あり得ないだろう。

おんち【音痴】[名詞]
 @本来は、何らかの原因により音を正しく認識できないという「機能不全」を指す言葉。しかし、普通は単に音感の悪い人を指す悪口として使われる。例:「この音痴!」。「マヌケ」「ノロマ」などと同じく、悪口としてあまりにストレートすぎるので、最近この語は少々使いにくい。よって、実際には「ちょっと音程が合わないな」くらいにしておくことが多い。
 A名詞の後に付き、それが苦手だったり、センスがない人であることを表す。例:「運動音痴」「パソコン音痴」。音痴は、音楽と関係ないジャンルの慣用句まで生むほど人々に浸透した、かなり一般的な悪口だと言える。

おんてい【音程】[名詞]
 ある二音間の高低差を表す。時には、正しい音と間違っている音の差分をも表す。西洋音階に基づく音程の尺度は「度」と言い、同音程の場合は1度(ユニゾンとも言う)で、1音離れればそこに1度加算される。何で0度から数えないのかが初心者にはややこしい。わかりやすいようにドレミを使うと、ドに対するミは3度、ソは5度、1オクターブ違うドは8度などと表す。ドミソを以て三和音を為すのが西洋音楽のコードの基本。ところで、最近の若者向け流行歌のメロディーは、「ソ→ド」または「ド→ソ」という形を多用する。しかもそれを同じコードの中で何度も執拗に繰り返すことがある。私はこの奇妙な音型を好む人々の傾向を「5度症候群」と名付けたい。おそらくテクノ音楽の影響であるこの音型の多用は、経過音も何もなく和音の中の構成音を乱暴に繰り返すだけで、メロディーが実質的に空回りしている状態と言ってよい。また、もっと微妙な音程、ピッチの差が効果的に使われることもある。例えば、別に音痴ではないのにわざと音程をフラットさせたりして、可愛い子ブリッコや恋の告白のような真剣さ、ひたむきさ、もどかしさ、ノスタルジーなどを演出するという、ずる賢い歌手もいる。これをあんまりやると、本当に音痴だと思われるから注意したい。→J−POP。

おんな【女】[名詞]
 女性。母となり婆となる方の性。父となり爺となる方の性は男というが、父にも母にもならずに爺婆になる人は近年急増している。女は、歌の永遠のテーマの一つ。しかし近年では性差別の問題が大きく取り上げられ、江國滋(『日本語八ツ当り』の著者)は、もう今から十数年も前に「男と女」という表現を50音順だと釈明している。ちなみに、アイヌ語では「オッカヨ 男」「メノコ 女」、英語では「man 男」「woman 女」と、奇しくも綴りの順番は男が先になる。現代は、例えば「おれの女」とか「女の喜び」とか「女心」とか、「女」を使った伝統的表現がどんどん言いづらく歌いづらい世の中になってきている。またその反動か、「私の男」「男の喜び」「男心」といったいやらしい言い回しが急速に広がりつつあり、こちらが元々の用法だったと説く人までいるが、これでは男として情けない。一方、美貌の女性アーティストが、同ジャンル・同レベルの男性アーティストに比して格段に高い評価を得るのは、現代の逆差別といえる。作品や業績の評価こそ平等にお願いしたいものだ。

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