アイヌ語地名文法の部屋(2002年8月7日更新)

 ここは、地名に関する文法や語彙を勉強するための部屋です。より正確を期すために、特定の箇所を予告無く推敲することもありますので、ご了承下さい。

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目次

  アイヌ語地名の文法について

    地名の構文

    地名における、文法上の注意点

1.「形式名詞」に気をつけること

2.「動詞の項」に気をつけること

3.「名詞を修飾する名詞」に気をつけること

4.「動詞の接頭辞」に気をつけること

5.「名詞の連続」に気をつけること

6.「音韻変化」に気をつけること

  地名でよく使われる語彙について

    1.動詞 アン アッ オマ ウンオッまとめ

    2.名詞 川を表す言葉

岬を表す言葉 《五十音順》

@
アイカ
A
アネ NEW!!
B エサウシ(エサシ) NEW!!
C エサン
 * エサンケイ(エサキ) → L
D エトゥ
E エホルシ
F エンル

G
系の語
H チケ

I トゥ
J
ノッ
K プイ
L ヘサンケイ(ヘサキ)
M ペ
系の語
N ホアシ
 * ル
→ F

 

  地名の固有名詞化について

 

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 アイヌ語地名の文法について

 アイヌ語を勉強するきっかけが、地名への興味からだったという人は多いと思います。私もその一人です。今までにいろいろな地名解が世に出てきたのですが、中にはアイヌ語の文法をよく知らないために、アイヌ語として無理な形の地名解になっているものも散見されます。

 地名の文法といっても、アイヌ語であることに違いはないので、それはアイヌ語文法の一つなのです(当たり前ですね)。ただし、地名には地名ならではの語彙や構文があるので、ここではそういう点を中心に解説したいと思います。なお、地名の例は、わたしの知っている例を中心に挙げています。(ここは後から追加した記述で、文章が突然デス・マス調になっています。ご容赦下さい。)

 なお、主な参考文献は、アイヌ語の部屋メインページで挙げた他に以下のものがあります。

・『北海道蝦夷語地名解』(1984、初版復刻)永田方正著 草風館
・『アイヌ語入門』(1986、復刻2刷)知里真志保著 北海道出版企画センター
・『地名アイヌ語小辞典』(1988、復刻3刷)知里真志保著 北海道出版企画センター
・『北海道の地名』(1988、3版)山田秀三著 北海道新聞社
・『データベースアイヌ語地名1』(1997)榊原正文編著 北海道出版企画センター

・地名の構文

 まず、アイヌ語地名の構文の種類は、大きく分けて4つに区別できると思います。

1.動詞を含む名詞句
(「名詞で終わっている文」と言い換えてもいいでしょう)

 真駒内(mak oma nay 奥・〜にある・沢)
 熊碓(kuma us i 魚干し竿・〜にたくさんある・所)
 ニセコ(nisey ko an pet 峡谷・に向かって・ある・川)
 オプタテシケヌプリ(op ta teske nupuri 槍・そこで・逸れた・山)
 幌尻(poro sir 大きな・山)
 古平(hure pira 赤い・崖)
 礼文(repun sir 沖の・山←rep un sir 沖・〜にある・山)

2.名詞単独、または名詞+名詞...

 奈井江(naye その沢)
 カムイコタン(kamuy kotan 魔・村)
 歌棄(ota sut 砂浜・ふもと)
 星置(so poki 滝・〜の下)

3.文
(形の上では動詞で終わっている地名。名詞句の結びの部分が省略されたか、または自動詞が名詞として使われていると思われます)

 あいかっぷ(aykap (通行)できない)
 手稲(teyne (i) 濡れている(所))
 札幌(豊平川)(sat poro (pet) 乾いた大きい(川))

4.未解明のもの

 小樽(ota ru? nay 砂・?・沢)
 オコバチ川(okobaci ?)

 

・地名における、文法上の注意点

 地名は、上の2に示したような名詞だけで構成されているものを除けば、ほとんどが一つの立派な文章と見ることができます。よって、アイヌ語の構文法に従って言葉を選ばなければなりません。地名解をする上で必要な文法上の知識を、以下に思いつくまま列挙していきましょう。

 

 1.「形式名詞」に気をつけること

 アイヌ語の「形式名詞」と呼ばれる名詞化助詞(動詞を名詞化する助詞で、単独では使えません。pe, p, hi, i, hike, ike, kur など)は、地名によく出てくるおなじみの言葉です。この「形式名詞」は、普通は動詞のすぐ後ろにしか付きません。よって、勝手に語順を入れ替えたり、動詞以外の言葉の後に付けることはできません(厳密に言えば、連体詞の後ろにも付きます)。

 kuma us i 魚干し竿・〜にたくさんある・所
 masar ka oma p 浜の草原・の上・〜にある・もの
 repun kur tomari 沖の・人・港(←rep un 沖・〜にある)

 例えば、星置(ほしおき)について、pes pok i(崖の・下の・もの)という地名解もありますが、形式名詞 i が位置名詞 pok の次に来るという解釈はできません。形式名詞 i の前には、必ず動詞が来なければなりません。もしこの解を生かすとすれば、位置名詞 pok の所属形 poki でなければ文法的に破綻するのです(星置の解については、私も当初自説をここで紹介していましたが、不完全だということがわかったので、現在検討中です)。

 もう一つ、忘れてはいけないことは、pe と p の使い分けです。これらは同じ言葉の異形同士なのですが、直前の動詞の語尾が開音節なら p、閉音節なら pe になります。

 masar ka oma p 浜の草原・の上・〜にある・もの
 inkar us pe 見物・〜をよくする・もの

 これら形式名詞の用法に気をつけるだけで、文法的に間違った地名解は未然に防止できると思います。

 なお、形式名詞とよく誤解されますが、名詞的語根を強調する接尾辞「-ke」という言葉があります。これは、多くの位置名詞、一部の所属形名詞・所属形副詞・連体詞に接尾して、その位置や意味を強調する働きを持ちます。

 例1:「nisey-ke 峡谷の所」「rep-ke 沖の所」「ar-ke 片方」

 これ自身は、単独では使えません。また、上の形式名詞とは用法が異なり、動詞には付きません(動詞の接尾辞 -ke は、これとは別の言葉です)。「所」「部分」などと訳さざるを得ないのですが、そのために形式名詞と同じように解釈してしまう人が多いのです。
 なお、これが付いた所属形名詞に、さらに所属形語尾(長形)が付くことも出来ます。

 例2:「kasi-ke-he その上」「sama-ke-he その側」「rapoki-ke-he その頃」

 

 2.「動詞の項」に気をつけること

 アイヌ語は、繰り返しますが自動詞と他動詞の区別がとても厳格です。動詞の取る名詞の数のことを、アイヌ語文法では「項」という単位で表すことがあります
 例えば、次の例では、存在を示す「oma 〜にある」という2項動詞(他動詞)が使われています。

 mak oma nay 奥・〜にある・沢

 これを、同じように存在を示す「an ある」という1項動詞(自動詞)に置き換えることはできません。意味が似ていても、項の数が合わないような使い方はできないのです。もしどうしても an を使うとすれば、理屈では次のように格助詞などを使って言い回すことが必要です(ただ、こういう地名が実際にあるかどうかはわかりません)。

 mak ta an nay 奥・に・ある・沢

 わからないときには、地名の語順を入れ替えて文にしてみましょう。文が成り立てばOKです。

 nay mak oma 沢・奥・〜にある(2項動詞に2つの名詞でOK)
 mak ta nay an 奥・に・沢・ある(1項動詞に1つの名詞でOK)

 ただ、この方法は、結びが形式名詞(pe や i など)の地名なら、語順の入れ替えができない(前項参照)ので不適です。いずれの場合も、動詞の取り得る項の数と、実際の名詞の数が合っているかどうかを確認するだけなので、簡単にチェックできます。

 

 3.「名詞を修飾する名詞」に気をつけること

 では、別の例も見てみましょう。
 次の地名では、「wen 悪い」という1項動詞が使われています。

 oro wen nay その中・悪い・沢

 ここで、2と比較してみると、「何で名詞が二つあるんだ、自動詞なのに」と思う人も多いでしょう。しかし今度は、名詞の種類が関係してきます。oro 「〜の所(中)」は位置名詞 or の所属形です。所属形名詞は、所属元の名詞(ここではnay)を修飾する言葉なので、ペアで一つの意味をなしています。そのため、これは全体として一つの名詞と見ることができるのです。
 先ほどと同じように、これを文にしてみましょう。こういう文は、普通の会話にもたくさん出てきます。

 nay oro wen 沢・〜の中・悪い(1項動詞に1つの名詞でOK)

 ただし名詞は、場合によっては、概念形のまま別の名詞を修飾することもあります。これは、所属形のところで説明した「一般的なものの場合には概念形を使う」というルールに準じるものです。この場合「名詞+名詞=1つの名詞」となり、以下のような形になります。

 pira kes 崖・端(kes の所属形は kese)
 kamuy kotan 魔・村(kotan の所属形は kotanu または kotani)
 sir pok 山・下(pok の所属形は poki)

 なお、先の星置の解では so poki となっています。地名研究の大家・永田方正は、so pok という解釈をしています。一般的な名詞句としてみるか、目の前に見えているときのような具体的な言い方としてみるかの違いはあっても、おそらくどちらも通じたのでしょう。

 

 4.「動詞の接頭辞」に気をつけること

 アイヌ語には、動詞に付く「接頭辞」と呼ばれる言葉がたくさんあります。ここでは、大まかに四種類に区別してみました。なお、名詞に付く連体詞(大小を表す si, mo など)は、これらとは別のものです。

(1)動詞の項を1つ増やす、格を表す接頭辞

 e(〜に、〜を、〜で)、ko(〜に対して、〜に向かって、〜と一緒に)、o(〜[場所]で、〜に)など。動詞にこれが付くと、1項動詞は2項動詞に、2項動詞は3項動詞になります。3項動詞に付いた例は、私は知りません。

 kamuy e-rok i 神・〜(そこ)で・お座りになる・所
 nisey ko-an pet 峡谷・に向かって・ある・川
 cip o-yan us i 舟・〜(そこ)で・上陸する・〜をよくする・所

 

(2)動詞の項を1つ減らす、名詞的な接頭辞

 u(お互い)、si(自分)、yay(自ら)、i(それ)など。動詞にこれが付くと、3項動詞は2項動詞に、2項動詞は1項動詞になります。1項動詞には、そのままでは普通付きません。

 u pak pet お互い・〜を比べる・川
 si kari pet 自分・〜を回す・川
 i ma nit それ(魚)・〜を焼く・串

 

(3)動詞の項を変えない、所属形名詞的な接頭辞

 e(〜の頭)、o(〜の尻)。地名ではよく出てくる言葉で、目的語になる名詞を接頭辞と2項動詞でサンドイッチにするという構文でよく使われます。この e と o は、接頭辞の中でも特別なものと見ていいでしょう。

 o sunku us i 〜の尻・エゾマツ・〜に群生する・所
  「その尻にエゾマツが群生する所」

 e sa us i 〜の頭・前・〜につく・所
  「その頭が前(浜)に付いている所」

 

(4)動詞の項を変えない、副詞的な接頭辞

 si(本当に)、ar(全く)、ru(やや)など。

 

 これらの動詞の接頭辞は、それぞれの役割にしたがって使わなければなりません。また特に、(3)と(1)の e と o は同形なので、注意すべきです。例えば次の地名は、(1)と(2)と(3)の接頭辞がいっぺんに出てくる例です。

 pet e u ko opi i 川・〜の頭・お互い・〜に対して・〜を去る・所
  「川がお互いに先を分かつ所」

 この e は、(1)ではなく(3)に当たると解さなければ、動詞の項数が合わなくなります。

 

 5.「名詞の連続」に気をつけること

 先に紹介したアイヌ語地名の構文で、2の「名詞だけで構成されている地名」をもう少し詳しく見ていきましょう。
 例えば次のような地名解があります。

 koy ca pake 波の・(川)岸の・頭 「出崎の突端の崖」

 過去の資料では「コイチヤツケ」「コイチヤハケ」「エイチツケ」と記されているという地名ですが、この解では名詞が連続しています。そのうち、「ca」と「pake」は二つとも位置名詞です。位置名詞同士が二つ連続することは無い、と言い切るのは乱暴かも知れませんが、私はそういう例を知りません。位置は、特定するために示すものなので、普通は一つと考えられます。アイヌ語は位置を表す名詞がかなり豊富な言葉なので、なおさらです。例えば、「頭の上」は sapa ka とは普通言わずに kankitay といいます。

 また、ca に似た言葉 ya(岸)は沙流方言でも普通に使いますが、こういう位置名詞は、他の名詞を修飾する語にはなっても、自らが他の言葉に修飾されることはまずありません(例えば、「ya teksam 岸のそば」とか「poro ya 大きな岸」などと言うことはできません)。そういう意味では、普通の名詞よりも独立性が弱い言葉だと言えます。なお、何が位置名詞で何がそうでないか、すぐにはわからないときもあるので、辞書をお持ちの方はそれで確認しましょう。

 さて、コイチヤツケに戻りましょう。難しい地名ですが、同じ koy を使うなら、例えば koy ca-ke(波・岸?)または koy cak-ke(波・チャクチャクいう?)とする方がまだ破綻が少ないです。

 次に、もっと微妙な例をご紹介しましょう。名寄(過去の資料に「ナヨロフト」とあります)の地名解として以下の説があります。

 nay or putu 川・の処の・口

 一見いいように思えますが、これも「or」「putu」と位置名詞が連続しているため、このままでは使えません。nay という「モノ」に口はあっても、nay or という「場所」に口を付けることはできないのです。もし普通に川口を言うならば、「nay put 沢・の口」または「nay putu 沢・の口」となり、実際にそういう地名もあります。よって、もし地名ナヨロフトを解釈するならば、まずナヨロという川の名が先にできたものとして、その後で以下の形になったと考えなければなりません。

 nay-oro putu ナヨロ(「nay oro 沢・の所」を一つの川名として使っている)・の口

 一方、同じ名詞の連続でも、普通名詞同士、または普通名詞+位置名詞の連続はかなり頻繁にあります。ここは「名詞を修飾する名詞」の注意点と同じです。先のナヨロフトのように、それだけ見ると文法的におかしく見えそうでも、複数の構文を使っているものと考えれば当てはまるものもあります。例えば以下のように。

 ru pes pe nay ルベシベ・沢
  「ru pes pe 道・〜に沿って下る・もの」を一つの名詞句と見なし、名詞+名詞の構文で使っている例。

 ただ、気をつけたいのは、普通のアイヌ語地名は、多くが動詞を核にした名詞句の構文を持つという事。名詞+名詞の構文は、アイヌ語文法を知らない人にも簡単にわかるので、時として乱用されます。その結果、何だかよくわからない地名解を生むことがあるのです。例えば、未だに定説がない小樽の語源解で、以下のようなものがあります。

 ota ru nay 砂浜・道・沢

 確かに個々の言葉の意味は合っていますが、今一つイメージが湧きません。異なる意味の名詞が3つも出てきて動詞が全然ないため、相互のつながりがよくないのです。わかりやすく的確な叙述が魅力のアイヌ語地名で、こういう例はほとんどないと思います。私なら、後述する音韻変化(連続母音の片方省略)を考慮して、以下のように単純に考えます。楽譜『クライマックス・ラグ』での解釈「ota or o nay 砂浜・の所・〜についている・沢」の o が u に転訛したという説よりは、こっちの方がよいと思います。

 ota or un nay 砂浜・の所・〜にある・沢

 このように、名詞を二つ以上並べる前に、並べる名詞の相互関係を検討することが必要なときがあります。

 

 6.「音韻変化」に気をつけること

 知里真志保の不朽の名著『アイヌ語入門』は、今まで私が書いた地名関連の文法がほとんど書いてありますが、改めて見るとその内容の濃さと情報量、そしてわかりやすさに圧倒されます。そこでは、音韻変化(音素交替とも)についても大変詳しい規則が網羅されています。ここでは、彼に敬意を表し、その規則をまとめて私なりに整理しました。ただし音韻変化には、必然性の高いものと低いものがあり、すべてが必ず変化するとは限りません。それは方言によっても異なります。また、これらは異なる語根間でのみ起こり得る現象で、例えば teeta のようにこれ以上語分解できないものが@ に従って teta と発音するようなことはありません。また、煩雑になるので、ここでは「'」(喉頭破裂音)は考慮に入れません。

(1)音韻脱落

 @ 同じ母音が連続すると、それを一つに発音しやすい。
 A 違う母音が連続すると、初めの母音を落としやすい
。(注:まれに、後の母音が落ちることもあります。普通は、後の母音が i, u の場合、重母音として y, w と子音化することが多いのですが、地名にそういう例は少ないようです。これは地名ならではの傾向でしょう。なお(2)も参照のこと。)
 B 同じ子音が連続すると、それを一つに発音しやすい。
 C 子音に続く h は落ちやすい。
 D 子音に続く y は落ちやすい。
 E 東北部の方言では、語頭の h は落ちやすい。

(2)音韻添加

 @ i + (a, u, e, o) → i + y + (a, u, e, o)
 A u + (a, e, o) → u + w + (a, e, o)
 この y, w を「わたり音」という。

(3)音韻転化

 @ n + m → m + m 
 A n + p → m + p 
 B n + y → y + y 
 C n + s → y + s 
 D r + n → n + n 
 E r + r → n + r 
 F r + t → t + t 
 G r + c → t + c 
 H t + i → c + i 
 I s + t → c + t 
 J p, k, t が連続すると、前のものが後のものに同化してしまう
(東北部の方言)
 K p, k, t が s の前に来ると、s に同化することがある。
 L w + n(m) → m + n(m) 
(沙流方言)
 M m + k → n + k (地名の中で)

(4)音韻転倒

 例1:askepet 指 → aspeket
 例2:puyar 窓 → puray
 例3:iyoci(i ot i それ(蛇)・〜がたくさんある・所) → yoici

 

 地名でよく使われる語彙について

 アイヌ語地名の解に必要な知識として、地名によく使われる語彙について勉強することは、とても意味のあることです。語彙の意味範囲を正しくつかむことが、文法上の注意点とは別の制約を地名解に与えることになります。アイヌ語の文法を間違えてはいけないのはもちろんですが、それと同じくらい「意味がその成立を許さない」という地名解が結構多いのではないかと思うのです。

 例えば、アイヌ語地名解説における最も優れた業績の一つである、山田秀三さんの『北海道の地名』を出版した北海道新聞社が、『各駅停車 全国歴史散歩 北海道』という観光ガイド本も出しています(昭和61年4版)。そこでは、語彙の知識が正しくないために誤った意味に取ったり、余計な意味を付け加えたりする解がかなりあります。「ユックミンダラ 鹿の泉の踊場(朝里川温泉付近の地名解)」「サッ・テキ・ナイ 川の水が夏になるとやせる状態(札的の解)」「シャラ 広い砂地(渡島砂原の解)」などはまだましな方で、湧別が「ユペッ 魚の多いところ」になったり、幌毛志が「ホロケウ・ウシ オオカミの多くいるところ」になったり、余市が「イヨティーン(?)」になったり、どう解釈すればそういう意味になるのか教えてもらいたいものも散見できます。過去の地名解を参考にしているはずなのに、どうしてこうなるのでしょう。

 「yuk mintar 鹿・庭」に泉の意味はありません。「sattek nay やせた・川」の sattek を途中で切ってしまう理由がわかりません。「sar 湿原、しげみなど」に砂地の意味はありません。魚は「cep」で、「yu pet 温泉・川」のどこを突っついてみても魚は出てきそうにありません。後述しますが「horkew オオカミ」は「us」の目的語になり得ません。「i ot i それ(蛇)・〜がたくさんある・所」が、まるでライディーンのように外国語風に発音されてしまういわれは全くありません。

 さて、前置きが長くなりましたが、明らかにすれば後々便利な基本単語の意味を、辞書や過去の地名解なども参考にしながら、より注意深く勉強していきたいと思います。ただ、全ての基本単語を紹介することなどとてもできませんので、ここでは動詞、名詞の項に分け、動詞は「存在を表す動詞」、名詞は「形式名詞(ちょっとしつこいですが、誤用されることが一番多いものなので念を押します)」「川と岬を表す名詞」にとりあえず限定して解説することにします。これだけで一冊本が書けてしまいそうですから、なるべくささっと簡単にいきます。

 

 1.動 詞

 アイヌ語地名の動詞の中でも、かなめとなるのは「存在を表す動詞」です。アイヌ語では、存在を表す語彙が日本語より豊富で、そのいろいろな様子を的確に表現できます。

 「1項動詞(自動詞)」「2項動詞(他動詞)」の順に挙げます。
 
ここで改めて「項」という言葉を説明しますと、動詞の取り得る名詞の数の単位です。アイヌ語は、日本語の「自動詞」「他動詞」のような意味的な区別を示唆する分類より、項の数を表す「1項動詞」「2項動詞」のような分類の方が、ある意味で的確です。なぜなら、後述する2項動詞の oma などは、意味的には「場所目的語を取る自動詞」とも言えるし、逆に日本語の意味で言えばどう考えても他動詞にしかならない「yapkir 投げる」という1項動詞の例もあるからです。ただし、一般には定着していない言葉だと思いますので、このホームページでは場合に応じて使い分けています。

 

 ・アン an[1項動詞]

 普通は「ある」と訳されます。日常語では最も普通に「存在」を表す言葉です。
  suma an 石がある。

 これは単数形です。複数形は oka【沙流・千歳】, okay【その他】ですが、両方の形を使う地方もあります(複数についてはアイヌ語の部屋メインページでさらに詳述予定)。また、反対語は「isam ない」です。an は、意味が許す限り人称変化できます。ただ、地名で1項動詞が人称変化した例は寡聞にして知りません。

 さて an は、意志のない物体だけではなく、意志のある者、抽象・具象を含め様々な名詞を主語に取り得るので、日本語の「ある」よりずっと意味の広い単語です。もちろん人間も例外ではないので、「いる」、また場合によって「住む」とも訳せます。
  aynu an 男がいる。

 観念的なものや、ある出来事なども主語に持ってくることもできるので、場合によっていろいろな意訳もできます。
  maratto an 熊送りの宴が催される。
  hattoho an 禁止令が出る。  

 また、少し難しくなりますが、アイヌ語の動詞は「状態」と「変化の過程」を区別しません。このことは肝に銘じておきたい、全てのアイヌ語動詞に通じる大きな特色です。
 わかりやすい例で言えば、「hure 赤い」は、「赤くなる」という意味にもなりますので、アイヌ語では形容詞という品詞分類がなく、全て動詞の仲間なのです。
 同じように、an についてもただ「ある」だけでなく「なる」と訳せる場合が出てきます。日本語の感覚で言えば、ここに「ne 〜である、〜になる」を使いたいときもあるのですが、これは日本語の直訳からの類推では説明できない、アイヌ語独自の感覚です。
  paykar an 春になる。
  isimne an 翌日になる。
  kem an 飢饉になる。

 そう考えれば、場合によって「生まれた」という訳もできることは、「なかったものがあるようになった」ということで、それほど奇妙なことではありません。
  hekaci an 子供が生まれた。

 さらに、an はいろいろな名詞を主語に取り得るため、合成語の核としても頻繁に利用されます。
  keraan おいしい、おいしくなる[kera an 味・ある]
  eraman 〜をわかる、〜を勉強する[e-ramu-an 〜について・〜の心・ある]

 さてこの辺で、地名解に役立つ観点からも解説しましょう。
 an は、いろいろな名詞を主語に取り得るとは言っても、他の1項動詞と全く同様に、「場所を表す名詞」は主語に取りません(モノと場所の区別については、「アイヌ語の部屋」文法解説参照のこと)。
 例えば、モノ名詞「cise 家」を使って「cise an 家がある」とは言えますが、場所名詞「uni 〜の家」を cise の代わりにして「uni an 家がある」とすることはできません。「場所を表す名詞」は、その意味から言っても、動詞の主語ではなく補語(場所を示す目的語)になろうとするからです。
 よって、場所名詞や位置名詞のすぐ後にこの an を付けているような地名解は、だいたい否定することができます(ただし、前の名詞が所属形になったときには、この限りではありません)。また、繰り返しますが「項」の数も合わなければアイヌ語の形になりません。

 例えば、『北海道の地名』の解として紹介されている以下の例があります。これらは、日本語の意味は通っているため一見いいように見えますが、このままではアイヌ語としてありえない、疑わしい形です。

× noru an nay  クマの足跡・ある・川
× mem an pet  泉池・ある・川
× o sarki an nay  〜の尻・芦・ある・川
× rucis an pet  峠・ある・川
× so an nay  滝・ある・川
× kut ka an nay  崖・の上・ある・川

 こういう文法チェックなら、きちんとアイヌ語を勉強すれば簡単にできます。その結果、これらの地名解は、何かが間違っていたり、音韻変化や転訛を見落としている、などと推測できるのです。比較的新しく作られたアイヌ語地名の中に、文法が破綻している例があることは『アイヌ語入門』でも紹介されていますが、これは一部の例外、地名解の順番から言えば「最後の手段」と見るべきでしょう。

 「an」を使った地名解に名詞が2つ以上必要なときは、大まかに分けて以下の3つの方法を使うのが正解です。これは全ての1項動詞にも言えることです。
 なお、地名の例は『北海道の地名』より。

@ 格助詞を使う[un(〜へ)、ta(〜に)、wa(〜から、地名では「ta」と同じように使っている例もあります)など]。
  not osmak ta an nay  岬・の後ろ・に・ある・川
  pana wa an rupespe  川下の方・に・ある・山越え道

A 格を表す動詞の接頭辞を使う
  nisey ko-an pet  峡谷・に向かって・ある・川 
  pira ko-an pet  崖・に向かって・ある・川
  tapkop e-an nay  たんこぶ山・に・ある・川

B 「名詞を修飾する名詞」を使う
   例えば「kera an pe 〜の味・ある・もの → おいしいもの」のような構文になります。ただ、『北海道の地名』で「an」を使ったこういう構文の例は探せませんでした。

 何の問題もないほど簡単に使ってしまいそうな「an」ですが、少なくとも以上の点に気をつけて使いたいものです。

 

 ・アッ at[1項動詞]

 先の「アン」に比べると、主語がかなり限定されていて、それほど応用の利かない動詞です。「光」「におい」「煙」「ごちゃごちゃといる動物や人間」などを主語に取ります。その取る主語によって、様々に意訳されます。
  nupeki at 光る。
  hura at におう。
  heroki at ニシンが群来(くき)る。
  etutanne at 蚊が多い。
  aynu at 人が大勢いる。

 知里真志保はこういう動詞を、ot や o, us, as を含めて「群在する」という意味を持つとしています。では「光」も「におい」も複数として捉えられているかというと、そんなことはありません(複数についてはアイヌ語の部屋メインページでさらに詳述予定)。また、群在するものなら何でも「at」を使えるかというと、そうでもありません。例えば、植物や石など動かないものがいくら群在していても「at」の主語にはなりません。また、同じわらわらと群在する動物でも、「urki シラミ」のように「o」を使うものもあります。仮に「群在」を表す動詞だとしても、別な言葉でかつ別な用法がある以上、その意味も別であると考えた方が自然です。

 仮に、私なりの小難しい意味の定義をすれば、at は特に複数を表すのではなく「次々と連続する」という存在の仕方を指していると言えるでしょうか。シカや魚などの動物がそういう状態になるためには、必然的に多数を必要とするので、結果的に「たくさんいる」ということになるのだ、と考えてみました。
 しかし、「じゃあホースから出てくる水は at することになるのか」とか、いろいろ突っ込まれそうなので、あまり深く考えないでおきましょう。何だかわからない話はさておき、どういう名詞を主語に取るかはだいたい決まっているので、上に挙げた例を元に、辞書の用例などで覚えた方が間違いありません。

 地名の例は少ないようで、『北海道の地名』では、確実に言える例は以下の一つだけでした。特に地名ならではの用法というものはないようです。
   hura at nay  〜の匂い・する・川

 勝納(かつない)の地名解で、この「at」を使っているもの(at tomari 群れる・港)がありますが、疑わしいと私は見ています。これは「小樽市近辺のアイヌ語地名解」の蘭島の項でも触れました。

 

 ・オマ oma[2項動詞]

 特に地名において最も普通に使われる、存在を表す動詞。例がいっぱいあります。
 「an」と違うのは、主語以外に場所目的語となる名詞を取ることができる点です。「何がどこにある」ということを一語でいっぺんに表現できる動詞なので、地名の形成にはとても便利です。一方、日常会話では「an」で格助詞を使った言い回しをするために、そんなに多くは出てこない言葉です。むしろ、使役形の「omare 〜を〜に入れる」という3項動詞の方をよく使います。
 普通は、「〜にある」と訳されます。もちろん、先の「an」の説明と同じように考えれば、場合によっては「〜に出る」「〜に現れる」などの訳語を使っても同じことです。

 場所目的語を直接取るのが、この動詞の最大の特徴です。つまり、an では許されなかった場所名詞や位置名詞のすぐ後にも付きます。下の例がそれを明らかにしています。以下、『北海道の地名』より。
  tes ya oma nay 梁・の岸・〜にある・川
  tusir pa oma nay 墓・の上手・〜にある・川
  e pis oma Satporo 〜の頭・浜の方・〜にある・サッポロ川

 後で解説する別の2項動詞にも、場所目的語を直接取り得るものがありますが、それらと比較してもその頻度はかなり高いように思えます。
 またオマは、場所を指し示すことのない普通の名詞も取ることができますが、その場合はどうやら主語の方が場所として扱われているようで、結びが場所を示す形式名詞「i」「p」になるパターンがかなり多いです。つまり、主語と目的語のどちらかが「場所」として認識されるということが言えるのです。
  suma oma p 石・〜にある・もの
  o tatni oma p 〜の尻・樺の木・〜にある・もの
  nusa oma i 幣場・〜にある・所
  toma oma i えんごさく・〜にある・所
  ku oma i 仕掛け弓・〜にある・所

 しかし『アイヌ語入門』などに次の例もあるので、主語も目的語も「モノ名詞」であることもできる?ようです。
  surku oma nay トリカブト・〜にある・川
  ranko oma nay カツラの木・〜にある・川
  puy oma suma 穴・〜にある・岩

 合成語でも、次のような例があります。
  ita oma cip 板・〜にある・舟

 オマにこのような「us」や「o」に準じる使い方があることは、私にはどうにも奇妙に思えます。特に日常語ではほとんど場所名詞をとる言葉なので、少し疑わしい形ではないかとも思ってしまいます。上の例では「nay 川」「cip 舟」を場所名詞と見ないといけなくなるのですが、実際は2つともモノ名詞であり、ちょっと(知里真志保の表現を借りれば)ブロークンな感じを持つのです。永田地名解にも、こういう形は多いようです。
 少なくとも、オマを使っているのに主語も目的語も「モノ名詞」という地名解になったら、「あれっ?」と首をひねってみることにしましょう。別の解が見つかるかも知れません。
 この件に関しては、私も断言はできないので、識者のご指摘を待ちます。

 さて、その他の文法上の注意点を。
 オマは2項動詞なので、どうしても名詞を2つだけ要求します。1項動詞が名詞を2つ取れないのと同じく、2項動詞も名詞を1つだけとか3ついっぺんにとか、でたらめに取ることはできないのです。名詞の数のチェックは忘れずに。また、その名詞には、植物や無生物が主に使われます。動物の例はほとんどありません。『アイヌ語入門』には「nona oma i ウニ・〜にある・所」があっただけです。一応ウニも動物ですが、あまり能動的なものとは感じません。これはこのオマが、ただ存在を表すというよりも「位置関係を説明する言葉」であることを示すものです。

 知里真志保、そして現在の田村すず子は、この「oma」を単数と見て、他にも多用な意味を持つ「o」の用法の一部を oma の複数と見ています。
  hup oma おできが一つある?「おできがある」
  hup o おできがいっぱいある?「おできが一面に付いている」

 確かにある部分は共通しますが、私は必ずしもそう思いません。後述しますが「o」は、名詞が場所であることを必ず要求する動詞ではないと言えるのです。さらに、地名では単数複数の考え方が適用できないことは、知里真志保も明らかにしていることで、それを「口語になって変化した」と見る積極的理由は特にないように思えます。しかし長くなりそうなので、ここでその詮議はやめておきましょう。
 興味のある方は、メールでお問い合わせ下さい。

 

 ・オ o[2項動詞]

 オマと同じく、地名でよく使われる動詞です(ややこしいことに、同じ形で3項動詞のオもありますが、ここでは触れません)。オマよりはるかにいろんな意味があり、意訳もいっぱいある言葉です。

 まず、そのオマとまったく同じ用法で、「〜にある」という訳ができる場合があります。なぜここでオマを使わないのかと言われると困ってしまうケースです。
  nup ka o pet 野原・の上・〜にある・川(『アイヌ語入門』より)
  pon ki ka o p 小さい・簾(す)・の上・〜にある・もの(田村辞典の例より)
  kim o pet 山の方・〜にある・川(『北海道の地名』より)

 また、これが一番多い例ですが、「〜に集まっている」「〜にたくさんある」「〜にたまっている→〜に入っている」などの「群在」を表す意味があります。その際の主語と目的語には、上の用法と異なり、場所名詞はあまり使われません。名詞には、無生物など動かないものが多く使われますが、「虫」「ダニ」などは対象になります。植物の場合は「寄り木」の例が多いことから見て、普通に生えているものを指すことはなく、むしろ資材としての植物に適用することが多いようです。これが、後述する「us」との決定的な相違点です。
 以下、『アイヌ語入門』より。
  net o nay 寄り木・〜に集まる・川
  sey o pet 貝・〜にたくさんある・川
  paraki o nay ダニ・〜にうようよいる・沢
  anrakor o nay クロユリの球根・〜にたくさんある・川
  upas o moy 雪・〜にたまっている・湾
  toy o i 土・〜にたまっている・所
  yam o saranip 栗・〜に入っている・袋(田村辞典の例より)

 そして、オは「〜に付いている」という意味も持ち、「(穴)が空いている」「(花)がつく」「(馬など)に乗る」などの意味を派生していきます。オの最初の用法は、この意味で捉えることもできますが、以下のように、オマと違ってモノ名詞を普通に使います。
  noyasar o pet ヨモギのやぶ・〜に付いている・川
  ru o nay 道・〜に付いている・川
  puy o suma 穴・〜に付いている・岩
  kut o sintoko 帯・〜に付いている・シントコ(千歳辞典などより)

 私は、この「〜に付いている」という意味が、2項動詞オのもともとの意味だったと思います。
 これは実を言うと、その大仰な文体とかなり独善的な内容で嫌われている『アイヌ語正典』(藤原聖明著、新泉社、1994年)という本の説とほぼ同じです。著者は、従来の説によほど恨みがあるらしくその批判には悪意すら感じてしまうので、2万円という値段と共に、初心者には勧められない本です。しかし意外かも知れませんが、私はいいと思った部分は取り入れるつもりです。

 日本語でもただ「付いている」と言っただけでは、全体にびっしり付いているのか、一部だけがくっついているのか、どのようにも取れることがあります。このオもそれと同じように、「びっしり付いている→そこにたくさんある」「一部がくっついている→そこにある」という、どちらにも取れる(つまり単数複数は関係ない)広い意味で使われている言葉なのだと思われるのです。そうでなければ、どうしていろいろなケースにこのオが出てくるのかを説明することが難しくなるのです。
 例えば、「puy o suma 穴・〜に付いている・岩」も、別に穴がいっぱい空いていなくてもこう言う地名があります。「puy oma suma 穴・〜にある・岩」という地名もあり、ほとんど同じ意味です。オの方の意味範囲が広く、オマの用法までカバーしているために、このようにオマがオと混同して使われている地名になったのかも知れません。

 道東で、以下の言葉があります。
  rikop < rik o p 高いところ・〜に[オ]している・もの →星
  rikomap < rik oma p 高いところ・〜に[オマ]している・もの →月

 これは、オがオマの複数であることを示す例としてよく紹介されますが、上に挙げたようなニュアンスで捉えれば、星は気がつけばびっしりと夜空にくっついているものであり、月はただ夜空にあるもの(または現れるもの)だという見方ができます。
 複数・単数の議論から離れ、オとオマを別の言葉と見て実際の使い方を勉強すると、もっと面白い発見があるかも知れません。

 

 ・ウン un[2項動詞]

 よく「〜にいる」「〜に入る」と訳される動詞です。
 上のオマやオと違うのは、主語には「動物(または人間)」を取り得るという点です。逆に、植物など動かないものの例はないようです。他の存在を表す2項動詞と同じく、目的語には場所名詞も使うことができます。このウンは、格助詞のウン(〜へ)の元だと言われています。
 以下、『アイヌ語入門』より。
  cep un nay 魚・〜に入る・川
  esaman un nay カワウソ・〜にいる・川
  cikap un nay 鳥・〜に入る・沢
  rep un kur 沖の方・〜にいる・人 → 外国人(千歳辞典などより)

 日常語で、家を表す場所名詞「uni 〜の家」があります。この語は、「un-i 〜にいる・所」という合成語です。よって他の場所名詞と違って所属形の形しか無いという、特殊な名詞です。

 また、ウンは「〜にはまる」「〜につく」とも訳される場合があります。この意味での使役形として、「unu 〜に〜をはめる」という3項動詞もあります。
  tek un pe 手・〜にはまる・もの → 手甲(千歳辞典などより)

 今の私たちから見た「無生物」も主語になりますが、どうやらその際、主語は擬人化されていて「生き物」「動くもの」と捉えられているようです
  kotan un pet 村・〜に入る・川
  pira utur un nay 崖・の間・〜に入る・川
  kut un nupuri 帯・〜にはまる・山
  kas un nay 仮小屋・〜につく・川
  rik un pet 高い所・〜にいる・川(『北海道の地名』より)
  o ican un pe 〜の尻・サケマスの産卵場・〜につく・もの(同上)

 ここで思い切り脱線しますが、美国の地名解を考えてみましょう(ここはいずれ、加筆して地名解のページに移す予定です)。
 北海道積丹町美国(びくに)の地名解の一つである「pi un i 小石・〜に入る・所」は、「なぜ piwka(小石原)、pitar(同)や pitoi(pit-o-i 小石・〜にたくさんある・所)などの形にならないのか?」という疑問が湧いてきます。
 石を表す p で始まる形の言葉は「pi」「pit」「pis」「poyna」「piwci(火打ち石より)」「pikew(小粒の石)」「pikot(ござ織り機から下げる小石)」などを探すことができましたが、「pik」という形はないようです。武四郎の資料は例外なく「ヒクニ」「ビクニ」の形から変化していないため、どうあっても「pikuni」が母体でなければ説明できません。「k」は落とせません。

 すると、『データベースアイヌ語地名1』の榊原さんの解「pikew-un-i 小粒の石・ある・もの(海岸)」という説は、音韻脱落をダブルで(まず二重母音化した子音「w」がその後の「u」に同化し、続いて e-u の e が落ちたと)考えれば、形としてあり得る優れた解だと思います。私もこの説を強く支持いたします。
 ただし、上記のように考えれば、「海岸を擬人化できるのか」という疑問が残ります。

 よって、私は榊原さんの説を補強する意味で、「海岸」ではなく、これは美国川の叙述だと限定した方がよいと考えました。つまり、「i」の部分を「nay」に読み替えて、「pikew-un-i 小粒の石・〜に入る・もの(川)」とすれば、ウンのその他の類例に意味がジャストフィットするのです。武四郎が「ヒクニヘツ」の語形を挙げているのは、例によって固有名詞化したビクニにさらに川の意味でヘツをつけたものだ、と解釈したいと思います。実際、地名はベツの無い形で残っています。

 

 ・ウ us[2項動詞]

 よく「〜についている」「〜に生えている」と訳される動詞。今まで出てきた動詞の中で、地名に登場する頻度が最も高いメジャーな単語です。他の存在を表す2項動詞と同じく、目的語には場所名詞も使うことができます。なお、今まで見てきた2項動詞にも通じることですが、主語と目的語の語順は、場所名詞や形式名詞以外はたやすく入れ替えることができるので、主語・目的語という分け方はあまり意味をなさないこともあります。

 最も多い用例は、「植物が生えている」ことを表す場合です。これだけで、全体の用例の多くが当てはまってしまうくらいです。特に群在していなくても、一本でも生えていればこの語が使えます。もちろん、髭や髪などの「毛が生えている」という時にも使います。
 以下、『アイヌ語入門』より。
 植物が後ろの場合
  kim us kina 山・〜に生えている・草
  nup ka us ki 野原・の上・〜に生えている・カヤ
 植物が前の場合
  hup us i トドマツ・〜に生えている・所
  kene us pet ハンノキ・〜に生えている・川
  o sunku us i 〜の尻・エゾマツ・〜に生えている・所
  sine sunku us i 一本の・エゾマツ・〜に生えている・所

 植物以外のものについては、先のオ「〜についている」「〜にある」に準じた使い方をしている場合があります。知里真志保は、「群在する」「(そこに)いつもある」のように記していますが、特にたくさんでなくてもいいのは植物の場合と同様です。要は、植物のように「くっついて動かない(固着している)」という印象で使われています。その意味で、動くものに使われることはあまりありません。
  cikapset us nay 鳥の巣・〜についている・沢
  uray us pet ヤナ・〜についている・川
  ota us nay 砂浜・〜についている・川
  iwan kotan o us nupuri 6つの・村・〜の尻・〜についている・山
  to etoko us pe 湖・の先・〜についている・もの

 また、すす、埃、垢、土、砂、粉などを使って「〜にまみれている」と訳せるときもあります。地名でこういう使い方をしている例はあまりないようです。
  upar us すす・〜にまみれている
  tur us 垢・〜にまみれている

 これで通常の2項動詞としての us の解説は終わりですが、その他に us には助動詞のような働きをしている場合もあります。動詞のすぐ後について、「〜でいつも〜している」「〜でよく〜している」という習慣の意味を付加するのです。ただし、その前の動詞は1項動詞か、名詞+2項動詞などの形になります。
  inkar us pe 見物する・〜でよく〜している・もの
   「そこでよく見物しているところ」
  kito ta us nay ギョージャニンニク・〜を掘る・〜でよく〜している・沢
   「そこでよくギョージャニンニクを掘っている沢」
  ni tuye us nay 木・〜を切る・〜でよく〜している・沢
   「そこでよく木を切っている沢」

 この場合、「見物する人」「ギョージャニンニクを掘る人」「木を切る人」とは誰か?というと、それはここでは全く問題にされていません。つまり、「us」の前が自動詞として、名詞扱いになっているものと考えることができます。こうすれば余計な人称を気にすることもないし、地名を簡単に作ることができます。そういう訳で、この「us」は助動詞ではなく、やはり2項動詞と考えることができます。
 「us」にこういう便利な使い方があるので、地名では人称接辞「ci=」「a=」の出てくる頻度は、日常会話に比べて極端に少ないのです。逆に日常会話では、こういう使い方はほとんど「usi 〜する所」という形式名詞にしか出てきません。

 

・オッ ot[2項動詞]

 特に地名と合成語でのみ使われる動詞。「〜にごちゃごちゃいる」「〜にしみ出る」などと訳されます。他の存在を表す2項動詞と同じく、目的語には場所名詞も使うことができます。
 上のウンに似ているのは、主語に「動物」を取り得る、植物などの例はほとんどないということです。ただし、動くものといっても人間の例はなく、もっぱら「魚」の例が多いようです。「muk ot i つるにんじん・オッする・所」という地名は例外的に植物ですが、どうも疑わしい形だと私は思っています。ただ永田地名解には、その他「suma ot pe 石・オッする・所」などの例外が見られますので(suma o pet の音韻倒置形のような気もしますが)、もう少し幅広い用例を集めた研究が必要かも知れません。
 以下、『アイヌ語入門』より。
 cep ot nay 魚・〜にごちゃごちゃいる・川
 supun ot nay ウグイ・〜にごちゃごちゃいる・川
 iyoci (i ot i) それ(蛇)・〜にごちゃごちゃいる・所
 cir ot i 鳥・〜にごちゃごちゃいる・所

 こういう例だけで言えば、まるで「at」が2項動詞になったように見えるのですが、それ以外にも次のような例があります。「wakka o i 水・〜に溜まっている・所」のような「o」に近い用法で、水や液体の存在を叙述しています。
 『アイヌ語入門』と『北海道の地名』より。
 nupki ot i 濁り水・〜にしみ出る・所
 rur ot i 海水・〜にしみ出る・所
 pe ot 汁・〜にしみ出る
 kem ot 血・〜にしみ出る
 ye ot 膿・〜にしみ出る

 こういう「液体」関連の成語が多いことと、「魚」または「水鳥?」の例が多い(というかほとんどそれだけである)ことは、偶然ではないような気がします。今まで見てきたいろいろな「存在動詞」は、それぞれに意味が微妙に違っていて住み分けされているのですが、この「ot」は「液体」をイメージしつつ使われるものと言えるかも知れません。
 なお、久保寺辞典ではこの「ot」は「ごちやごちやいる o の pl.」と書かれていますが、「o」の解説でも触れたように、語彙が違う以上は意味も違うのが自然です。私は商科大学出身で、言語学というものは勉強していないのですが、同じ意味で使われているように見える異形の言葉も、もとは別の出自を持つ以上、別の意味があったと見るのが自然であることくらいはわかります。言語学者はどうやら単数複数の議論をしたがる傾向があるようですが、この場合はそこから離れた方が賢明です。

 なお日常会話では、それとは全く異なる「〜に掛かる」という意味で使います。先とは全く逆の、語形は同じでも、意味が全然違うという言葉にも注意したいものです。
 以下、千歳辞典より。
 apa ot ki 戸・〜に掛かる・カヤ(入口に掛けてあるすだれ)
 ot-te 〜に〜を掛ける【3項動詞】

 さて、次が問題です。この「ot」に、「us」とほぼ同じ意味の助動詞的な用法があるということが『アイヌ語入門』『地名小辞典』で書かれています。
 o terke ot pe そこから・跳ぶ・のが常である・所
 nupur ot i にごる・のが常である・所

 しかし、こういう用法が実際に定着していたかどうかは、私にはすごぶる疑問なのです。結論から先にいうと、私はこういう用法を認めません。
 調べてみると、知里真志保が紹介している例以外の記述は、私の持っているどの辞典にもありませんでした。この二つの例の原典は永田地名解なのですが、そこには次のように書いてあります。
 oterekope, = o terekepe 川尻を躍(と)ぶ処
 (オテレコッペ川の地名解)
 nupuru ochi 濁処 松浦地図「ノポロ」に誤る。後人其の誤を受けて野津幌川と云ふは非なり。
 (野幌の地名解)

 そのうち、野幌の地名解の方は『北海道の地名』において山田さんに否定されています(「nup or o pet 野・の所・〜に付いている・川」という説)。オテレコッペ川の地名解は山田さんも知里説に従っていますが、その意味なら「o terke us pet 〜の尻・跳ぶ・〜をよくする・川」などのように、全道で用例の豊富な「us」をなぜ使ってはいけないのか、理由がわかりません。

 知里真志保も特異な地名だと思ったらしく、地名小辞典でオテコッペの単独の項を設けています。「「そこから対岸へ飛び越す習わしになっている所」の義。[<オ・テケ・オッ・ペ]……川岸が両方からすうっと寄って来て、川幅が急に狭くなり、岸に岩などがあって、対岸に飛び越すのに都合のいいような地形。そういう所では、よく人間の始祖神である巨人 サマィク の足跡だと言う凹みがあって、昔 サマィク がここから対岸へ飛び越えた所だ、などという伝説がからんでいる」。
 しかし、たとえ知里真志保という、私のようなアイヌ語研究者にとって神様のような人の地名解であっても、納得できない以上盲信はしません。更科源蔵のような説話じみた話が出てきては、なおさら変に思います。飛び越す所など他にもいくらでもあるでしょうに、他地域の類例もなく、そこだけがそういう名前になること自体が不自然に感じるのです。このままでは、何かすっきりしない疑問を、文字通り飛び越せないままです。

 私は、オテレコッペ川の地名解を、今のところ以下のように考えています。
 oterke ot pe カエル・〜にごちゃごちゃいる・もの
 oterke o pet カエル・〜にたくさんいる・川

 『分類アイヌ語辞典』などの辞書には記述がありませんが、バチェラー辞典にだけ「Otereke Common frog. 」とあり、「terkeype カエル」の代わりとして使えると思ったのです。バチェラー辞典は、知里真志保が徹底的に批判しているということと、数年前にアイヌ語辞書が続いて発刊したということもあり、あまり使われなくなってしまった感が強いのですが、今でも充分参考になるあなどれない資料です。カエルが実際にいたかどうかの検討も忘れてはいけませんが、今の私にはできません。少なくとも語形から言えば、このように取るしかなさそうです。

 また、留萌の解は、『北海道の地名』によるとこうなります。
 rur mo ot pe 潮汐が・静か・でいつもある・者(川)

 私は、その語形は正しいと思いますが、解釈は以下のようにとっています。
 rur mo ot pe 海水・静かに・〜にしみ出る・もの

 「mo 静かである」という1項動詞を、副詞的に使っていると考えました。この動詞は、単に音が静かということを表すだけでなく、「穏やかである」という意味を内包しています。なお「動詞+動詞」という形は、また別の問題を含んでいるので、ここでは深く掘り下げませんが、いつか別の所で取り上げます。
 私は十数年前に、一度だけ留萌に行ったことがありますが、ひどい時化でした。「波がいつも静か」なんて、皮肉な話にしか感じません。ここは、川に海水が逆流し、流れが遅く見えたという永田地名解などの説を考慮して、それに沿って再解釈したものです。これなら、むしろ海が時化た方が海水の逆流を生みやすいので好都合であると言えるし、川の流れが遅くなることを「mo」と見ることは可能です。さらに、疑問の「ot = 助動詞」を許容せずにすむので、私としてはすっきりします。
 とにかく、どの例も「ot」が液体イメージの言葉であることを裏付ける地名だと思うのです。

★ 地名でよく使われる動詞のまとめ NEW!!

 今まで解説してきた7種の「存在を表す動詞」について、要点を加筆してまとめてみました。
 なお、その他の「存在を表す動詞」(例えばア
 as やウイル uyru など)もありますが、ここでは触れません。

  まとめ          自/他  意 味  注 意  適用可能な名詞の範囲
 アン an   自動詞 ある
いる
住む
なる
生まれる
 など
 アイヌ語で最も普通に使われる動詞の一つだが、地名での登場頻度は低い。「場所を表す名詞」(場所名詞、位置名詞など)は、そのままでは主語にならない。
 複数形はオカイ okay/オカ oka。

 ほとんどあらゆる名詞。ただし、以下の名詞は除く。全ての「場所を表す名詞」、一部の「動名詞」「形式名詞」、別の動詞で存在を表すのがより適している名詞。

 動物、植物、無生物、人間、抽象概念など、主語になる名詞の範囲は幅広く、意味的な制限は考えにくい。
 アッ at  自動詞 (ある、いる)
 主語になり得る名詞が非常に限られている(右記)。
「光」
「におい」
「煙」
「ごちゃごちゃといる動物や人間」
 オマ oma  他動詞 〜にある
 ものの位置を表す動詞。主語か目的語のどちらかが「場所を表す名詞」である場合が多い。
 植物か無生物のように動かないもの。動物の例はほとんど無く、「うに」など非能動的なものに限られる。
 オ o  他動詞 @存在を表す(〜にある)

A群在を表す
(〜に集まっている/〜にたくさんある/〜にたまっている/〜に入っている、など)

B付着を表す(〜に付いている/[穴が]〜に空いている/[馬に]〜が乗っている/[花が]〜になる、など)
  Bの「〜に付いている」という意味が、全ての用法に通じているらしく、動詞としての意味は広い。ただし「ウ」のような固着の意味は表さない。

 @の用法は、オマと全く同じ。

 ABの用法では、「場所を表す名詞」があまり使われないようだ。
 無生物などの動かないものが多い。
 生物の場合は「虫」「ダニ」など何かに「たかる」ような印象を与えるもの。
 植物の場合は「寄り木」など、資材としての植物が対象。
 ウン un  他動詞 〜にいる
〜に入る
〜にはまる
〜に付く
 など
 方向や所属を表す動詞。
 人間、動物など動くもの。
 無生物の場合も、擬人化された生物として捉えられていることが多い。
  us  他動詞 @固着を表す(〜に付いている/〜に生えている/〜にまみれている)

A習慣を表す
(〜でいつも〜している/〜でよく〜している)
 @の用法では、オと違い「植物が生えている」ことを表す。植物以外でも、植物のように「くっついて動かない(固着している)」という印象で使われる。

 Aの用法では、自動詞を名詞とみなして目的語にするので、あまり人称接辞を使わない。
 @の用法では植物か無生物。

 Aの用法では自動詞または「名詞プラス他動詞」。その地点で行われる行為が対象となる。
 オッ ot  他動詞 〜にごちゃごちゃいる
〜にしみ出る
 対象になり得る名詞が比較的限られている(右記)。

 ウ
のAに準じる用法を認めた従来の解釈は疑問。
 「水鳥」「ヘビ」「魚」「汁」「膿」など、液体をイメージさせるもの。

 

2.名 詞 NEW!!

 

川を表す言葉

 アイヌ語で「川」を表す名詞は、大きく言って二つあり、どちらもよく知られています。「ペッ pet」と「ナイ nay」です。ペッとナイは、それぞれ「別」「内」などの漢字を当てられることがよくあります。
 以下、『アイヌ語入門』より。
 sattek nay やせた・川
 sattek pet やせた・川

 

★ ペッとナイの定義について:

 信頼できる辞書から、ペッとナイの定義について触れた記述を抜粋して比較してみたいと思います。

  ペッ pet ナイ nay
地名アイヌ語小辞典
pet,-i ぺッ(第3人称形ぺチ)川。

 →参照:前代のアイヌは川に対して特別の考えを持っていた。まず、それは人間同様の生き物に考えられていた。だからそれは人体と同じ部位名をもつ。水源は「川の頭」(→pet-kitay)であり、中流は「川の胸」(→pet-rantom)であり、川口は「川の陰部(尻)」(→pet-o)である。支流は「川のうで」(→pet-aw)であり、曲り角は「ひじ」(→sittok)であり、幾重にも屈曲している所は「小腸」(→kankan ; yospe)である。それは人間同様に「夏やせ」(→sattek)もするし、「死に」(→ray)もする。人間的なあまりに人間的な行為もする(→ukot, utumamu)。その当然の結果として子を産み、親子連れで山野を歩く(→pon; poro; mo; onne など)。

 第二に、それは海から来て山へ行く生き物である。我々の考え方からすれば、川は山に発して海に入るものであるが、アイヌはそれと反対に、川は海から上って山へ行く者と考えていた。地名の「オまン・ペッ」(oman-pet 山奥へ行っている・川)、「しノマンペッ」(sino-oman-pet ずっと・山奥へ行っている・川)、「リこマペッ」(rik-oma-pet 高い所・に登って行く・川)等はそういう考え方を示している。また我々が川の出発点と考えて「水源」「みなもと」と名づけているものをアイヌは川の帰着点と考えて「ペてト
」pet-etok すなわち「川の行く先」、或は「ぺッキタィ」pet-kitay すなわち「川の頭の先」と名づけている。また我々が川の合流するところを落合と名づけているのに対して、アイヌは「ペてウコピ」pe-e-ukopi すなわち「川の別れて行く所」と名づけているのも同じ考え方に出たものである。なお「ほカ」horka(引用註:「後戻りする」という意味)なども同じ考え方である。

 もともとアイヌは海岸線に沿うて部落を作っていた。そして内陸の交通は主として川によったのである。部落の近くを流れている川をさかのぼってサケ、マスをとったりクマやシカをとったりして暮らしていたころから、そういう生活に即して川はさかのぼって山へ行くものと云う考え方が自然に生まれて来たのである。そこで「川口」などと云ってもアイヌの場合は「出口」「落口」ではなく「入口」の気持なのである。なお川はふつう女性に考えられている。

 〔pet には「濡れている」という意味もあり、pet-chep「濡れ・魚」、pet-ota「濡れている・砂浜」などの用例がある所から考えて、語源は或は pe-ot「水・多くある」から来ているかもしれない。nay とちがってこれは固有のアイヌ語である。 なお参照→nay.〕


nay,-e【H】/-he【K】なィ 川;谷川;沢。

……アイヌ語に川を表す語が二つある。pet と nay と。北海道の南西部では pet を普通に川の意に用い、nay は谷間を流れてくる小さな川の意に限定している。カラフトでは nay が普通に川の意を表し、pet は特に小さな川を表すと云うが、地名にはめったに現れて来ない。ただし、古謡では pet を普通に使う。北海道の東北部網走や宗谷などでも地名では nay の方を普通に用い、pet は山中の小さな支流に稀につけている位のものである。北千島では全然 nay が無い。尚この二つの内 pet は本来のアイヌ語で、nay の方は外来らしい。川を古朝鮮語でナリ、或は現代語方言でナイといっているのと関係があるのかもしれない。
田村辞典
pet ペッ【名】川。
 pon pet ポン ペッ 小さい川、小川。《S》pet `ika ペッ イカ 川があふれる。pet turasi arpa ペッ トゥラシ ア
パ 川沿いに川上へ行く。pet pes san ペッ ペ サン 川沿いに川下へ行く/来る。pet or un ran ペトルン ラン 川のところへ下りる。pet or ta ペトッタ 川に、川で。

 ☆参考 この地方では、沙流川や鵡川や門別川のような、地域を代表する川を言う。上流の小さい枝川や沢のことは nay ナイ という。概して pet ペッ のほうが大きく、nay ナイ は細いところから出てくるものが多いが、この地域の川はこれ、というのであれば小さくても pet ペッ と言い、枝川や沢はたとえ大きくても nay ナイ と言う。

nay ナイ【名】沢(川の支流、線状にくぼんでいて、通常は石や植物があり、水が流れている所、またその流れ)。
千歳辞典
ペッ pet【名】川。
 /ペトルン ア
パ コ チェ ネ ヤッカ ピカ チェ パテ コイキ ワ エ ワ pet or un arpa kor cep ne yakka pirka cep patek koyki wa ek wa 川へ行くと、魚もよい魚ばかり捕ってきて〔N8806182.UP〕

 【類義語】ペッが大きな流れを指し、ナイ nay が比較的小さな流れを指すといわれることが多いが、千歳でもおおよそそれが当てはまるようである。

ナイ nay【名】@ 沢。
/ピ
カ ポン ナイ アン ヒネ ナイ パロッタ パイェアナクス pirka pon nay an hine nay par or ta paye=an akusu きれいな小さな沢があり、その沢の流れ口に行くと〔N8806182.UP〕

〈参照〉ペッ pet。


A 沢のように筋となって流れる流れ。
/トゥ ケ
 ナイ チリ レ ケ ナイ チリ tu kem nay cirir re kem nay cirir 血がふた筋流れ、血が三筋流れた〔N9206021.UP〕

 この二つの言葉は、地方によって使用状況が異なります。ほとんどどちらかしか地名に現れない地方がある一方、二つの意味を使い分けて共存させている地方もあるようです。田村辞典と千歳辞典は沙流・千歳方言の辞書なので、その他の地域差については地名アイヌ語小辞典を見なければなりません。なお、そこには触れられていませんが、南千島にはナイが少なからず地名としてあります。
 私も地名解のページで触れていますが、どういう言葉であっても「地域差」と「使い分け」には注意すべきです。より詳しくは、山田秀三氏の『アイヌ語地名の研究』にとても有益な研究がありますので(「北海道のナイとペッ−その分布と意味」)、興味のある方は調べてみてください。自分が調べている土地におけるペッとナイの出現頻度がどのくらいなのか、意味がどう使い分けられているか、考えながら調べると得るものは大きいでしょう。

 

★ ペッとナイの語源についての考察:

 ペッには「裂片」「細長い形のもの」という語根としての意味があるらしく、「アケペッ aske-pet 手の指」「ウレペッ ure-pet 足の指」といった「指」を表す語彙に見られます。
 この語根は動詞化もされていて、ペトゥ petu〔単〕/ペッパ petpa〔複〕(細く切る/裂く)という他動詞があります。また、イカのことを「エペッペッケ epetpetke(頭が裂けている?)」、ぼろぼろの着物を「オペッペッケ opetpetke(尻が裂けている?)」ということから、「pet-ke (裂けているものを表す語根+自動詞形成語尾)=裂けている」という、ペ
ケ perke と同じような意味の自動詞もあったことも考えられます。

 川を表すペッと、この語根としてのペッには、何らかの関係があると思わざるを得ません。それに対して、知里真志保の「pe-ot」の語源説はよくわかりません。水に何かを漬けることを「ペッネカ petneka(pet-ne-ka ペッ・〜になる・〜させる)」ということを考えると、動詞の構文上簡単には結論を出せないと思うのです。川には水があるのが当たり前なので、そこから「濡れている」という意味を派生したものでしょうか。

 千歳辞典が触れている「A」に関連して、ナイには「筋」という語根としての意味があるようです。語根としてのペッと同じく、これを他動詞として使っているナイェ naye〔単〕/ナイパ naypa〔複〕(〜にすじをつける)という言葉があります。こうしてみると、ペッもナイも似たように応用されているのがわかります。

 私には、ナイの古朝鮮語説の真偽は分かりません。それには昔の朝鮮との文化的な繋がりを証明することが必要になり、一筋縄ではいきません。語形が似ているというだけでは充分ではないと思います。もし仮にそうだとしても、朝鮮語起源の言葉が他にもいっぱいあってもいいと思いますが...。

 

★ 川の異名について:

 川と言えば「ペッ」「ナイ」しか言葉が無いかと言えば、そうでもありません。ペッともナイとも言わない川の呼び名を、地名アイヌ語小辞典などから少し挙げていきましょう。

 ウッカ utka 「川の脇腹」。あまり曲がらない、まっすぐ流れる川を指した言い方らしいです。
 ペチ
 p`ecir,-i 流れるとも流れぬともつかない(したたるような)谷川。[pe-cir 水・したたり]
 ペル p`eru 口の無い沼川。[pe-ru 水・路]
 メナ mena 上流の細い枝川。
 メ
 mem,-i 古い小川;古い川の跡の小川(もとは「泉」という意味)。
 モライ m`oray,-e 遅い流れの川。[<mo-nay ゆるやかな・川]

 そして最後に、神様としての川の呼び名を挙げます。
 ワッカウ
カムイ wakkauskamuy 水の神。

 

★ 文法上の扱いについて:

 「ペッ」も「ナイ」もモノ名詞(「初心者のためのアイヌ語文法解説」参照)であり、場所を表す名詞ではありません。よって、場所を要求する言葉の前に直接言うことが出来ません。

pet un ran ×
pet or un ran ○ 川に下りる
(位置を表す「or 〜の所」を間に入れなければいけない)

 

岬を表す言葉

 アイヌ語で「岬」を表す名詞はたくさんあります。辞書などで調べていくと、目に付いたものを片っ端から挙げただけでも以下の15通り、その派生形を含めると数十のバリエーションがあります。日本語ではただの「〜岬」という一言で済んでしまっても、アイヌ語世界ではそんなに簡単には片付けられないのです。アイヌ文化における地名表現の、何と細やかな事でしょうか。

 

@ アイカ aykap

 アイカはもともと自動詞。普通の日常会話では、特に裁縫の腕を指して「下手だ」「不器用だ」という意味で使います。他動詞形のエアイカ eaykap になるともっと用途が広がり、動詞の後ろに付いて「〜できない」という意味の助動詞的な使い方がよく出てきます(もちろんそのまま他動詞としても使います)。地名としては、この自動詞が名詞になります(アイヌ語の自動詞が、場合によって名詞にもなり得るということは、「初心者のためのアイヌ語文法解説」で触れました)。

 その意味については、『アイヌ語地名小辞典』にこう記されています。「《完》できない;できなくなる;とどかない;とどかなくなる。(対→askay)。−この地名は方々にあり、けわしくて通りぬけられぬような岬をさして云っている。そういう岬の上には、古く神を祭る幣場があり、猟や狩或は戦争に出かけるさい、そこの神に祈って、そこの崖とか岩とかに矢を射て運勢を試す土俗があったらしい。その際、矢のとどかなかった所に「あィカ」という名がつき、多く戦争の際に矢がとどかなかったというような伝説がついている」。

 矢の届かなかった所! 「私のアイヌ語地名解」のページで、私は「どんな地名解でも、納得できない以上は盲信をしない」という方針を大事にしています。そういう方針でこの記述を検討すると、多少意地悪な言い方かも知れませんが「伝説」に頼った民俗起因の説で、今となってはその確証を得ることは不可能です(実際に矢を作って射るのも、普通の人には難しそうですが)。地名解をちゃんとした学問と捉えるならば、伝説だけに頼るわけにはいきません。
 仮にその伝説が真実だったとしても、不幸にも矢が届かなかった所に名前が付いているのならば、運良く矢が届いた所には「ア
カイ askay」という地名が付いてもいいはずなのに、そういう地名は一つもありません。この記述では、なぜアイカだけが地名として残るのか説明できないと思うのです。

 知里真志保も最初に書いている通り、この地名はもっぱら「けわしくて通りぬけられぬような岬をさして云っている」のだから、常識で考えればやはり「通行できない所」という意味で使われていると思います。
 普通に通行できる所ならば、地点を特定する事には意味がないので、アイカ
だけが地名に残るのも道理です。昔の交通は、主として海岸や河川伝いの徒歩に依ったので、まず安全に歩けるかどうかが大きな関心事だったはずです。海岸伝いにはそれ以上どうしても歩けないような、行き止まりの地点が最初から分かっていれば、そういう危ない場所を避けて回り道する準備もできます。つまり、たまたま行われる運試しの結果などよりも、地名として残す意義は遥かに大きいと思うのです。伝説は話としては魅力的であり、おもしろおかしく言う人もいたというくらいに考えたいものです。

 実際の地名は、石狩や釧路、十勝に愛冠(あいかっぷ)として残っている他、小樽の塩谷にある「あいかっぷ」、天塩の「アイガ」(ただしこれは海に面している岬ではない)などがあります。千島と樺太からは探せませんでした。

 

A アネ anep NEW!!

 アネは、地名小辞典に「【ビホロ】細く突き出ている岬 [e-ane-p(頭・細い・者)]」とあります。知里真志保は、最初の「e」が音韻脱落Aにより落ちるとみています。
 語義からすると、特に岬でなくてもよさそうな言葉です。実際、川の例もあります。永田地名解によると、北見・常呂に「ア子プカ Anepka 細キ岬」「キムアア子プ Kima anep 小岬」という地名があり、これらはどちらも岬になっていますが、同じく十勝・中川の「ア子
 Anep 細川」「イクルン子 ア子 Ikurunne anep 黒キ細川」という例もあるのです。川の例から見て、特に「e-ane-p 頭・細い・者」と考えなくても、「ane-p 細い・者」という解釈でも充分意味が通じそうです。

 

B エサウシ(エサシ) esausi (esasi) NEW!!

 北海道でエサシと言えばよく聞く地名です。「江差(えさし)追分」で有名な渡島半島西部の檜山江差と、北見のオホーツク海側にある北見枝幸が最も有名です。その他に室蘭にもエサシがあります。
 語源としては「e-sa-us-i 頭・浜の方・に付いている・者」という意味で、山の先端が浜にせり出した形の岬を表したようです。このうち「a-u」という母音の連続は、本来は音韻脱落の法則Aにより最初の母音が落ちやすいはずなのですが、その前に二番目の母音が二重母音として子音化してしまった(esawsi)ため、この「w」が抜けてエサシとなったのだと思われます。

 これも、Aのアネと同じく岬とは限らない、いわば言い回し的な言葉のようです。例えば、釧路の恵茶人(えさしと <e-sa-us-to 頭・浜の方・に付いている・沼)、石狩・上川町の江差牛(えさうし)山という例もあります。

 

C エサン esan

(執筆予定)

 

D エトゥ etu

(執筆予定)

 

E エホルシ ehorusi

(執筆予定)

 

F エンル enrum

(執筆予定)

 

G sir 系の語 NEW!!

 シ sir は、あらゆる地域で普通に使われる名詞で、その意味は様々ですが、特に地名では「山」や「大地」といった意味になります。これに、以下の様に特定の修飾語を加える形で「岬」を表すことになります。つまり、山や大地の一部分としての岬を表すのです。

★ シレトゥ sir-etu 大地・の先端

 ノテトゥと同じく etu(〜の先端)という位置名詞が使われています。エトゥと言えば「鼻」という意味が最も普通に使われていて、「先端」という意味ではそれほど多くは使われないため、『アイヌ語地名小辞典』などでは「(地・鼻)」という解釈になっていますが、そう見ない方が良いと私は思います。
 釧路の知人(しりと)岬、天塩のイナウシレトゥ、北見の豊浜の旧名シレトの他、石狩(厚田)、後志(小樽、歌棄)、日高(浦河)、国後・択捉、樺太と、かなり幅広い例があり、シ
系の岬を表す語の中で一番多く使われています。江戸時代の資料などでは「シリエト」のように表記されることもあり、「siri-etu その山・の先端」という形として見てもおかしくないかも知れません。
 ノテトゥを使う地域であってもシレトゥは問題なく使われていて、実際の使い分けについては今少し検討の余地があります。

★ シレト、シレトコ sir-etok,-o 大地・の行く先

 名曲「知床旅情」でも有名な知床半島、礼文島の知床の他、白老、樺太などに例があります。ただ、シレトゥほど例は多くないようで、特に千島では意外にも例が見つかりませんでした。

*「先」の解説:
 アイヌ語で「先」を表す言葉
を、私は大まかに3種類に分けて考えています。
1.順番的に先であることを表す → 例:ホ
キ(ノ) hoski(no)【副】
2.移動しているものの先/行く先/時間的な先を表す → 例:エト
,エトコ etok, -o【位名】
3.静止している物の先端を表す → 例:エトゥ
,エトゥシケ etupsik, -e【位名】

 このシレトコは、そういう種類で言えば2のエトコが使われていることから、単に形としての岬を表すシレトゥと異なり、見ている人、または見られている「大地」の移動する先という意味で名付けられた地名ではないかと私は考えます。つまり単なる位置的表現というより、「行く先、向かう先」のニュアンスがあると思うのです。

 その見方を裏付ける例が一つあります。
 白老にある萩野の旧地名(知床)の辺りは、知床半島のような目立った「岬」がなく、シレトコ=岬という常識が通用しないようなのです。『北海道の地名』には、以下の様に記されています。「知床はシレトコ(shir-etok 地面の・突き出した先端)で、一般には海中に突き出た岬であるが、ここは直線の砂浜の処である。元来は一帯の低湿原(やち)の中に、低い丘陵が長く伸びて来たその先端の場所である。そんな処からこの名がついたか」と。
 これは、シレトゥとシレトコの使い分けを示す典型的な例だと思いますので、覚えておきたいものです。

★ シパ sir-pa 大地・の頭

 頭を表す語根 pa(〜の頭)が使われています。ちなみに頭を表す普通名詞は、サパ sapa と言い表す地域とパケ pake と言い表す地域がありますが、地名ではもっぱら双方に共通する語根のパを使います。アイヌ語地名で方言差をそれほど気にしないで済む理由の一つは、こういう言葉の使い方にあるかも知れません。
 後志・余市のシリパ岬、厚岸の尻羽(しりっぱ)岬の他、小樽、積丹に例があります。特に北海道南西部の例が多くて目立ちます。『北海道の地名』では「シリパの名は諸地に多いが...」とありますが、私が改めて見た限りでは、その他の地域にはどういうわけか意外に例が少なく(もしどなたかご存知であればご教授願います)、特に千島や樺太の例は見つかりませんでした。
 ノテトゥやシレトゥとの使い分けはその語義から想像できますが、山を擬人化して見た場合の「頭部」に注目した表現だと思われます。いずれ、さらに比較検討していきたいです。

★ シレンコ sir-enkor 大地・の鼻

 『アイヌ語地名小辞典』の語形で、シレトゥのエトゥで私が否定した「鼻」を表す語彙の一つ「エンコ
 enkor」が使われています。といっても、これは現在のアイヌ語では限られた場所にしか出てこない言葉で、「enkor-itak 鼻声」という例で最もよく知られています。久保寺辞典では「鼻,額,岬頭 /enkor-ushpe enkor-supe inau 熊の鼻孔へ通す幣.」バチェラー辞典では「The space between the eyes. The bridge of the nose. End. Limit.」としています。『北海道の地名』では「山崎のことをいうことが多い」(p.468)と記されていて、注目に値します。

 エンコ
は他に、国後島のエンコロウシ(<enkor-ous 鼻・のふもと?)という地名や、後志の喜茂別や留寿都を流れる登延頃(のぼりえんころ)川の解釈(nupuri-enkor-kus-pet 山・の鼻・を通る・川)などに登場しています。

 檜山郡の大きな岬である洲根子(すねこ)を、永田地名解はシレンコロ(シリエンコロ 山額)という解釈をしていて、知里真志保はここから取ったのではないかと思います。今のところこの形の地名はこれだけしか探せず、さらに上原熊次郎の別の解釈(sine-emko 一つの・水源)の方も何だかもっともらしい気がします。資料や例の少ない現時点では、この地名の理解には今少し時間が欲しいと思います。

★ シレンル sir-enrum 大地・岬

 シ
に「エンル」がくっついた形で、永田地名解と久保寺辞典に登場する日高・浦河の地名です(シロイヅミ、シリトモ、シベンルムともあり)。普通の岬であればエンルだけで通じるはずで、そういう例は多いにもかかわらず、どうしてここだけがこういう形になっているかは、現在の所よくわかりません。

 

H チケ cikep

(執筆予定)

 

I トゥ tu

(執筆予定)

 

J ノッ not NEW!!

 もとは「あご」を表す語根で、海岸線があご状に突き出ているのを表すといいます。単体で使われている例は、寿都町磯谷にある「能津登(のつと)」、択捉島のノッ、樺太の能登など、また石川県の能登(のと)半島もこれが語源といわれています。また、骨を表す語根「ケウ kew」がついた「ノッケウ not-kew あご・骨」という地名も、根室の別海町にある野付(のつけ)として残っています。同じく骨を表す語根「キリ kir」がつくと「ノッキリ notkir」となり、これは「あご」を表す普通名詞になります(こういう地名もあります)。

 以下に示す通り、ノッは単体で使われるよりも位置名詞の付いた形で使われることが多いようです。これは、ノッという言葉がもともとモノ名詞である証です。ノッ地名の分布を見ると、岬を表す言葉の中では比較的、北部沿岸地方の特色を持つ言葉だと見ることができます

★ ノテトゥ not-etu あご・の先端

 釧路、宗谷、枝幸、紋別、網走、そして色丹島、樺太などに例があります。小樽の赤岩海岸にも二ヶ所あります。『地名アイヌ語小辞典』には「ノテト
」と同義とありますが、ひょっとしたらエトゥに「先端」という意味があるのを知里が見落として、「not-etu あご・鼻」と変な訳語になってしまうのを奇妙に思ったため、「ノテト」の転訛形だと示唆するような記述をしたのではないかと思います。

★ ノッカ not-ka あご・の上

 後志の野塚(のづか)の他、増毛、択捉島などに例があり、また根室のノッカマップ(not-ka-oma-p 岬・の上・にある・所)にも見られます。小樽には礼文塚(れぶんづか)という地名があり、レプンノッカ(repun-not-ka 沖の・岬・の上)という解釈です。

★ ノッサ not-sam あご・のそば

 稚内の野寒布(のしゃっぷ)岬は、ノッサ
の「m」が「p」に転化したもののようです。もちろん、同じ語形の根室の納沙布(のさっぷ)岬も同じです。樺太などにも例があります。

★ ノト not-or あご・のあたり

 北見の能取(のとろ)湖の他、釧路、択捉島、樺太などに例があります。

★ ノッオ not-osmak あご・の後ろ

 『北海道の地名』の北見の項、豊浜にある小川でノッオシマッタアンナイ(not-osmak-ta-an-nay 岬・の後・に・ある・川)と言う地名が登場します。

★ ノテト、ノテトコ not-etok,-o あご・の行く先?

 未詳。『アイヌ語地名小辞典』に載っている語形ですが、残念ながら、私の持っている地名資料ではこういう地名を探すことは全く出来ませんでした。先に触れたノテトゥとシレトコから類推した、机上の理論形ではないかと私は思っています。これをご覧の皆さんで、もしこういう地名の実例があれば、是非ご教授お願いいたします。

★ ノッスッ not-sut あご・の根元

 永田地名解に載っている北見・紋別の地名に「ノッシュッオマナイ Not shut oma nai 岬側ニアル川 「ノッソトマナイ」ト呼ブハ急言ノ訛リナリ」とあります。「not-sut-oma-nay 岬・の根元・にある・川」に違いありません。
 なお、このスッ(sut 根元)という言葉は、もちろん普通は植物の「根」を表しますが、それ以外に祖母、先祖といった家系の始まりを指したりします。地名では歌棄(オタスッ ota-sut 砂浜・の根元)などが知られていますが、山田秀三によるとそこは長い砂浜の端の方、そこから砂浜が始まる所を指すようで、「ものの始まり」という理解がより適していると思います。

★ ノッノキ not-noski あご・の真中

 同じく、永田地名解に載っている根室・花咲の地名にノッノシケオマ
という地名があり、「not-noski-oma-p 岬・の真中・にある・もの」でしょう。

★ ノットゥ not-tu あご・走り根

 主な辞書資料の中では萱野辞典にしか載っていない語形です。ノットゥは岬の他に、「人中(じんちゅう)の下端:上唇の真ん中の舟のような形のくぼみを人中といい,その下端の部分をノットゥ(岬)という」とも記されています。
 これは、今までの地名研究では余り省みられていなかった重要な語形かも知れません。と言うのも、一番最初に見た「ノッ単独の地名」に見えるものの多くは、実はこの形だった可能性もあるからです。『アイヌ語地名小辞典』では、ノッの「所属形」をノチ noti またはノトゥ notu としていますが、そのうちノトゥの形のものは、このノットゥである可能性を考えてもいいと思います。なおここでの トゥ tu は、私はずっと「エトゥ etu 先端」の省略形と思っていたのですが、どうやら違うようです。

 

K プイ puy

(執筆予定)

 

L ヘサンケイ(ヘサキ) hesankei (hesaki)

(執筆予定)

 

M  pes 系の語

(執筆予定)

 

N ホアシ hoasi

(執筆予定)

 

 

 地名の固有名詞化について

 文法のページを締めくくるにあたって、未だ充分に解明されているとは言えない事象について触れたいと思います。それは、アイヌ語地名の中での「固有名詞」の扱いについてです。
 アイヌ語地名は、先の「地名の構文」通りに文法上すっきりした形を持つ事が多いのですが、一見してそのままでは文法に当てはまらない形も散見されます。それらは、主に3通りのパターンがあると仮定します。

1.もともとの聞き取りが不完全で、そのままでは正しい解釈が出来ない地名
2.正しい語形が、様々な要因で変化してしまった地名
3.固有名詞を取り入れた地名

 ここで改めて「地名の固有名詞化」について触れると、ある地名がその辺一帯の通称となり、それがその地区内、またはその関連の中で、他の地名に応用される事を指します。例えば、「私のアイヌ語地名解1」で紹介されているフゴッペの例を取ると、以下の通りです。

元のアイヌ語:フンコヘサキ(hunki-o-hesankei 砂丘・に付いている・岬)
   →フンコヘ崎となり、フンコヘ(異型フンコエ)が固有名詞化、それが川の名に転用される。

 「フンゴヘベツ」 フゴッペ川
   hunkohe pet フンコヘ・川(武四郎が pet を後から追加したと思われる)
 「チフタフンコエ
   cip ta (us?) hunkoe 舟・〜を掘る・(〜をよくする)・フンコエ(川の名)
 「ソウウシフンコエ
   so us hunkoe 滝・〜にある・フンコエ(川の名)
 「シノマンフンコエ
   sinoman hunkoe ずっと奥へ行っている・フンコエ(川の名)

 他にも、例えばモヨロエトという地名を解釈するのに、「moy-or-etu 入り江・のあたり・岬」といきなり解釈するのは、名詞の連続がこなれず、早急と言わざるを得ません。まず「モヨロ moy-or 入り江・のあたり」という地名が固有名詞化して、その後に「MOYORO-etu モヨロ・岬」と応用したのだと考えないといけません。
 このように、固有名詞化してしまった元の地名を解釈せずに、応用された地名(例えばソウウシフンコエ)だけを見ても、その意味や文法の解析はおぼつきません。普通名詞だけでは完全に解釈できない地名があることは、地名研究の難しさの一端を表しています。

 なぜ私がこれほど固有名詞に注意しているかというと、上記のように文法の解析に支障をきたすだけでなく、その地名が固有名詞化した背景を調べる手間が掛かるからです。上の例は、まだ検討する材料が豊富だったために見当がついたのですが、そうでない地名の方が多いことも考えられます。山田秀三氏によると、大きな川はただペッやナイと言って充分通じていたはずなのに、なぜわざわざこんな、文法上良く分からなくなってしまう固有名詞を使わなければならないのでしょうか。

 私は、この固有名詞の形成には、2つのパターンがあると仮定します。
1.対比できる複数の地点のうち、目立つ方を代表的な地名として固有名詞化し、他方をその対比で形容した場合。

   1の例:チャ
セナイ carse-nay ザアッという・川
     ポンチャ
セナイ pon-[carse-nay] 小さな・チャセナイ  これならよくわかります。

2.もともとアイヌ語だったのに、意味がわからなくなったまま大地名になってしまった場合(土地の「惣名」(総称)を求める和人の意図が少なからず関わっている可能性あり)。和人の意図が介在したとすれば、大地名になればなる程アイヌ語地名解がしにくくなるのも道理だと思われます。地名解釈において、特にこのパターンは川名に多いので、注意して分析をしなければならないと思います。

 

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