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【ら】

らいぶ【ライブ】[名詞]
 クラシックでは「コンサート」、ロックでは「ギグ」ということもあるが、要するに演奏会のこと。多くのお客の前で公開演奏すること。ただしお客は極端に少ない場合もあり、その際はアーティストがたくましい想像で客の幻を補完する。心優しいお店の関係者が、その補完を烈火のような拍手で手伝ってくれるときもある。ライブは、開催時間と場所が特定されている点、集中して聴くことを要求される点、照明や音響機材がある点などがストリートと異なる。しかし一番大きな違いは、演奏者にも聴き手にも少なからず元手がかかってる点である。演奏者側はお客が少ないとガッカリするし、聴き手側も当てが外れたらガッカリする。今夜もいろんなライブハウスで、誰かが誰かにガッカリしていることだろう。どの程度お客が集まればよいかは、もちろん場合によって異なるが、とあるバンドに聞いた話では、狭い場所であれば、バンドのメンバー一人当たり5名の観客がいれば合格点なのだそうだ。私のライブでは、その5名のうちの4名が実の親兄弟だったりする。こういう果てしない情けなさに耐えることができた者のみが、真のライブ・ミュージシャンたり得るのだ。もしお金が惜しければ、ミュージシャンや劇団の関係者とは友達にならない方がよい。

らぐたいむ【ラグタイム】[名詞]
 英語の「ragtime」で、19世紀末から20世紀初頭にかけて流行したアメリカの大衆音楽。略してラグとも言う。その起源は、黒人が酒場で演奏したシンコペーションの効いたピアノ音楽で、音楽的にはマーチが母体の一つと言われている。1899年の「メイプル・リーフ・ラグ」(スコット・ジョプリン作)、1915年の「12番街のラグ」(ユーディ・ボーマン作)など多くのヒット曲が生まれたが、1920年代にジャズの隆盛と入れ替わるように衰退した。残念ながらラグを未だに「売春宿の音楽」として蔑む輩もいるが、この表現はラグタイムのみならず、他の大衆音楽の一部や、時には交響曲にまで適用されることがある。大衆に人気のある音楽を何とか侮蔑してやろうとして、こっそりと売春宿に入ったことのあるスケベな知識人がひねり出した言葉らしいが、私はこれを一種の誉め言葉と解釈している。良い音楽ほど適度に官能的であるからだ。ラグタイムとラブタイムの違いを解説するのはもう疲れたので、とにかく興味のある人は文字で読むのではなく耳で聴いてほしい。

らしい【らしい】[接尾辞/助動詞]
 @いかにも〜のようである。〜にふさわしい。最近の時代の雰囲気に毒されて、自我を確立したり維持したりするのが困難な、心の弱い人が多くなったため、「キミらしいキミが好き」「ボクはボクらしく生きる」などの形で、先行き不安な心に喝を入れる。そんなに強調しなくても、キミがキミの、ボクがボクの人生を歩むのは当たり前。キミらしくないと思われる生き方も、キミが選んだ限りキミらしいのだ。→あなたがあなたであり続ける。
 A「いやらしい」「汚らしい」「わざとらしい」「ばからしい」などのように、主に否定的な感慨を表す限られた慣用語で使われる。しかし「らしい」(@)でも否定的な感慨は表現できる。「いかにもキミらしいイヤミだな」などとね。

らしさ【らしさ】[名詞]
 上記「らしい」の直前の被修飾語が強引に省略されて使われる名詞形で、「持ち味」「特色」「独自性」「マイペース」などを指す言葉。例:「らしさがない」「らしさを発揮する」「らしさを取り戻しましたね」。この名詞形だけでなく前置副詞「らしく」も例が多い。例:「らしくない」「らしく行ってほしいです」。こういうヘンテコリンな日本語は、いきすぎた個性重視教育の副産物らしく思われる。

らっぷ【ラップ】[名詞]
 英語の「rap」。アメリカ黒人の新興音楽の一種。→ヒップホップ。

らぬきことば【ら抜き言葉】[名詞]
 「見られる→見れる」「食べられる→食べれる」のように、助動詞「られる」が可能の意味で使われる際に「ら」が省略される口語の総称。是非を争う議論が勃発してずいぶん長いこと経ったようだが、もうとっくの昔に市民権を得てしまっている。口語は口語に過ぎず「正しい口語」なんてないので、議論の行方は「ら抜き」の普及に全く影響を及ぼさなかった。しかし、もっともらしい利点を挙げて「ら抜き」を擁護する人たちが、何と国語の教師だったりするのだから、世の中変われば変わったものだ。この議論を横から傍観すると、学者や教育関係者ですら世の乱れにドンブラコと流されてしまう、信念不在の時代の雰囲気が感じられて興味深い。もちろん流行歌の世界でも、開いた口がふさがる間もなく次々と出てくる。「言葉は使ったもの勝ち」という典型的な例。

らぶ【ラブ】[名詞]
 →愛。

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