浜田隆史詩集
 ヤイサマ Yaysama(2005)
(2005.9.4更新)

註:「ヤイサマ」は、アイヌ歌謡の一つで、自分の身の上や恋心などの心情を歌うものです。
  ここではアイヌ語と日本語の両方でヤイサマしてみます。

 

  ヤイサマ1

ヤイサマネナ
ヤイサマネナ

ウェンク
 オッカヨ
シルン オッカヨ
シサ
 オッカヨ
ク・ネ ルウェ ネ
オタルナイ コタン タ
カ コタン タ
マタ アン コ

パテ
 ネキ ネ
ク・キ ワ カナ
ギター レ
テ カ
ケアイカ
 ヒ クス
エネ ネ イ カ イサ

テレビ ク・ヌカ

 カン ヤッカ
ネン カ エン・コイル
カ カ
ソモ キ クス
ク・ミ
ム フミ
シンナ トリ
シンナ チカ

タ ク・ネ オカイ
ネ ワ ネ ヤ

ネイ タ ネ ヤッカ
 コタン ネ ヤッカ
ケ ウケ タ
パ エアカイ
ネン ポカ ク・イキ ワ
パセ ギター カ
ク・セ ワ カ
パ ヤ
ネイ タ パ

ギター ク・レ

エア
カイ
ネイ タ ネ ヤッカ
ア・ウタリ エウン
ギター レ
 ハウ
ク・ヌレ ヤ
 ピ
ネ ワ ネ ヤ

ク・ケウトゥムフ
シノ ピ
カ ナンコ
ア・ウタリヒ カ
ポンノ ネ ヤッカ
ア・エキロロアン
ナンコ
 クス
チカ
 タ ク・ネ
レラ タ ク・ネ
ルウェ オカイ
セコランペ
パソコン コッチャケ タ
ク・ヌイェ コ

カン ルウェ ネ クス
ノ ヤイサマ ク・キ ルウェ ネ、
タネ ピ
カ。
(2005・2・9)

 

  ヤイサマ2

ヤイサマネナ
ヤイサマネナ

雪に阻まれ
吹雪に襲われ
私は南極の
スコットみたいに
動けない
今はそんな
状況ですが
春になれば
屋根も軽く
心も軽く
なっていく
嫌なニュース
聞かされる
こともなく
風のように
鳥のように
いろんな場所に
飛んでいける
春になれば
情けない
今の自分
ではありますが
少しは
気分替えて
水に流す
ことができる
心から
好きなことに
時間をとって
散歩できる
ギター弾ける
恋もできる
そういうわけで
まだまだ
春は遠い
事ではあるが
みなさんも
もう少し
辛抱強い目で世の中を見て
春になったら少しはいい世の中に
なるからがんばりましょう。
ヤイサマ終わり。

(2005・2・15)

 

  ヤイサマ3

ヤイサマネナ
ヤイサマネナ

私は緑の中で生まれた
坂や斜面で育った
山の麓に登っていった
山の近くに住んでいた
大きくはなかったけれど
山の入り口は吸い込み口
混沌への入り口だった
近くには小川があり
板でできた橋があり
まばらな人家と廃屋があり
廃屋の水道管からは
とめどなく清い水が
山の搾り汁のように出てきた
水道局は来なかった
私は緑だった
私は緑が大好きだ
お兄ちゃんも悪ガキたちも
臭いカエルの卵も
ドラム缶と炭の匂いも

その緑は舗装されて
今ではただの通り道になり
何匹も妖怪を見ていたはずなのに
ドロタボウが怖かったのに
靴が上等になる度に
恥も苦労もしなくなり
大きくなるにつれて小さくなり
私は忘れていった
遠く離れたあの緑
吸い込み口に入ってみると
松の匂いがした
どこまでも行ける気がした
歩き方に
ある条件を満たすと
不思議なことが起きるように
感じていた
プラモデルをなくした
不気味な風を飛び抜けて
大人たちがラグビーをしている
赤土のグランドに着いた
防空壕の跡が遊び場で
スクラップも放置され
固い黒塗りのハンドルを回した
緑とグランドが
私のまわりをぐるぐる回っていた

ああ小樽よ
今の私の様を見よ
生まれたときから変わってないと
必死に言い聞かせてきた
あなたと同じように
暗い森への吸い込み口が
よく見れば付いているでしょ
お互い様だ
もっとよく
もっと冷静に
私たちの様を見よ
あの緑の行く末を見よ
雪の鎧の中を見よ
堪えている人々を見よ
よろける建物を見よ
このままでいいのか?
どうして私たちは
緑を離れていったのか?
私は緑の中で生まれた
坂や斜面で育った
私は緑
小学校も緑だった
あの神のような光景を
再び見ずには死ねない
そんなことばかり
最近は思うのです

ヤイサマネナ。
(2005・2・23)

 

  ヤイサマ4

ヤイサマネナ
ヤイサマネナ

私たちには
うまい言い訳が
言い訳の言葉がある
金がないとか
時間がないとか
時期尚早とか
不景気だとか
あいつのせいだとか
時代が悪いとか
才能がないとか
愛されていないとか
「俺の生き様」だとか
言葉は宙に放たれて
強固な壁を作り
あなたと私の間には
深く冷たい川が流れ
心のこだわりは
世界を縛り付けていく
そういうわけで
多くの店は廃業して
何度も腰までぬかって
私たち
心の老人たちが
砂州に取り残される
それでも笑って
テレビの娯楽を支えに
生きて行くというなら
私たちはバカなのだろう

ヤイサマネナ
ヤイサマネナ

アイヌ語に
時間という言葉はない
機会という言葉はない
愛という言葉はない
生き様という言葉はない
才能という言葉はない
ご都合という言葉はない
企画という言葉はない
金という言葉はあっても
経済という言葉はない
主語をぼやかすための
責任を転嫁するための
人を寄せ付けないための
つまらない言葉は
私たちの人生を
狂わせていく
バリヤーを作る触媒である
人は言葉を使って
哲学を語り
歩かないことを
愛さないことを
金を出せないことを
人とつきあえないことを
笑って許せないことを
自らの性格の悪さを
正当化する
タネ ピ

もういい
私は口を閉じて
馬が飼い葉をはむように
言葉のむなしさを反芻する
チカ
 タ ク・ネ
レラ タ ク・ネ
私は鳥になりたい!
風になりたい!
言葉の代わりに
私が飛んでいって
私が振動して
あなたの元に直接
心の波を届けたい
そんなバカなことを思いながら
もどかしさを抱えて
私は今日も歩くのです

ヤイサマネナ。
(2005・8・21)

 

  ヤイサマ5

ヤイサマネナ
ヤイサマネナ

私はそうだね
どうしてもそうだね
そうなんです
風が吹いています
乗れずに落ちました
足をくじいて
空を見たらどんよりしてました
もう どうなんですか
こうなんですけど
自分が見えません
あなたが見えません
というか人に会ってません
私は灰色で
道路の色でした
せめてコーヒー色なら
よかったのですが
あなたいっつも
絶望してますね
少しは明るい展望でも
話して下さい
こうなんですが
そうなってください
そうですか
私はそうだね
ああなりたいとか
言っても40年同じでした
こうとかああとか
そうとかどうとか
もうとかきゅうとか
ぴゅうとかその後しいんとか
小賢しいとか思っています
そうでありんす
私はこうなんです
そして中身はこれなんです
「生き様」なんです
そう言いきれるものが何かあるでしょうか
私の様を見よ
と腹を割ることができるでしょうか
恥が邪魔をしています
テレビから聞いた言葉をしゃべっている
あなたたちはもっと
わかりやすさを求めていると思うのですが
私はこう言うでしょう
そう言うでしょう
どうなるでしょう
そうなんでしょう
というのは恥だと思っています
男なら黙って
こうなってください
そうなってください
そして誰にも知られずに
朽ちていって下さい
私は同じではない
私たちは同じではない
一秒たりとも同じではない
私たちの髪は抜けていく
生えて白くなっていく
汗が黄色くなっていく
心が移ろっていく
それが人間です
黙りなさい!
私は黙ります!
そしてああなりたいということを
こうしたいということを
幸せの神秘として
心に抱えなさい
人の様を見よ
私の様を見よ
私たちはここにいます
黙っています
朽ちていきます
それができるなら
それが幸せなのです

ヤイサマネナ。
(2005・9・4)

 

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