覆面シンガーのページ(2006年1月21日更新)

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 このページは、浜田隆史の友人・覆面シンガーを応援するページで、浜田隆史が作成しています。
 覆面シンガーくんについては、「
過去の共演者ご紹介(覆面シンガーさん)」もご参照下さい。結構いいヤツです。

2006年

★ 新覆面シンガー(アメリカン仮面)登場。 NEW!!

Now Printing

 去年の12月8日に行われた東京・国分寺クラスタでのライブで、覆面くんは命より大事な覆面をあっさり忘れてしまいました。私(浜田)は、そんな情けない彼のために、ついに新しい覆面を作ってあげました。新覆面シンガーことアメリカン仮面の初演は、2006年1月19日、やはり札幌のジャックインザボックスでした。唄った歌は「ラーメンの歌」などでした。

 旧覆面も、かぶれなくなるまでは併用すると彼は言っています。

 

2005年

★ 元気です。


2005-3-29 at Classta, Nishi-Kokubunji, Tokyo.

覆面が古くなりすぎて、もう一種の妖怪状態ですが、我らが覆面クンは元気で(ごくたまに)ライブ活動をしています。覆面君を積極的にリクエストしてくれた本州で唯一のお店、国分寺のクラスタさんに感謝!

 

2004年

★ 浜田隆史の新作『歌箱』(OTR-016)に覆面シンガーが参加しました!

 引き続きライブ活動を自粛中の覆面クンですが、11/15発表した浜田の新作『歌箱』に、覆面クンがゲスト参加しました。彼にとって初めてのCDで、陰気な歌が陽気に聞こえてしまうくらい舞い上がっていたようですが、なかなかいい仕事をしてくれました。(写真は覆面シンガー。)

 ところで、浜田のアルバムについて、昨年秋の『赤岩組曲』がOTR-017、今年の春のライブアルバム(『ライブ・ラギング2』)がOTR-015と、CD番号が年代順にならないのはなぜ?とのご質問がありましたので、お答えします。
 これは、本当はこの番号の順番で、『ライブ・ラギング2』[OTR-015]→『キライ、キライ』(覆面クンのマキシ)[OTR-016]→『赤岩組曲』[OTR-017]と発表される予定が大幅に狂ったからです。

 本来は覆面クンのマキシシングル用に予定していた番号(OTR-016)が欠番になるのは忍びないので、他のアルバムと年代が前後してしまいますが、敢えて『歌箱』をこの番号にした次第です。

 『歌箱』の内容ですが、覆面クンは「金がない」ではメインで歌い、「ケータイ許さない」と「枕の歌」では仲間の2号、V3と一緒にコーラスを担当しています。
 ここだけの話、彼のステージギャラは1ステージで50万円くらいらしいのですが(この不景気な世の中、覆面レスラーでさえここまで取れるかどうか疑問です)、私の活動を手伝うときに限りノーギャラとのことです。

 ありがたい話です。

 

2003年

★ 2003年、札幌ジャックで復活しました!

 大阪でのライブから、2002年中は活動を自粛すると宣言した覆面クン、気が付いたら何と1年近くも自粛していました。7月の追分ラッキーフェスに出演するはずが、私(浜田)の引っ越しを手伝ってくれたので、二人して出られないという不運がありました。しかし、2003年8月21日(木)札幌ジャック・イン・ザ・ボックスでのミニミニライブで、久しぶりに元気な姿を見せてくれました。というか、もともと年に一度の人ですから、今までが出過ぎだったのかも。

 私の引っ越しを手伝ってくれた際、パンダ覆面がどこかに紛れてしまって、前日汗だくになりながら一緒に探した甲斐がありました。追分不参加のうっぷんを晴らすかのような新曲「金がない」「覆面くんはどこだ」は、好評だったようです。私たちが全然知らないお客さんもいらっしゃったのですが、社会的信用をかなぐり捨てた、まさに捨て身の熱演でした。私は恥ずかしいので店の外からこっそり覗いていました。

 ついでに11月の東京・国分寺クラスタにも登場して、彼は私のファンからもすっかりあきれられていました。

 

2002年

★ 覆面シンガー/大阪・ミノヤホールに出演しました!

 2002年8月のジャックインザボックスでのライブ出演も好評だった覆面シンガー。Kヤイリの革ジャンに身を包んだ、ちょっとグレた感じが素敵だったと聞いております(私[浜田隆史]はちょうどその時、席を外していました)。

 そして何と、2002年10月22日(火)大阪のミノヤホールで行われた浜田隆史のソロ・ライブに、覆面クンがゲストで出演しました。初めての道外ツアーでの演奏、全てが初体験、初めてのお客様の目が痛い。彼は少し緊張していたようですが、精一杯歌いきったと思いました。少なくとも私は、心の中で彼に拍手を惜しみませんでした。

 しかし、つまらないギャグが受けなかったショックからなのか、その日の夜、彼は私に「年内は活動を自粛するよ...じゃあな。」と言い残して、泣きながらカプセルホテルを飛び出しました。

「お、おい、覆面クン? どこ行くんだよ?」

 私は、彼を必死に追いかけましたが、角を曲がったところで、すでに彼の姿はありませんでした(大阪のカプセルホテルや、その周辺の通路はメチャクチャ狭いので、犯人の追跡どころか歩くのもままなりません)。

「...覆面クンのバカっ...」

 ふと足元を見ると、彼の残していった覆面が落ちていました。寂しさをかみしめながら、私はそのパンダ覆面を取り、彼の復活の日まで大事に保管することにしました。

 ただし、私は彼とその後何度か連絡を取り合い、CD制作に前向きであることを確認しました。再び彼に会える日、そう、その時は、彼はお約束していた「デビュー・マキシシングル」をひっさげて、私たちの前に帰ってくるでしょう。それまでしばしお待ちください。

 

★ 覆面シンガー/追分フェス出演報告

 2002年7月13日(土)〜14日(日)にかけて、北海道・追分で行われた「追分ラッキー・フェスティバル」に、私(浜田)とともに覆面シンガーくんが出演しました。時間は確か13日夜の二時頃でした(いつも人目をはばかるような時間帯になってしまうのは、私たちの奥ゆかしさ故です)。
 ここに、ちょびさんが撮った写真を公開いたします。

  
(写真左:浜田隆史、右:覆面シンガー)
演奏曲目:「スワイペシー」「忘れません」
(浜田)
     「プハプハ」「口内炎ブルース」「インク切れ」
(覆面くん)

 覆面くんの覆面は、100円ショップで買ったパンダのビーチボールから造られた物で、口元がライダーマンみたいでした。また、共にソロパフォーマンスで、待望のデュエット実現はまたもお預けとなりました。覆面くんのライブ活動は、例外を除いてほとんど年に一度、追分フェスに限定されているので、生覆面が見られた人はまさに「ラッキー」でした。彼は「また1年後、追分でお会いしましょう」と言っていたので、彼のファンは残念ながらCD発売を待つしかなさそうです。

 なお、当日の私たちがおそろいのファッション・同じギター・同じ弾き方だったのはステージ上の戦略で、単なる偶然ではありません(何か書けば書くほどボロが出てくるな...)
 追分フェスその他の出演者の写真は、下記のリンクよりご覧下さい。

http://misaok.hoops.ne.jp/bands.html

 

 

★ ライブ一覧(2006.1.21現在)

 少ないながら、覆面シンガーくんの音楽活動を一覧にしてみました(ホントに少ない)。

(全て浜田隆史のゲストとして)

2001年7月14日(土)追分ラッキーフェスに参加

2002年2月14日(木)札幌・Jack In The Box
2002年7月13日(土)追分ラッキーフェスに参加
2002年8月22日(木)札幌・Jack In The Box
2002年10月22日(火)大阪 ミノヤホール

2003年8月21日(木)札幌・Jack In The Box
2003年9月30日(火)札幌・さっぽろ村ラジオに出演
2003年11月2日(日)東京 国分寺・クラスタ
2003年12月25日(木)札幌・Jack In The Box

2004年6月17日(木)札幌・Jack In The Box
2004年7月10日(土)追分ラッキーフェスに参加

2005年1月20日(木)札幌・Jack In The Box
2005年3月29日(火)東京 国分寺・クラスタ
2005年7月16日(土)追分・ラッキーフェスに参加
2005年12月8日(木)東京 国分寺・クラスタ

2006年1月19日(木)札幌・Jack In The Box

 

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