追悼:6月7日、ギタリストのノダゴローさんが43才で亡くなりました。

ノダゴローさんの想い出:(06.6.9)

野田さんと知り合ったきっかけは、当ホームページにあるウェブリングからでした。
野田さんが管理していたこのリングをクリックして、今時の日本人には珍しい12弦ギター奏者と
いうことで興味を持ったのでした。
その後互いに連絡し合い、交流していきました。

そうして、2003年秋の本州ツアーで初めて共演させていただきました。
『ライブ日記』にその時の様子が簡単に書かれています。
http://www.geocities.jp/otarunay/livenikki.html#tour3

神経質そうな人を想像していたら、さにあらず、とてもおおらかで貫禄のある人でした。
当時はお体を壊す前だったので、車でいろいろ連れていっていただきました。
基本的にオリジナルの即興しかやらないと言うスタンスにも感化されました。

飯田のピアノを弾く方と私と野田さんの三人で、とある音楽室でやった即興演奏。
全くのラフでしたが、今でもその心地よさを覚えています。
完全フリーの即興演奏の楽しさを、その時私は初めて知ったのです。
別に飯田の「ふぉの」で演奏した即興演奏は、『ライブ・ラギング2』(2004)に収録しました。

野田さんとの交流がなければ、私は今でもルーティンワークに支配された
つまらないギタリストになっていたかも知れません。
『赤岩組曲』(2003)の「川平」もできなかったに違いありません。

その後、野田さんは2004年頃お体を壊し、生死の境をさまよったそうです。
しかし幸いにも演奏ができるまでに回復し、以前の通り各地を精力的に回りました。

2005年、私は北海道ツアーの企画を野田さんから打診されました。
野田さんの体調が心配で、「いや〜野田さん、家で倒れないって約束してくれたらいいですよ」
と冗談混じりでやりとりしました。
北海道で久しぶりにお会いした野田さんは、以前のように大人物の風格でした。

『ライブ日記2005秋』にその時の様子が少し詳しく書かれています。
http://www.geocities.jp/otarunay/livenikki3-2.html

今年の夏も、私は野田さんから打診されて北海道ツアーを企画していた矢先だったのです。
突然の訃報は残念でなりません。
「浜田、今度はウニの季節に頼むな。」と言われていました。
お腹いっぱい食べさせてあげたかったです。
今度こそ満員のお客さんの前で、最高の共演がしたかったです。

まだいろいろ書きたいことがいっぱいありますが、それはまたの機会にします。
私の中では、野田さんと過ごした楽しい想い出しかありません。
その場に一緒にいて幸せな気持ちになる、本当に素晴らしいアーティストでした。
野田さんに出会った多くの人が、私と同じ気持ちであると信じています。

野田さんにお別れは言いません。
またどこかで共演しましょう。

2006年6月9日 浜田隆史

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