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【れ】

れーざーでぃすく【レーザー・ディスク(LD)】[名詞]
 フィリップスが開発したビデオ・ディスクの規格。VHDやRCAとの規格争いに勝利して一時代を築くも、思ったほど普及せずに後のDVDに敗北。録画ができないのは致命的な欠点だった。思えば20年ほどの、メディアとしては短くはかない歴史だった。

れげえ【レゲエ】[名詞]
 平均気温が一年を通して20度以上という常夏の国・ジャマイカの大衆音楽。リズム・アンド・ブルースの影響を受けて、南国風に独自の発展をした音楽で、スカが母体となったらしい。日本においても70〜80年代に、ボブ・マーリーという天才によって流行した。私の知り合いに知られざるレゲエの名手がいるが、レゲエの名手はだいたい生き方もレゲエなのだという。なるほど、北海道のように寒い国では決して生まれ得なかった音楽だ。

れこーど【レコード】[名詞]
 音楽のレコード盤。ロウ管、SP(Short Play)、LP(Long Play)、EP(Extended Play)、そしてコンパクト盤(33回転のミニLP)などの種類がある。AD(Analog Disc)という略称もあるが、アシスタント・ディレクターの略称と区別が付かないので普及しなかった。媒体(円盤、昔はロウ管)に音の振動による針の細かな溝を刻み、それを針でなぞることで音を再生するという仕組みは、1877年のエジソンの発明以来変わっていない。長き繁栄の後、1980年代にCDにとって代わられたが、今ではラップDJの必須アイテムとして復権している。音楽媒体としての繁栄が長すぎたせいか、今でもレコードという言葉は、「レコード会社」などの慣用語としておなじみである。例:「オタルナイ・レコード」、残念ながらレコードは作っていない。さて、古き良き時代を懐かしむレコード・マニアの存在は見逃せない。あれだけ人生を掛けてまで熱中して集めたものを、誰がそんなに簡単に捨てられるだろうか。ああ、あの狭い中古レコード店の愛すべき棚よ。宝探しにいそしむ日々よ。ビートルズの海賊盤なんて一体いくらしたと思ってるんだ(註:平気で五千円以上した)。レコードを捨てろというなら、いっそ殺してくれ。しかし...時代は移ろうもの。最近ではレアなレコードもどんどんCD化されていて、ありがたみが全然ない。そういえば、ターンテーブルとも最近縁がない。針の交換時期とか、適正針圧なんて忘れてしまった。あの情熱溢れていた時代は一体何だったのだろうとレコードプレイヤーの前で感慨に更けると、すでに空しい物欲から解放されつつある自分に気がつくのだ。

れんしゅう【練習】[名詞]
 自分を磨き鍛えること。稽古。ちょっと気合いが入ったものは訓練、さらにすごいのになると特訓と言う。地獄の特訓ならなお良い。汗水垂らして練習なんてしていないのにいつの間にか何となく上手くなっていた、なんて都合のいいことはあり得ない。ステージでは、練習で可能だったことですら半分もできないとよく言われる。ましてや、練習でうまく行かないことを「本番には強いんだ」などと言ってステージでやろうとするのは無理だし、たまたまできたとしても次は無理だろう。フィギュアスケートの4回転ジャンプと同じ事だ。さて、ここでみなさんに、素晴らしく含蓄ある話を紹介しよう。あるアマチュア・ロックバンドのギタリストが、ステージで何度か目立つミスをした。彼は、終演後の楽屋でミスしたことをメンバーたちに素直にあやまった。するとやはりきつく諭された。「おい、もっと練習して来いよ、オメーヨ!」 半べそをかきながら彼は一念奮起して、忙しい生活の合間にできる限りの練習をした。ミスした箇所もバッチリマスターした。さあやるぞリベンジだ! しかし次のステージで、彼は緊張のあまり、うっかり別のところをミスしてしまった。練習ではうまく行くのに、どうしてオレはこんなにあっちこっちミスしてしまうのだろう。また楽屋で怒られると思い、もはやこれまでと笑って開き直っていると、ところが今度はバンド仲間が褒めそやす。「いやぁ上手くなったじゃんかよ、オメーヨ!」「さすがに、練習してたもんな」。そうか、わかった。あやまらなきゃよかったんだ。彼に必要だったものは、自分を納得させる程度の練習と、ミスを笑い飛ばす不遜な態度だったのだ。...あれ、何か変だな。もう少し良い話になるはずだったのだが。

れんしゅう【練習】[名詞](別定義)(補遺)
 失敗したときの本番。照れ隠しや弁明で使われる語法の一種。仮にもプロなら、客から金を取ったステージで「練習」してはいけない。

れんたる【レンタル】[名詞]
 英語の「rental 貸し出し/貸し出しするもの」。音楽・映像メディアにおいて、レコードの時代からDVDに至るまで、レンタル業界が果たしてきた役割は大きい。「買わなくても聴ける」「コピーして残せる」。このことが、音楽メディアの価値や重みを徐々に下落させていく大きな要因になった。おかげで、大して好きでもないアーティストのアルバムが手軽に聴けるようになった。そんなことを繰り返していると、やがてほとんどのアーティストに関心がなくなってしまう。レンタルならまだいい。現在では、図書館、さらにインターネットなど、音楽をほとんど無料で楽しめる機会が飛躍的に増えた。特にネットでのファイル交換は、悪質な犯罪にまで発展している。正規のレンタル料すら払わずにアルバムを聴くことができるという不思議なシステムは、ミュージシャンにとってもレコード店にとっても大いなる脅威。八百屋にとっての野菜や、パン屋にとってのパンと同じく、私たちミュージシャンは自分のアルバムを売って生計を立てている。遊び半分でつまみ食いされてはたまらない。しかし、こういうことが起こるのはミュージシャンの人気の裏返しでもある。私のようにそれほどメジャーではないミュージシャンにとっては、正直あまり関係のない話かも知れない。例えば私の曲を仮にネットで流しても、わざわざ検索してそこにたどり着く人はほとんどいないだろうし、しかも私のCDは枚数が少なくほぼ手売りなので、流す以前に手に入れようという気が起こりにくい。以前一度、とあるネットオークションで私のCDと楽譜が中古で出品されたことがあったが、実はドキドキしながらその珍しい出来事の成り行きを見守っていたのである。せめて高額で取り引きされることを望みながら。

れんちゅう【連中】[名詞]
 「奴ら」と同じような意味の言葉だが、微妙に意味が異なる。こっちの方はまるでムカデの足のように連なって歩いていて、更正させるのが難しそうな不良の印象が強い。マニアックな評論家たちは、あるアーティストの文化的背景を論じる際に、彼の属するコミュニティー構成員全般を「あの連中」呼ばわりすることがある。会ったこともない人たちにこんな失礼なことを言う連中とは、いい友達になれない。→奴ら。

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