浜田隆史 ミクシイ日記 (2006年3月分 NEW!!.

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 ソーシャルネットワーキングサイトの「mixi.jp」で執筆している日記の過去分[親記事のみ]をここに公開します。
 記事が古いのはご容赦ください。

2006年03月03日
20:51
 変なこだわりについて(2)
こだわりといえば、本名について。

私の名前(浜田隆史)は本名です。戸籍上から見ても間違いなく私は浜田隆史なのです。
CDでも楽譜でも電子出版本でも、もちろんホームページやミクシイにおいても、私は偽名・芸名・ハンドルネームの類を使ったことがありません。仮にも親からいただいた名前を、自分の都合で勝手に変えることは、「考え方が古い」と言われようともイヤなのです。

しかし、別に名前は一つでなくていいとも思っています。人にあだ名がついたり、出世魚のように形が変わる毎に名前が変わったり、アイヌ語地名のように一つの場所に異なる地名がついたりもするのは、それなりの理由があるからです。

今のところ、私はそういう理由をたまたま持つ機会がないだけなのかも知れません。

自分の名前の英文表記にもこだわりがあります。自分の名は、普通は HAMADA, Takasi と書きます(ハマダが苗字であることを表す)。
私はタカシハマダではありません。ハマダタカシが日本人としての正しい発音です。これは、祖先を敬う心を忘れまいと作為した考え方でもあります。
ただし、他の人と一緒に名前が併記されるような場合は、表記の考え方を他の人と合わせ、一般的表記(例えば Takashi Hamada)に従うことにしています。

やっぱり、変なこだわりですね...。
2006年03月06日
16:59
 アイヌタイムズ編集中
しかたないので、「日記」らしいことも書いておきましょう。

現在、アイヌタイムズというアイヌ語新聞の編集中です。
アイヌ語ペンクラブの編集会議が3ヶ月に一度あり、そこでの検討に基づいて私がDTPソフトに入力しつつ校正していくのです。
アイヌ語を集中的に勉強したのはもう十年近く前の話で、今は編集の時に再勉強しながら四苦八苦して進めています。

年々辛くなっているこの作業ですが、いいと思って始めたことは意地でもやめたくない性分なので、何とか続けています。
ここを訪れた皆さんの中で、どれほどの人がアイヌ語のことを知っているかわかりませんが、どなたかアイヌ語の投稿記事を書いていただけると助かります...

aynu itak ponno ne yakka eci=eraman yakun, en=kasuy wa en=kore yan!
2006年03月07日
11:24
 アイヌ語日記
コーヒー豆

tap uhunak, KOHIMAME ku=yaku wa KOHI ku=kar wa k=an ruwe ne.
(最近、私はコーヒー豆を潰してコーヒーを作っています。)

teeta anakne INSUTANTO-KOHI ku=ku yakka keraan sekor ku=nu a korka, tane pirkano MAME or wa KOHI ku=kar hi iyotta k=eramasu p ne ruwe ne.
(昔はインスタントコーヒーを飲んでも美味しいと感じていましたが、今はきちんと豆からコーヒーを作るのが一番好きなのです。)

pakno ka.
(おしまい。)
2006年03月10日
12:21
 アイヌ語日記/sirpaykar
tanto sirpirka wa sonno ku=kewtumu pirka.
(今日は天気が良くて本当に気持ちがいいです。)

tap neno paykar an kor, nani upas ru nankor.
(このまま春になったら、すぐ雪が解けるでしょう。)

hempara pakno ne yakka PASOKON kotca ta k=an hi wen sekor ku=yaynu kusu, te orwano maciya or un k=arpa kusu ne na.
(いつまでもパソコンの前にいるのはよくないと思うので、これから町に行ってきますね。)

suy unukar=an ro!
(また会いましょう!)
2006年03月11日
10:46
 デヴィッド・トーマス・ロバーツのコミュニティ作成

デヴィッド・トーマス・ロバーツのコミュニティを作成しました。今年の秋についに来日ツアーをする彼の素晴らしい音楽について、できる限り広報していきたいと思います。また、同好の人と語り合いたいと思っています。どうぞよろしく!

http://mixi.jp/view_community.pl?id=710017
2006年03月15日
10:40
 昔のCDを聴きながら
私が東京で働いていた頃、お金もまあまあいっぱいあったので、思う存分好きなことに使っていた時代がありました。楽器を買ったり、エフェクターを買ったり、ビデオを買い換えたり、それなりに物欲は満たされていました。

でも、今思えば、その頃買ったものの中で何が大事だったかというと、今も心に残るレコードやCDだったと思うのです。

今聴いているのは、ルイス・ボンファのCD「ノン・ストップ・トゥ・ブラジル」。当時唯一の日本盤で、ブラジリアン・スタイルが好きになるきっかけの一つでした。一番最初に聴いたときは「ちょっとリラックスしすぎかな?」とも感じましたが、今改めて聴くと、この大人の余裕がいっそう魅力的に思えてきます。

やっぱり、自分は音楽が好きなんだなあと思います。
今は、会社員だった頃とは比較にならないくらいの財政状態ですが、これからもいいと思うアルバムはできるだけ多くチェックしていきたいものです。
2006年03月19日
11:25
 昔のCDを聴きながら(2)『Black Melodies On A Clear Afternoon』
Stefan Grossman のコミュニティの掲示板にも書いたのですが、彼の昔のCDを聴いて楽しんでいるところです。

彼のキッキング・ミュール時代の音源は、全部ではありませんがCDでも楽しむ事ができます。特に「Black Melodies On A Clear Afternoon」(Shanachie 98011/12、1991年)は、タン・バン・バーゲイクのテイクまで含み全34曲という圧倒的なボリュームです!
 ライナー解説によると、以下のLPから選曲されたそうです。

Fingerpicking Guitar Techniques
How To Play Ragtime Guitar
My Creole Belle
Famous Ragtime Guitar Solos
Bottleneck Serenade

 本当はそれぞれを一枚ずつCD化してくれた方がいいと思うのですが、ベスト盤と思ってよく楽しんでいます。

 どのテイクもただ「懐かしい」以上に、実に陽気で楽しく、時の経つのを忘れてしまいます。特に改めて聴く9曲目の「Mabel's Dream」はクラシック・ラグとしてもすばらしい演奏! 私もオタルナイ・チューニングでリアレンジしたことがあるくらい気に入っています。
2006年03月20日
17:55
 私のコミュニティ
実は私のコミュニティがあります。マイミクつながりでもある田村くんが作ってくれたものです。
思わず私も参加しようと思いましたが、さすがに本人が入るとマズイかな? と思って二の足を踏んでいます(笑)。

興味のある方はよろしくお願いします。
http://mixi.jp/view_community.pl?id=623178
2006年03月21日
19:33
 回文について
最近、ヤフーの雑誌に紹介されたのをきっかけに、回文関連のメールをよくいただきます。
自分の回文ページにも書きましたが、回文は語呂合わせの遊びながら、文芸としての可能性があると思います。私は詩的な試みとしてもかなり意味のあることだと思っています。
http://www.geocities.jp/otarunay/reverse.html

といっても、「ボルボ」とか「港並み」などたわいのないものや、全く意味の取れない回文もあります。私はなるべく意味の取れるものにしたいのですが、作れば作るほど難しくなっていくようです。もっと精進したいものです。

ではミクシイ回文。
「ミクシイなら可、わからない仕組み」(みくしいならかわからないしくみ)
「素でするマイミク楽しい、師の匠、今留守です」(すでするまいみくたのしいしのたくみいまるすです)
「歓談コミュニティ手に、由美懇談か」(かんだんこみゆにていてにゆみこんだんか)

...まだまだですね。
2006年03月23日
11:40
 アイヌ語日記/SHINBUN ku=nuye okere.
aynu itak SHINBUN "aynu-TAIMUZU" tane ku=nuye okere.
(アイヌ語新聞「アイヌタイムズ」を今書き終えました。)

newaanpe anakne, kani patek ka somo ne, "aynu itak PENKURABU" un utar kar pe ne ruwe ne.
(これは、私だけでなく、「アイヌ語ペンクラブ」の人たちが作るものです。)

ramma c=eramupekamam pe ne korka, neun poka iki=as ayne, hoskino ci=kar hi or wa 9 pa pakno siran.
(私たちはいつも苦労するのですが、どうにかしてついに、初めて作ったときから9年ほど経ちました。)

aoka ka nep ka GENKO eci=nuye wa, un=eikra wa un=kore yan!
(あなたたちも何か原稿を書いて私たちに送って下さい!)
2006年03月25日
11:54
 スキャンロボ、ほしい!
JST、湯川秀樹のノーベル賞受賞論文などを電子アーカイブ化して無料公開
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=17002&media_id=19

いや〜、ここで紹介されている自動スキャンロボ、いいですね。
文献のテキストデータ化は非生産的な作業が延々続くので、こういうのをロボットにやらせるのは大正解だと思います。
2006年03月27日
03:08
 ラグタイムという言葉の語源について
機会があったので、ラグタイムという言葉の語源について、割と真剣に調べてみました。
残念ながら、「ragtime」は以前から「売春宿の音楽」だの「ぼろきれ」だのと、名前からマイナスイメージを持たれてきた用語で、インターネットの記述などでもそういうものが目立ちます。実際にそうなのでしょうか。

◎ "Ragtime: Its History, Composers, and Music" (1985, Edited by John Edward Hasse) によると、以下のことがわかりました。

★1886年に、George W. Cable が、ニューオーリンズの「Congo Square」での黒人の踊りのリズムを「ragged」と表現した。
★1888年のバンジョー音楽の雑誌に、楽譜通りではなく、耳に頼った弾き方として「broken time」という言葉が出てくる。
★1888年にセントルイスのスラム街でラグタイムが生まれたとする説があり、「That song sounds so ragged. あの歌はとても不揃いに聞こえる」という記述がある。(「Saint Louis Post - Dispatch」1909年の記事より)。
★1896年、初めてラグタイムという言葉が楽譜のサブタイトルなどに登場する。

全ての記述に共通するのは「拍が不揃い ragged time」という言葉が元になったという解釈です。
2006年03月28日
12:54
 ラグタイムに対する世間の反応について
前のトピックスと関連があることですが、未だにラグタイムを「売春宿の音楽」として論じる人が多いのは確かです。ラグタイムをライフワークの一つとして音楽活動している私は、危機感と懸念を隠しません。
なお、「売春宿の音楽」というのは、ラグタイム以外にもジャズ、タンゴ、さらにはメシアンの交響曲に対する悪口としても使われていたそうです。

私の尊敬する作曲家のデヴィッド・トーマス・ロバーツは、そのような偏見・誤解と長く戦ってきたようです。自分の作品で「ラグ」とタイトルのついた曲がほとんど無いのもその表れだと思いますし、実際に「ラグタイムという言葉の使用には注意するべきである」と語っていて、いわゆる伝統的なラグタイムの世界と距離を取っているように感じられます。

ラグタイムに留まらない彼の才能は素晴らしいのですが、見方を変えれば、芸術音楽にラグタイムという言葉を適用することができなくなってしまったという、真剣なラグタイム愛好家にとっては不幸なジレンマも感じます。

私は不幸にも売春宿というものに入ったことがないのですが(笑)果たして実際にそういう場所に入ったことのある人たちがこんな事を言っているのでしょうか。それとも偏見に基づいた単なる推測なのでしょうか。

とりあえず、実際に当時のラグタイムがどのような差別的表現をされてきたのか、私に調べられる範囲で以下に記していきます。
2006年03月28日
12:57
以下、"Ragtime: Its History, Composers, and Music" (1985) の「The Reactions to Ragtime」から引用します。

「アメリカは、一般に「ラグタイム」として知られている音楽の影響を通じて、黒人共同体の魂のえじきに陥っていると言ってもいいだろうか。このような国家的災難への傾向がどれほどあろうとも、それは明確に指摘されるべきであり、その影響を抑止するために最大限の手段が講じられるべきであり、すでに蔓延しているわけではないのなら、その増大する危険を防がなければならない。
 アメリカの「ラグタイム」または「ラグタイム」になってしまった音楽は、黒人型の原始的なモラルと相当なモラル限界の象徴である。後者に関しては性的な自制がほとんど知られていないし、モラルの不確立についての最も広い寛容度が認められている。」
(p.107-108、1913年の「New York Herald」パリ編集部に送られた手紙より。)

「多くのラグタイムの歌やダンスは、売春宿からインスピレーションを得たものであり、若者の心を堕落させる市場に放り投げられたものであることがすでにわかっています...。私たちの公安当局者は、悪の巣窟と最も不道徳なキャバレーには常に、ラグタイム音楽、売春宿の広告、そしてわいせつな小説を見つけることができると報告しています。」
(p.111、「Ragtime : A Pernicious Evil and Enemy of True Art」(Leo Oehmler, 1914)より引用。)
2006年03月28日
13:21
上の興味深い論文は、1970年代のラグタイム・リバイバル当時にクラシック界で大いにラグタイムが受け入れられたのと対比する形で、昔のラグタイム時代でのこのような見方を紹介しています。

こういう批判的な見方をしていた人たちの多くは「音楽家、音楽教師、評論家などの、文化的音楽に経済的または感情的投資をしている人たち」と、「聖職者、政治家、教師などの、公的秩序の番人」だったと書かれています。(p.103)

その背景にも言及されていますが、人種的偏見以外にも、リズムの高揚感と性的な興奮を関連づける人、その楽天性を思慮分別の無さと断じる人、「いなか」を批判する都会人、アメリカ人を批判するヨーロッパ人、宗教的な道徳心や性的自制心を説く人など、様々なケースがあったようです。
2006年03月28日
14:01
インターネットで調べていて、素晴らしいページを発見しました。若手ソプラノサックス奏者・北中たけおさんが作った Sidney Bechet著 「Treat it Gentle」の翻訳ページです。
http://www.geocities.co.jp/MusicHall/2493/member/kit_wrt.html

何と美しい文章でしょうか。自然に引き込まれてしまいます。
ミュージシャンの立場から、また黒人の立場から、アメリカ音楽の黎明を語っています。その中に「売春宿」に関する記述もあるので、参考のためにご一読いただければ幸いです。
2006年03月30日
11:34
 ローリング・ストーンズ
昨日はローリング・ストーンズ札幌公演でしたが、私は大ファンにも関わらず行きませんでした。というか、小樽の一匹長屋で自分のライブがあったのです。
でも、自分の予定がもしなかったとしても、高額なチケット料金がネックとなり、行けなかったと思います。最初に価格(S席で18000円)を聞いたとき、私は自分が貧乏であることを再確認しました...。

初めてストーンズを聴いたのは高校1〜2年あたりの頃、名盤『Let it breed』を皮切りに、友人と貸し借りをしたりして、たいていのレコードを聴きまくりました。ビートルズと異なるファンキーなところを理解するのにほんの少し時間が掛かりましたが、今でも彼らの音楽は、私の音楽体験の中でも大きな位置を占めています。

東京で働いていた頃、傑作『Steel Wheels』に合わせた初の日本ツアーがあり、私は会社を休んでまでチケット予約のための電話をかけ続けたのですが、結局全く繋がらず、行くことができませんでした(確かその時のチケットは1万円くらいだったと思いますが、その時は値段なんて気にも留めませんでした)。
あの頃から彼らのライブには縁がなかったのかなあ。

ストーンズのライブを見に行く機会はもうないかも知れませんが、私が彼らの大ファンだという事は確かです。これからも息の長い活動をしてくれるように望みます。

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