目 次
はじめに NEW!!
第1部 ストリート・ミュージシャンの疑問
1.動機を聞かれた
2.シンガーやクラシック・ギタリストに間違えられた
3.バスカー(旅回り芸人)だと思われた
4.写真やビデオに撮られた
5.居座られた
6.確定申告した
7.「よそ者」について第2部 ストリート・ミュージシャンの楽しい体験
1.珍しいお金をもらった
2.子供が踊った
3.思わぬ出会いがあった
4.投げ銭以外のものを投げてもらった
5.同業者と語り合い、場所を譲り合った
6.四季の情景を楽しんだ第3部 ストリート・ミュージシャンの周辺環境
1.屋外について
2.屋内、アーケードについて
3.天候について
4.温度、湿度について
5.時期について
この随筆は、私のストリート・ミュージシャンの体験を正直に(時には誇張して?)つづったものである。
北海道小樽市出身の私は、学生時代からアコースティック・ギターのソロを演奏しているが、人並みに大学を出て就職し、東京で8年間の会社員生活を送った。だからというわけではないが、一応社会の一般常識というものは備えてきたつもりである。しかし、人生というものはわからないもので、私は幾つかの理由から会社員生活に自らピリオドを打ち、2年間の札幌での生活の後、故郷小樽に戻ってきた。ここ数年の収入源は、主に小樽運河でのギター演奏でもらう投げ銭である。
普通の人から見れば最下位レベルに属すると思われる(?)、こうしたストリート・ミュージシャンとしての生活を通じて、私は普通の人が感じることのできないようないろいろなことを感じてきた。これは、時には情けない・はずかしい話でもあるが、私にとって多くはおもしろく、貴重で有意義な体験であり、それなりに一般の興味も惹くものだと思うので、ここにこのような形で著すことになった。
この随筆を楽しんでいただければ幸いであるが、間違ってもこんなやくざな商売は一般にはお勧めしません。そこだけは不必要なまでに強く心にとめてください。
1999年7月18日より執筆
浜田 隆史
復活の言葉
2001年10月に一度ネタづまりとマンネリ化のため削除しましたが、読者の方から復活のご要望が相次いだのと、私自身も改めて読むと面白かったりしたので、何となくこのコーナーを復活させました。気が向いたら更新しようと思います。
2002年2月27日
浜田 隆史
第1部 ストリート・ミュージシャンの疑問
私がストリート・ミュージシャンになった詳しいいきさつというものは、実はそんなにない。強いて言えば、昔からの知り合いだったミュージシャン仲間が小樽運河で演奏してお金をもらっているのを見て、自分もやってみようと思い立った。やってみたら、意外に面白いしお金ももらえたので、そのままやり続けた。それだけのことである。おそらく、そこかしこで見かけるストリート・ミュージシャンは、一部の「プロ志向」をうたう人以外は、みんな「面白い上にお金ももらえる」という同じ単純な理由で、親不孝な声を張り上げたりへたくそな楽器を弾き倒しているのだろう。
私は今でも、運河を通るお客さまから「夢を実現してください」と励ましの声をいただくことが多い。大変ありがたいお言葉だが、お客さまたちのおっしゃる「夢」の意味が大体わかっているので、本当はいつも違和感を持って受け取っている。つまり、...彼はこんな観光地の片隅で腕試しをしているが、いつかは「プロ・ミュージシャン」として有名になり大成することを目指しているのだ...と多くの人は考えるのである。
もちろんお客さまのそういう思いやりの心情は大変ありがたいが、これは裏を返せば「ストリート・ミュージシャンはレベルの低い職業である」という差別意識の現れである。私のストリート・ミュージックが、何かより大きな目標(例えば商業的成功?)のための布石と考えるならば、それは的確ではない。
バブルがはじけてしまった今も、目標をより高く設定するもののみがよりよい成長をするという「成長信仰」が、世の中であまりに強く叫ばれ過ぎている。直接的に言えば、昇給と昇進と社会的名声が、そういう人たちのつまるところの目標である。もちろん、目標が高いのは結構なことだが、やみくもに高い目標設定はたいていの人をあせらせ、無理をさせ、最悪の場合は破綻させる。その目標を何にするか、当面どういうレベルにするかはそれぞれの人が人生の流れの中で決めることであり、自分の考えるタイプから外れた人を悪く思うのは筋違いだ。「ストリート・ミュージシャンはレベルの低い職業である」のか? そんなことはない。「職業に貴賎なし」という言葉は、私が学校から習った言葉の中で最も含蓄の深いものだ。しかし、そういう以前に、ストリート・ミュージシャンがれっきとした職業であるということすら、なかなか一般には認められないのが現状である。だから、私が「これ(小樽運河でのギター演奏)で食べてます」というと、たいていの人は怪訝そうな、または同情的な目で私を見る。ある人は「どうしてこんな事をしてるの?」といきなり動機を聞いてくる。人に動機を尋ねる人は、自分の動機も思い返してみるといい。つきつめて考えれば、誰だって案外大した理由など持っていない。それが生活というものである。また、ある人は「がんばってね」と言いながら、缶コーヒーも買えないお金を入れて去っていく。私は、そういう「親切な」人たちの心がよくわからない。
私は、毎年年度末にはきちんと納税している。投げ銭も正直に申告して、所得税を納めているのだ。それに伴って賦課される国民健康保険も、国民年金も支払っている。もちろん誇れる額には程遠いが、私より突出して収入が多いのに巨額の脱税をして「申告漏れ」「見解の相違」などとうそぶいたり、「納得いかない」などと言って健康保険や年金を不払いにして社会に迷惑をかけている不逞の輩よりは、よほどきちんとしているつもりだ。ただ、こういうことをしているストリート・ミュージシャンは、比較的珍しいかも知れない。投げ銭は、申告をしなければ誰にも証明のできないものだからだ。しかし、いくら納税してもストリート・ミュージシャンがちゃんとした職業と一般に認められないのならば、私は所得を申告しなくたっていいのかも知れない。
私は小樽運河で、金の心配を抜きにすれば、心底幸せな気分でギターを弾くことができる。気持ちいい。単純すぎて詳しく説明することのできない動機が、結局私から普通のお勤め生活を捨てさせた。幸いにして結婚してないので、多くの選択肢の中からこの生活を選んだことを、私は今も後悔していない。もちろん、人生はこれからどうなるかわからないものだし、私はこう見えても結構飽きっぽい方なので、このまま同じことを続けるかどうかは保証の限りではないが。
とにかく、たとえ個展を開かなくても外でいつも絵を描いている人は画家だと認めてもらえるのに、外でいつもギターを弾いている人がちゃんとしたギタリストと認めてもらえないのはとても奇妙なことだ。
世の中には多くのストリート・ミュージシャンがいるが、やはり最も多いのはいわゆる「歌うたい」であろう。しかもギターの弾き語り。ストラップを付けて立って歌う人は少数派で、多くはだらしなく地べたにベッタリ座り、分厚い楽譜集やノートを広げて思い思いの歌をうたう、というおなじみのタイプである。ハーモニカホルダーを付けて歌う人も最近あまり見なくなった。また、昔は一人で長渕などを歌う「硬派」が多かったが、最近は自分一人では自信がないのか楽しくないのか、友達や知り合いになった女の子と輪になって歌っている人の姿をよく見かける。一人はギター、一人はハーモニカや鈴といった鳴り物(これがまた100メートル四方に届くような音なのだ)という編成である。話を聞いてみると、てっきり学生さんだと思っていたら社会人だったということもよくある。
人の悪口をいうのはあんまり好きではないので手短に言うが、私が会ったストリートの歌うたいは、例外を除いてヘタクソが多かった。私の専門のギタープレイは言うに及ばず。歌も、音程がちゃんとしている人に会うのは珍しく、声もそれほど通らず、仮に声が大きくても口の中でむやみにフェイクして(つまりカッコつけて)歌う人が多いので聞き苦しく、その歌を知っている人でなければ楽しめないことが多い。まあもちろん、中には歌のうまい人もいるので、誤解なきように。
私は、ストリートだろうがステージだろうが、音楽をやってお金をもらう以上はプロだと思っている。プロである以上、自分だけでなく他人にも満足してもらわなければいけない。そのためには、どういうジャンルの音楽であれ、その技や芸を自分なりに磨かなければならないはずだ。最近はカラオケブームも一段落らしいが、歌は、誰もができる反面、抜きん出た個性やアドバンテージを得ることがとても難しい。また、歌は自分の内面をさらけ出さなければいけないことが多く、言ってしまえば「恥ずかしい」芸能でもある。さらに、「訴える」と語源が同じであることを持ち出すまでもなく、人に対して及ぼす心理的影響もかなりのものがあり、気に入らない相手をいやな気分にさせる事もたやすいのだ。そういう中で、外で人前で歌うという意味をどれだけ多くのシンガーがシビアに考えているか、私は少し疑問である。
私はアコースティック・ギタリストだが、悪いことにいわゆる「フォーク・ギター」というものを弾いているため、一見こうした「歌うたい」と判別がつかない。私は、歌うことも好きだが、運河では歌わないことにしている。歌はそんなに得手ではないし、観光地である小樽運河では、歌よりも鉄弦によるギターソロの響きの方が似合うと勝手に思っているからだ。
しかし、やっぱり十羽ひとからげに思われているのか、「尾崎できない?」とか「『結婚しようよ』歌って!」などというリクエストが止むことはない。申し訳ない、他をあたってください...と断るのもくやしい。今度は歌の練習しようかな。
どうしてギターを持っているだけで歌のリクエストが来るのだろう。これがマンドリンやバンジョーだったらそんなことはあるまい。ギターという楽器は、それほどまでに大衆に浸透している便利なものなのだろう。私は、左足にギターを乗せて、ギターを比較的立てて弾いている。これは、ほとんどのクラシック・ギタリストが取る演奏スタイルだ。そのため、私はクラシック・ギタリストともよく間違えられる。いわゆる「フォーク・ギター」を演奏しているのに、である。
私が見たところでは、クラシック・ギターと「フォーク・ギター」を見分けることは、特に年配の方には難しいようである。そうした人たちにとっては、ピック・ガードの有無や、鉄弦の響きなどは、大した問題ではないのだ。よって、当然予想されることだが、「禁じられた遊び」や「アルハンブラの想い出」などのクラシック曲をよくリクエストされる。
私は、自分でもユニークだと思っているのだが、小樽運河での演奏は常に、自分が考案した変則チューニングで行っている(詳細は別のページで述べている)。知らない人のために簡単に解説すると、チューニングというのはギターの調弦法であり、私は弦の音程を普通のギターから変えている。これが変わっていると当然、普通の曲が普通のアレンジでは演奏できなくなる。よって、初心者でも弾けるような「禁じられた遊び」の演奏がままならなくなってしまうのだ。
一時期、あまりくやしいので、変則チューニングで「禁じられた遊び」をアレンジして演奏し、投げ銭をもらったりしていた。我ながら、金のためならそこまでやるかとあきれてしまう。しかし、不必要に難易度が高く、超絶技巧が必要となってしまった。それじゃ変則チューニングの意味がないだろ、ということで止めてしまった。まだギターと認識してくれるだけ幸せかもしれない。年端もいかないお子様はギターもわからないみたいで、私のギターを指して「バイオリン」と言う子がよくいる。
お父さん、笑ってないで、そこでちゃんと教えてあげて。
これは前項とも関係するかも知れないが、歌を歌う人の中でも、旅をしながら全国を行脚するタイプの人がいる。いわゆるバスカー(busker 旅回り芸人)である。アメリカでギター修行した経験を持つ私の友人・前沢君は、この言葉を単に「大道芸人」の意味で使っていたようだが、基本的には旅をする人たちだと私は理解している。ギターはどこにでも持ち運べる和声楽器であるため、ギター弾き語りがこのスタイルに一番合うことは言うまでもない。ただ「芸人」というと、歌うたいさんに限らずミュージシャンは自意識の強い人が多く、「芸」「芸人」という言葉を嫌う人もいる。しかしお金をもらってお客を楽しませる以上、それは何であっても「芸」の要素を持つ。大道芸人も芸術家も芸能人も、言ってしまえばみんな芸の達人なのである。
私はバスカーではない。性分として、卒業旅行中の大学生のようにあちこち放浪して歩くのがあまり好きではないからだ。自分の中の哲学としては「ここでがんばれなきゃ、どこ行ったって同じだ」と思ってもいる。しかし、こっそりとバスカーに憧れているのも事実である。旅をしながら歌を歌う、まるでスナフキンにでもなったような、ロマンチックな気分をかきたてられる。これは私に限らず、多くのフォークミュージシャンが一度はあこがれる道だと思う。
それは、プロと呼ばれている多くのシンガーたちが、いかに多くの「旅をするシンガーに関する歌」を歌っているかを検証するだけでもわかる。ぶらぶら気ままな一人旅、自分探しの旅、親切な人たちとの出会いと別れ、ランブリング・ジョン、自分を信じて歌い続ける等々、そこに歌われている歌詞の多くは、旅回りシンガーにとって都合のいい体験、又はいやなら止めれば済むような苦労話であるのが少し気になったりもする。学生でも書けるこうしたバスカーの歌詞から卒業することは、シンガーソングライターの歌詞の世界を広げるための試金石なのかも知れない。当然かも知れないが、真面目にバスカーをやっている人たちは経験が豊富で、さすがに歌がうまい。たまに、運河でハッとするような良い歌に出会うこともあるが、それは大抵こうしたバスカーたちの歌である。そして、そういう人たちの話は面白く、笑顔も魅力的である。旅の苦労によって人間が磨かれるというのは、そういうことなのだろう。こういう人たちの歌には、私も投げ銭を入れたい。
しかしバスカーは、時に鼻につくこともある。近年の無責任なテレビ番組が、そういう無遠慮なバスカーたちを急増させている。彼らは、ヒッチハイクを常套手段にしている。今年(2000年)の夏も、小樽から札幌までのたかだか40キロほどの道をヒッチハイクしようと、えらそうに親指を突き上げる若者を散見した。私は、こういう人様の善意を当然のように当てにして行動する人たちが大嫌いだ。
だいたい、小樽には電車もバスもあり、本数も多い。これが釧路から札幌まででお金がないとか、最終バスを逃してしまったとかいうことならまだ話はわかる。しかし小樽から札幌までのバス料金は片道600円弱(回数券だと1枚520円)のはずで、そんなはした金も持ってないとはおかしい話だ。そんなに貧乏で困っているのなら、ご飯の一杯くらい我慢するか、またはたかが40キロなら1日かけて歩いていけばいい。旅には、それなりの準備や計画、そして人の善意を当てにしない覚悟というものが必要だ。ひょっとしたら、この人たちはとっても寂しがり屋で、ヒッチハイクにかこつけて人と人とのふれあいが欲しいのかも知れない。「旅は道連れ、世は情け」という、バスカーにとってとても都合のいい格言もある。しかし、仲間とつるんで旅をする人も多く、やっぱり今一つ意図が分からない。
車を止める方も止める方だ。お金の問題だけでなく、ヒッチハイクは乗せる方にも乗せられる方にも大きな危険が伴うということを、平和ボケした人たちはまるでわかっていない。人を信じることしか知らない子供たちには、旅によってその怖さをこそ学ばせるべきである。「かわいい子には旅をさせろ」というのは、まさにそういう意味だと思う。無垢なままでは、人は世の中を渡っていけないのだから。
特に女の子のヒッチハイカーなど言語道断...って、だんだんオヤジの説教みたいになってきてしまったので、この辺にしておこう。ところで、私は自宅から小樽運河まで歩いて通っているのだが、ギターとアンプは欠かせないため、登山用のリュックにアンプを入れて背負っていく。その姿はまさしくバスカーそのものであるため、お客さんに「どこから来たんですか」とよく言われる。地元だと私が言っても、ひょっとしたら内心信じていない人もいるかも知れない。観光地では「地元」の情報の方が興味をそそるからである。それを逆手にとって、本当は札幌からひょこっとやって来た人が「小樽でいつもやってます」とのたまったこともある。ホント、この世渡り上手!
また、ギターを持った本物のバスカーがやってきて、類友だと思ったのか「隣で一緒に弾いてもいいですか」と言われたこともある。こっちは遊びじゃないんだけど...。
別にこの随筆は、私のストリートでの不満を発散するのが目的ではないのだが、このことにはぜひ触れておきたい。それは、カメラを持つ人たちに関する疑問の体験である。
私が最初に小樽運河でギターを弾いてから現在に至るまで、不景気で投げ銭の額が減ることはあっても、カメラを持つ人たちの数は減りそうにない。もともと小樽運河は観光地であり、また最近はカメラやビデオもお求めやすい価格になっており、ここに来るお客さんで、そういう機械類を持っていない人の方がむしろ珍しいくらいである。メカには弱いはずのお年寄りや奥様までデジタルカメラを使いこなしているのを見ると、どうやら時代の移り変わりを感じる(私の母は、レコードすらかけられないのに)。遠く離れた観光名所の風情ある写真を収めたい、子供たちの活躍をビデオに収めたい、形に残して、よい思い出にしたい。それは大変結構なことである。
しかし、私は最近、カメラが少し怖い。別に魂を抜かれるとかではなく、無遠慮で目的のわからないカメラに取り囲まれて、ひょっとしたら私は人間だとすら思われていないような感じがしているのだ。私がギターを弾いている姿をカメラに収める人で、私に一言断りを入れるような方は少数派だ。大多数は、何の遠慮もなく写したり撮ったりして、そのまま立ち去る人たちなのである。初めての頃は、それでも観光客のためになるのなら、と何も言わずににっこり笑ったりしていたが、そういうことが度々あると、心が空しくなってくる。
最近では、あまり露骨な人にはそっぽを向いたりする。カメラマンは、機械が大がかりになればなるほど大きな態度をとる人が多いようで、三脚でビデオを撮る人が出てきたらもうアウト、最悪の時には演奏を中断してしまうと、その人はさっと立ち去ってしまう。
ちょっと話はずれるが、運河を撮りに来るテレビ局のカメラマンなど、じゃまだから退けと言わんばかりなのだ。ドラマのロケに来た人たちなんか、通行人を通せんぼしたりして、私にとっては立派な営業妨害である。たまのことだから我慢してあげているだけだ。また、知り合いのプロのカメラマンに一度望遠レンズというものを見せていただいたことがあるが、これはずるい。誰にも気付かれずにエッチな写真でも何でも撮れそうだ。いやいや、悪用されたら大変な代物だと思った。被写体の話題に戻ろう。ひと頃問題になった「肖像権」などを振り回すつもりはない。観光地でギターを弾いている、つまり人の好奇の目があることを前提にして仕事をしている点で、私のようなプロ・ミュージシャンの肖像権は、普通の人間のものより弱いと思う。
プロのミュージシャンのコンサートで、カメラやビデオ持ち込みお断りというのがよくあるが、あくまでそれらの写真や映像を商売として取り引きされることを防止する意味が主眼であり、個人が楽しむのなら特にうるさく言う問題ではないような気がする。プロは、人に自分を見せるのが商売であり、多少のファン・サービスは引き受けるのが粋というものだ。私も、心あるプロの方のそういうサービスに、気持ちの良さを感じたことが何度もある。ちなみに私のライブの時も、個人で楽しむ範囲なら全然構わないので、よろしくね。
普通のプロの「撮られたくない!」という気持ちは分かるし正当なもののはずだが、結局いやなら止めれば起こらない問題に対して、ことさらに不平を言ったり権利を主張するのはかっこわるいことだ。私は別に、小樽市に許可をもらって演奏しているわけでもない。自分の一身上の都合で演奏しているだけで、本当はやめることもたやすいのだ。
ストリートをやっている私の知り合いが、「カメラ撮影の方、投げ銭お忘れなく」と書いた紙を投げ銭箱に貼っていたことがある。もちろんそれを見て投げ銭をしてくれる人など少ないし、それは承知の上。せいぜい、そういう程度のことだろうと思う。ただもちろん、写したり撮ったりする人の礼儀というものがある。例えば演奏の最中にフラッシュを焚かない、(出来ない場合が多いが)可能な限り撮っていいかどうかの確認をする、友人や他の人などに広めたり売ったりしない(広めるときはその使用目的に対して本人の許可を頂く)、など。実は、私が昔編集していたギター同好会誌では、ここで上げた礼儀に反した記事を書いた。小さい規模だったし、もう時効だからまだいいようなものの、今となっては編集者として恥ずかしい限りである。
そう見ていくと、コンサート会場のように演奏者と観客に距離がある場所ならまだしも、運河のような場所でのパフォーマンスでは、撮る人が一言「撮っていいですか?」と断れば済む話だ。特に難しいこととは思えない。私も、最初にそう言われて、意地悪く撮影を断ったことは一度もない。何度でも撮られようと思う。しかし、多くの人は何の断りも入れてくれない。そういう会話も、私にとっては張り合いのあることなのに。また、先に撮っておいてから、事後承諾的に確認する人もいるけれども、これはいけない。やはり最初に確認するのが望ましいと思う。カメラマンは「自然な表情を撮りたい」といって人の姿を抜き打ち的に捉えることを好むようだが、私は水鳥ではない。ただこの問題には、難しい側面もある。ステージの上にいるミュージシャンと違って、小樽運河の特定箇所に私がいなくても、観光客は同じようにその場所を、小樽運河の美しい風景として撮っていたかも知れないからだ。このことも、私がことさら肖像権を主張しない大きな理由の一つである。
ただ、私がそこで演奏している人間であることはやはりどうしようもない事実であり、いろんな要因を差し引いても、知らない人が知らない人にカメラを向けることには最低限の礼儀があるべきだ。撮る方と撮られる方の気持ちよい関係作りは、撮る方がその鍵を持っている。
それは、たった一言で表せる配慮の気持ちである。
ストリート・ミュージックは、道行く人に自分の音楽を聴いてもらうという、ミュージシャンにとって結構虫のいい演奏形態かも知れない。と言っても、歩く人が迷惑がっているかどうか不確かなまま、人の視線によるプレッシャーに耐えていることも確かである。歩く人にとっては全く意識に上っていなくても、演奏する人はその視線を過剰なまでに意識することがある。「評価されたい」「投げ銭を入れさせたい」と少しも思わないような人は、そもそもこんなことをしないだろうから。
お客さんが立ち止まって聞いてくれるというケースは、小樽運河では年々少なくなっている。やはり不景気を実感せざるを得ないのだが、その全く逆に、同じ人が座ったりしてずーっと聞いているというケースがある。もちろん自分の知り合いは構わないし、知り合いでなくてもそこまで自分の演奏が気に入ってくれたのかと思うととても光栄なことではある。投げ銭が入れば言うことなし。ただし、以下のような場合はどうだろうか。
聞いているそぶりの見えない人たちが居座る。向かいに座り込んで、アベックならすぐに2人で話し込んだりして、何だかこちらを見て笑っている感じもしたりする。すぐ立ち去るのかと思えば、私の持ち曲がなくなるくらいまでずっと座っている人もいる。今のレパートリーでは、全曲ぶっ続けでやればMC抜きでも2時間以上になるので、ものすごい長時間である。場合によるが、私は同じ日・同じ人に同じ曲を2回聞かせるのが(リクエストならともかく)死ぬほどいやなので、適当なところで休みを入れて話しかけようとすると、いつの間にかいなくなっている人も多い。そりゃーないよ!
また、ひどいときは、ケータイで大声でしゃべりながら居座ってしまったりする人もいる。ちょいと脱線する。あのケータイという機械を持っている多くの人々には申し訳ないが、そこまでして四六時中おしゃべりしなければいけない理由が(仕事ならまだしも)よくわからない。そんなに普段会って話をしていない友達が多いのだろうか。いや、おそらくついさっきまで一緒だった人と、わざわざケータイで話し込んでいるだけかも知れない。「今話さないといけない」という理由、つまりロマンや生活感の生まれる余地がかなりなくなっている。色即是空、言葉によるコミニュケーションというものもこうなると重みがなく、物質的現象と同じく空しい移ろいの様相を呈してくる。デジタル化により音楽のありがたみが、そしてケータイにより言葉のありがたみが薄れてしまったように感じられて、私は何だか変な気分なのだ。
しかも、あれは電磁波の人体に与える影響を誰も証明できていないまま発売されているので、いつか耳や脳の腫瘍が激増するのではないか?と思ったりもする。いや本当に、あと30年くらいケータイをお使いの皆さんを実験台にしないと、ジョーダンかどうか誰にも分からない話なのだ。私は横から見ているので、人類の進歩のためどうぞケータイをお使いになって下さい。あ、PHS というのもあったっけ?大幅脱線ですみません。まあとにかく、仮にも真面目に演奏している人を、まるで植木鉢のように安く見ないで欲しいと思う次第...。まあ、自分の音楽を聴いてもらいたい一心で演奏しているのに、そういう熱意を意識的又は無意識的に踏みにじるような人たちがいるのは、外で演奏する音楽家の出会う宿命である。私って一体何?と思いながら、また2巡目の曲を演奏するときのむなしさを感じるとき、私はちょっとした詩人になってしまうのだ。
向かいの人もそれなりにプレッシャーだが、演奏している横に陣取ってタバコをふかしながら談笑しているような人たちも、顔の様子がよく見えない分どう反応していいかわからない。あまりそばに近づいてくるというケースはそんなにないが、こちらは黙って弾くしかない。そのうち、待っていた仲間が現れて、その人たちは何も言わずに去っていく...。要は、BGMのある待ち合わせ場所に使われただけだった、という場合が最も多い。
また、注意したいのは、仮に積極的に聞いてくれる人が横に何人かいたとして、彼らがあまりずっとそばにいると「彼らは演奏者と仲間なのではないか」と思われてしまうことだ。仲間内だけで車座になる歌うたいの例を上で紹介したが、それとまさに同じように見られて、「あいつらはあいつらで勝手にやっているんだな」と思われると、その他のお客が素通りする率が高くなる。しかし、まさか「もう出てってください」なんて口が裂けても言えないので、この辺は難しい。関心のないまま居座っている人たちと、しばらく聞いたあと気に入って投げ銭を入れてくれる人とを線引きすることは、神様でもない限り難しい。実際、一見関係なさそうに横に居座って聞いてくれた人が、高額の投げ銭を入れてくれるというケースも多いのだ。極端な例では、近くのトイレで用を足しているときに音楽が聞こえてきて、それで感動したと後から言ってきた人もいる。どんな状況で聞いてくれるか、そしてそもそも聞いてくれているのかどうか、演奏者が想像できない場合もある。だから、力が抜けない。
ストリート・ミュージシャンは自分の音楽のことしか考えていないが、周りの人の視点に立てば、彼らはただ自分の生活に忙しいだけである。そういう意識のギャップが、たまたま近くに座って休んでいるだけの自分を演奏者が煙たがるという理不尽を生み出す。これは、投げ銭活動の生み出す心の小さな歪みである。しかし何と言っても、こちらは黙って弾くしかない。それが商売だからだ。
今回は金勘定の話なので、数字に弱い人は見なくても良い(?)。
前の方で少し触れたのだが、ストリート・ミュージシャンのような自由業が社会的に低く見られやすい最大の要因は、収入が水物で、しかもそのお金は申告しなければ誰にもわからない(レシートのない)ものだからだ。しかし、そういうことならば、世の中には多くのそうした自由業に従事している人がいる。収入の形態はどうあれ、働いて得たお金を恥じるような理由は何一つ無い。
つい昨日(2001年3月9日)、私は小雪の舞う中、例年通り小樽市税務署で確定申告をしてきた。よく税務署が怖いという先入観を持つ人がいたり、こちらも冗談混じりで言ったりすることもあるのだが、全然そんなことはないと思う。実際、申告書の書き方がわからない人には、ざっと説明してくれるし、妙なところで突っ込みを入れたり怒られたりするようなこともほとんどない。昔の怖い税務署のイメージとは大違いである。
まあ、私の年収が、いちいち文句を付けてもそれほどスケールメリットのないものだからかも知れないが、真面目に数字を積み上げて、レシートなどの資料も可能な限り見せて、それに責任が持てると言うことであれば、大抵は一発で通してくれる。むしろ、「もう控除するものはないですか?」と心配してくれたりする。
私、この一言には結構弱い。確定申告を自分でやったことのない人はわからないだろうが、自分の事業の収支を手計算できちんと合わせるのは、想像以上に大変なことである。思いついた数字をさっと計算しただけでは、何かの費用が抜けていたり、またその費用を証明するものがなかったり、源泉徴収の証書を取り散らかしたりして訳が分からなくなる。ただ、一流企業とはほど遠いが、きちんと自分のやっていることを自分で証明することは、とても意義深いことだし、なかなかおもしろいことですらある。私は、自分がこんなことをやっていたのだと、過去の自分に納得しながら(またはがっかりしながら)結構楽しんで計算している。
投げ銭にはレシートがないので、毎日つけている集計表でまとめた数字を使っている。また、CDを外で売るときには、細々した消費税込みの価格ではお釣りが大変なので、切りの良い金額で取り引きしたりしているが、そうした数字も含めて収入にカウントしている。外でお金を得る、私のような商売をしている限り、商売人は結構やりたい放題ができる。おれはストリート・ミュージシャンだと誇らしげに自認する人たちの中でも、投げ銭収入をごまかすことを特に悪いと思わない人は圧倒的に多いだろう。でも、確定申告は文字通り1年の総決算、最後で全然でたらめな計算をしては、今まで私が1年間一生懸命に生きてきた事実まで、全部でたらめになってしまう。そんな気がして、私は絶対イヤなのだ。個人の会計には正確性に限界があるのは承知の上だが、たとえ一部にどんぶり勘定があっても、いただいた収入をきちんと精算しようとする意志を私は大事にしたい。そうすることで、私は社会の一員だということを感じながら、大手を振って生きていける。
国の政策に鬱積した不満があろうが、財布の中身がいくら軽かろうが、私はやはりこの国の国民なのだから、一応の仁義は通させてもらう。ある掲示板で、投げ銭は純粋なお客さんの厚意だからそのまま全額を受け取り、きちんとしたレシートのある収入とは区別してもいいのではという意見も見たことがあるが、収入というものは誰がどういう気持ちで渡すものであっても同じで、基本的に全て誰かへのねぎらいであり、厚意であり、働かない奴にはあげなくていいモノなのだ。こういう意見には、やはり「投げ銭活動は労働ではなく趣味の範囲である」という先入観が見え隠れしているように思える。私は、この決して少なくない投げ銭収入で生活する者として、投げ銭も課税対象の収入であるという事を(控えめに)訴えたいと思う。それが少なくとも私にとって、生活としての音楽を証明することなのだ。
税金は怖くない。むしろ、国民健康保険の重圧がきつい...。
私見だが、保険料減免の対象範囲は、いかにも杓子定規で狭すぎる。もっと収入の階級分けは細かくても良いはずだ。適用を受けられない人の中では、これが原因で財政難に陥る人も多かろう。所得割分の他に、所得に関係なく賦課される定額部分が大きすぎるので、貧乏な人の負担が相対的に高いのもあまりよく思えない。こんな何だか根拠がよくわからない加算方法では、確かにグチの一つも言いたくなる。
私はおかげさまで健康体、ここ数年ほとんど医者には掛かっていないのだが、社会全体の仕組みであるからやむを得ない。しかし、何でこんなに高いんだ、くそっ。
あ、やっぱりグチになっちゃった。
ここでは、とても赤裸々で、かつ難しい話をしたいと思う。
私の父の実家は小樽市にあった。何度か転勤になったものの再び小樽市に戻り、そこで一生を終えた。父はちゃきちゃきの小樽っ子と言えるだろう。私は、正確には父の転勤先の苫小牧で生まれたのだが、物心付く前に小樽へ戻り、以後小中高、大学卒業まで小樽で暮らした。他の所でも何度か書いているが、私が「小樽市出身」なのは間違いない。しかし、その後8年間の会社員生活を神奈川県と埼玉県で、そして退職後のアイヌ語学習期間を札幌で2年間過ごした。この10年間のブランクで、地元小樽で共に暮らしたはずの友人たちとのつながりはほとんどなくなってしまった。もちろん、今でも親交の厚い古い友人たちはいるが、どちらかというと本州の方が知り合いが多いのである。一応私は小樽っ子なのに、そんなわけでイマイチ中途半端なアイデンティティー(帰属意識)を持っている。
何が言いたいかというと、振り返って小樽の文化活動に携わる人たちの出身に注目してみると、それを生業としている人たちの多くは小樽の外からやってきた人が多いということである。言うまでもなく、北海道随一の、いわば「生国のるつぼ」である札幌からの流入者が一番多い。一般的に見ても、自動車販売店だろうがNTTの支店だろうが、多くの会社の小樽に対する位置づけは「札幌のおまけ」なのである(私は、歌もの「私の小樽」でこの辺りの事情を揶揄した)。小樽運河周辺の地ビール店やレストランなどを運営している会社は、札幌の資本である。こういったことは、地元に住んでいる方なら誰でも一度は内心しゃくにさわる思いをしたはずだ(何で地元の人ががんばらないの?と)。私の見る限り、文化活動においてはさらに圧倒的に、札幌からの浸食を許していると感じられる。
投げ銭活動しかり。私は前の方で、「来るもの拒まず」のすがすがしいスポーツマンシップを得意げにご披露しているのだが、その話と一見矛盾するようで大変心苦しいが「よそ者」が余りにも多いのである。レギュラーである小松崎さん、高倉君、織田さんたちは、みんなわざわざ車に乗って札幌から小樽までやってくる。歌うたいたちも、話して見ればススキノから移ってくる人たちが多かった。地元に住んでいるミュージシャンは、私と、本州方面から流れ旅の末に小樽に移住してきた吉倉君、夏の間にたまに来るギターおじさんくらいではないか。地元の学生たちは一体どうしているかというと、ごくたまにやってきては、あきらめてしまうようなのだ。急いでお断りしておくが、私は札幌や他の町から来る人たちのことを疎ましく思ってこんな事を書いているのではない。全然違う。「難しい話」と書いたのはそこの所だ。彼らとの暖かい交流は、私の人生にとっての宝であり、そのことを忘れてしまったわけではない。さらに、この投げ銭市場を開発したのは彼らであり、その意味では後発の私の方が「よそ者」なのである。私が言いたいのは、真の意味での地元・小樽発信としての文化というものは、地元出身の若者の主導で作られるのが普通の姿ではないかということで、郷土愛に根ざしたごく当たり前の疑問なのだ。
しかし、事はそう簡単ではない。小樽の高校や大学を出たものの地元では職がなくて、札幌や他の主要都市へつとめに行くケースはずいぶん以前から普通である。私もその一人だった。これは特に小樽に限らず、北海道のどの市町村にも多く当てはまる。自分や家族の生活がかかっている以上、みんな長いものに巻かれたい。職があり、給料もよく、取引先の会社が多く軒を連ねる主要都市。みんな、そういうところで商売をしたがる。商業としてみた文化活動は、公私に渡る支援(投げ銭もその一つだが)が必要なので、札幌のような経済基盤が確立されたところに集まりやすい。もともと、寂れつつあった小樽に文化活動を養う経済的余裕はなかったのかも知れない。
さらに、小樽唯一の商科大学に占める地元以外の人の率は年々増加している。私が在学していた頃、商大と北大の対抗戦でのヤジ合戦の中で、「この山猿!」(北大が商大に言うヤジ)というのがあったが、今ではそのイメージとはほど遠く、多くの山猿たちは堂々と電車やバスに乗って札幌からやってきて、また帰っていく。都会派の猿とでも言おうか。そこに、小樽運河という、ある意味特殊な発展を遂げた観光地がある。また、マイカル小樽という実験的な商業施設がある。これらの集客能力の多さは、今さら言うまでもない。小樽のこうした場所でのにぎわいは、他の地方の一般的な繁栄の姿とはかなり異質である。その姿は、私の先ほどの疑問と重なっていく。
一度、私はマイカル小樽でデモ演奏を頼まれたことがあり、気持ちよく演奏できたのだが、スタッフは全て札幌の人だったと記憶している。お客も、どこまでが地元の人か、よくわからない。小樽運河では、地元の人にあまり出会わないということは、前にも書いただろうか。ここは、あくまで観光客の行く場所だと思われているのだ。昔は、ここには絵を描く人がたくさんいたのだが、今では商売人以外はほとんど見られなくなった。
つまり小樽は、地元の人のかかわりがすごく希薄なまま、当事者不在の繁栄を迎えている。それは、人口減にあまり好転の兆しが見られないことからもはっきりわかる。私が子供の頃は20万人以上だったものが、今は15万人そこそこ。平均年齢も健康保険料も高く、産業は育たず、若い力はすぐに流出してしまう。小樽出身のロックバンドが相次いでメジャーデビューしたというのは音楽方面での明るいニュースだが、つい最近までロックが演奏できるライブハウス一つなかった状況で、後続が定期的に出てくるかどうかは定かではない。では、どうなるのが望ましいのだろう。
もちろん一足飛びにこの状況は変わらない。しかし少しずつできることはあるはずだ。文化活動に絞ってものを言わせてもらえば、まず自治体は、そして地元の人たちは、自分たちの文化活動を巡る環境にもっと注目してもらいたい。例えばまともな個展を開けるギャラリーがどのくらいあるのか(私の知り合いの写真家や画家たちは、小樽でなかなか個展が開けない)。博物館や美術館などの資料が充分閲覧される状況が整っているか(たくさんの未公開資料があり、教育機関などの要請がなければ自由に閲覧できないらしい)。ついに小樽から絶滅してしまったかわいそうな地元映画館を救う手だてはなかったのか(以前は信じられないくらい数多くの映画館があった)。音楽や演劇などを楽しむ身近な環境がどれほど少ないか(これは私が身をもって体験している)。自費出版を支援するシステムがあるか(小樽の文芸方面での立ち後れは、かつての繁栄から見ればウソのよう)。大学がいかに外に対して閉じた空間になってしまっているか(OBの私にも、学園祭で何をやっているかすら、なかなか耳に入ってこない)。そもそも、自分の興味対象が最近特に狭くなっていないか。などなど、この分野のことを言い出したら果てしがない。
文化は経済のバロメーターである。もし、萎縮してしまった文化活動に無関心で、外からの文化流入にいつまでも他人事のように依存しているならば、この町の経済はついに最後まで自立しないということを間接的に証明してしまうだろう。私はアイヌ語やアイヌ文化について少しは学んだつもりなので、本当は今まで書いてきた文章にも、本当は自分で矛盾を感じている。誰が何と言っても、もともと北海道は、アイヌ民族の国だったのだ。今では意味が分からなくなってしまった地名を含め、よくこんな所にまでと思うくらい地名が残っている。残念ながらあまり資料は残っていないが、おそらく彼ら独自の文化がこの小樽にもあったはずである。それから見れば、私だって「小樽っ子」を名乗っている割には、いかに自分が「よそ者」であるかを感じずにはいられない。ここまで言うこともあるまいが、私の父方はおじいさんが養子だったので出身が遡れず、母方のご先祖様が青森出身の農民だったらしいことまではわかっている。私に限らず、道産子の多くは本州方面からの移住者を先祖に持つ。
ここで思考を変えよう。
歩く足がある以上、人はみんな、誰だってよそ者なのだ。そう考えれば、今の小樽のかりそめとも思える繁栄を他人事と捉えるのも後ろ向きである。札幌という大資本が近くにあるという事を、不平不満のタネでなく単純に利点と捉えて、利用してしまうしたたかさを持ちたい。大事なのは、他ならぬ自分たちが関わっていこうとする自発的な意欲である。それこそが、文化を作っていくエネルギーだと思う。そして、そういう意欲を支援する人たちが、地元の文化を支える屋台骨なのである。
だから、だから...投げ銭入れてね。
長々と書いたが、最後で無理矢理おねだりしてみました。
第2部 ストリート・ミュージシャンの楽しい体験
ストリート・ミュージシャンをやっていて楽しいことの一つは、いろんな人に出会えるという事。もちろんほとんどの人はただ通り過ぎるだけなのだが、私は気に入ってもらうためになるべくベストを尽くしているつもりだ。
観光地でいろんな人が来るということは、いろんな人種の人が来るということでもある。もちろんディズニーランドほどではないが、外国人の方もよく見かける。
一番多いのはロシア人で、観光で来る人よりはむしろ船員さんが多いようだ。小樽は場所柄、ロシア人を見かける機会の多い町である。「私の小樽」の歌詞でも歌ったが、ほとんどの人は日本語も英語も分からないため、なかなか話が通じない。
次に多いのは台湾や韓国、香港といったアジアの同胞たちで、特に台湾の方は近年急増している。北海道を舞台にしたテレビ映画などが当たったためらしい。次いでその他の国々、デンマークやフランスなどの欧州人、意外に少ないアメリカ人、ターバンを巻いた女性もたまに見かけるのでおそらくイスラムの国の人もいた。もうここには二度と来ない人もいると思うので、こういう人たちを見ると改めて「一期一会」の教えを思い出す。そこで、たまにだが、珍しいお金を投げてもらったりすることもある。観光で来ている方は、日本円に換金している方が多いはずなのだが、それでもその国の紙幣や硬貨を投げていただくと、私は何だか日本円でもらう以上にうれしくなってくる。あまりうれしくて、私が今までいただいた珍しいお金は、ドル札を除いて保管している。貨幣は、当然ながらその国の言葉や文字で書かれているため、異国情緒に触れることもできる。
以下に、そのリストを作ってみた。<ロシア> やっぱり一番多くいただいている。種類がやたらに多い。
100ルーブル紙幣
50ルーブル紙幣
10ルーブル紙幣
5ルーブル硬貨
2ルーブル硬貨
1ルーブル硬貨
50コペイカ硬貨
10コペイカ硬貨
1コペイカ硬貨
旧500ルーブル紙幣(旧貨幣は、現在の1/10の価値。)
旧10ルーブル硬貨
旧1コペイカ硬貨<ウクライナ>
5グリベーン(?)紙幣<フランス>
50 Cinquante(?)フラン紙幣
フランス1/2フラン硬貨<アメリカ>
10ドルなどのドル札(換金済みのため詳細は未確認)
アメリカ1/4ドル(25セント)硬貨
アメリカ1ダイム(10セント)硬貨
アメリカ5セント硬貨<韓国>
100ウォン硬貨
10ウォン硬貨<香港>
50セント硬貨<台湾>
100円紙幣
1円硬貨<日本> 特に珍しい硬貨について。
500円硬貨(長野オリンピック記念「フリースタイルスキー」)
500円硬貨(長野オリンピック記念「ボブスレー」)
500円硬貨(内閣制度百年記念)<番外編>
テンフォー、ピザ専用50円硬貨
イーグル(おそらくスロットマシン用?)硬貨と、立派にリストアップできてしまうのだが、改めて日本の札の精巧さを思い知ることになる。日本の札に見慣れると、外国の札がまるで宝くじや馬券のように見えてしまうのだ(まあ、新しいルーブル紙幣は確かに美しいが)。その点、硬貨はいろいろな大きさやデザインが面白い。昔気質のデザインが魅力的なアメリカの硬貨は、裏と表が逆さまになっているのが他の国と異なっている。また、特に可愛いロシアの1コペイカ硬貨は、その単位に見合って一番小さく、一円玉の周囲の枠よりさらに一回り小さい。これでちゅうちゅうたこかいなとやっているロシア人を想像すると、なんかおかしくなってくる。穴の空いている硬貨はなく、日本の5円や50円硬貨が逆にいとおしく見えてくる。
また、意外に面白いのは日本の記念硬貨で、特に「内閣制度百年記念」の500円玉は、普通よりも一回り大きくて分厚いため、やたらに重たい。硬貨というよりは、観光地でよく売っているメダルに近い感覚である。これでは自動販売機には入らない(今は500円が使えない機械も多いが)。内閣制度の100周年がよほどおめでたかったのだろうか、周囲の縁にも「NAIKAKU 100 NEN」と刻まれている。よくこんな珍しいお金を入れてくれたと、感激したものだ。
とにかくこれからも、珍しいお金をゲットすべく、精進したいものだ。
いかに一生懸命演奏しても、お客さんに気に入られなければなんにもならない。いずれ触れる「TPO」の問題も含め、ストリート・ミュージシャンがお客に気に入られるには、いろいろと条件が揃わないといけない。私の演奏する曲の多くは調子のよいラグタイムなので、とにかく演歌を聞きたい中高年齢層にはなかなか支持されないようである。
そんな中で、家族連れの中の子供は、何でも珍しい年頃なのかよく関心を持って見てくれる。音楽を聴くというより、「何これ?」という感じなのだろう。私はあまりお客さんの顔を見ないように演奏しているので、ここでも子供の顔を見ないようにすると、「何でこっちを見てくれないの?」というように、じっとこちらの顔を伺おうとする。子供の情操教育に関しては詳しくないが、あんまり大人が子供の目から顔をそらすと性格の悪い子供になるようにも聞いているので、しかたなく振り向いてあげると安心して、すぐにこちらへの関心をなくすのが一般的だ。
年齢にもよるが、小学校前の本当に幼い子供は、当たり前だがメロディーなどわからないようで、ただ曲のスタイル、特にアップテンポのリズムに反応する。だから、特にポケモンやドラえもんをやらなければいけないというものでもないらしい。当然、難しい曲やスローテンポの曲はアウトだ。
幸いにして気に入ってくれると、幼稚園のピアノに合わせておゆうぎするみたいに、ギターに合わせて踊る子供もいる。親は笑いながらカメラに撮る。私も面白くなってどんどんスイングする。こういう微笑ましい情景に出会うと、本当にストリート・ミュージシャンをやっていてよかったと思う。ただ、いいことばかりではない。まず、泣かれるともうお手上げだ。ぱたぱた歩いてきて、いきなり目と鼻の先まで近づいてくる子もいて、ビックリして演奏をとちりそうになることもある。投げ銭を入れる箱につまずいたり、売り物のCDを落として踏んづけたり、お友達と騒いで遊んだり、奇声を上げたり、いろいろとファンキーなことをやってくれたりする。「やるかな、やるかな」と思って黙って見ていると、やっぱりやってしまうのだ。まあ、かわいいからいいやと、割れたCDケースを見ながらため息を付くのであった。
また、我々大人にとってはお金は欲にまみれたものだが、子供にとってはただの「光り物」。ちと古いが、私たちから見ればビー玉のような感覚か。箱に入っている光り物は取ってみたくなるようで、お父さんに言われて投げ銭を入れに来た子が、逆に投げ銭箱の中のお金を取ろうとしたりする。「取っちゃダメだろ」と諭すお父さんを見て、教育現場に立ち会っている感じもした。子供のこのような旺盛な好奇心は、大人になるにつれて薄れていく。
なんの関心も示さず通り過ぎる大人たちに慣れてしまうと、どんなことにも興味を示す子供たちの心の豊かさは、うらやましく思えてくる。
修学旅行中の中学生たちになると、ほとんど通り過ぎるだけ、たまに声をかけてくれるくらい、まれにあまったダラ銭を入れてくれたりするだけなのだが、一度関心をもつとやはり子供たちはちゃんと聞いてくれる。少ないお小遣いの中からの投げ銭は、額は小さくても大人たちの気まぐれよりよっぽど貴重だ。私たちも、財布の中のなけなしのお金だけでなく、ほんの少しの好奇心をいつも持ち合わせたいものだ。
私は、「風の強い日」という歌もので、次のように歌った。
何かの偶然 出会いはつかの間
気まぐれな風は とどまらない
いつかまた会える きっとまた会える
私はここにいるよ いつまでもここには、もはや小樽と一体になってしまった「私」がいる。
私は、この歌詞の通り、何年も同じ場所でギターを弾いている。本来、ストリート・パフォーマンスをする人は、最もよい場所を求めてさまよい歩くのが、効率という意味では理想的である。普通のストリートつまり町では、地元のなじみの人しか来ないことになり、たとえ一度投げ銭を入れてもらっても、飽きられてしまえば次からは入らなくなってしまうのだ。実際、ススキノで苦労している友達も知っている。しかし、小樽運河のような観光地にいらっしゃるのは、リピーターの他は、多くは私にとって初対面の人たちだ。しかも、全国からやってくるのである。
ススキノのような飲屋街では、アルコールにより金銭感覚がゆるみ、うまくすればより多くのお金が入るかも知れないが、観光地ではそういうことがない代わりに「お客の回転がいい」というという利点がある。つまり飲屋街より多くの人に出会えるということが、私にとって重要なのだ。そこでは、ただ投げ銭を頂くだけでなく、青空の下でいろいろな人との出会いがある。
多くは一度きりの出会いなのだが、中にはその後お世話になったりした方もいる。例えば、お手紙で一緒に撮った写真を送ってくれたり、商品をご注文下さった方、ライブハウスのマスター、さらにはレストランなどでの演奏の仕事をご紹介下さった方もいて、感謝に堪えない。こんな都合のいい出会いは滅多にないので、そういうことを常に期待したり、なくてがっかりするようなことではない。
プロデビューを目指す若者たちは、ストリートで「認められたい」と思うあまり、人に対してそういう淡い期待をすることもあるかと思うが、世の中そんなに甘くはない。人を認めたり、人の成功を手助けするのは想像以上に面倒くさく大変なことで、言ってしまえば誰だって自分がよく認められたい、そのことで精一杯な時代なのだ。ただ、そういう世知辛い世の中で、一人でも二人でも自分を認めて下さった方がいらっしゃったならば、私は本当に心からうれしい。そういう体験は、私の人生の宝である。また、こういう特別な環境では、たとえなじみの人であっても、改めてお声を掛けていただくことはうれしいものだ。例えば小樽や遠く東京からやってきた知り合い、同じ大学のOBの方、たまに来る地元の人、音楽仲間、メール友達、短期間だけやってくる同業者など。これも、それほど外へ出歩かない私にとっては貴重な出会いの機会だ。
もちろん、一度きりの出会いにも、いろいろ勉強させてもらっている。たった一度の投げ銭が、拍手が、ストリート・ミュージシャンのエネルギーになる。そして、気持ちの良さにパフォーマンスも向上する。願わくば、皆さんにとって私との出会いがよいものでありますように。中には、全く反対にいやな出会いになることもあるが、多くは忘れてしまった。忘れたままでは話にも何にもならないので無理に思い出すと、例えばいきなりリクエストを頼んで、出来ないとわかるとさんざん説教して立ち去った人(ほっといてくれ!)、『海猫飛翔曲』を2000円に割り引いて売っていてもさらに500円値切ってきた人(セコいぞ!)、走りながら冷やかしで拍手してアッカンベーした高校生たち(真意はどっち?)、投げ銭の缶を蹴飛ばして早足で去った人(このヤロ!)、見せ金の千円札を盗んだ人(正体不明!)、デモ用に置いてあったCDプレイヤーを盗んだ不良ロシア人たち(泣き寝入り!)など。なんだ、結構覚えてるじゃん。しかしこうして年齢を重ね、親の死に目にまで会ったりすると、その程度のいやな体験などは悩みに入らない、別にどうということもないように思えてくるのだ。
そういういじわるな人たちとの出会いは刹那的で、必ずやってくる。おまけに、いくらいやな気持ちになっても、それは社会的なしがらみから離れた世界での小さな喧噪に過ぎない。逃げられない学校の中で陰湿ないじめに遭っているかわいそうな子供たち、会社でのリストラの恐怖やお得意先のお小言にグラグラ揺れているようなしがないサラリーマンたちの方が、よほど心にストレスを抱えていることだろう。私もいじめられやすいタイプのようなので、彼らの気持ちは痛いほど分かるのだ。「珍しいお金」の項で触れた「一期一会」は、どの場合でも言える。今ベストを尽くさない人が、この後ベストを尽くすという保障はどこにもないし、そう考える理由もない。
これから先あるかも知れない貴重な出会いを、いやなものではなく、なるべくよいものにするために、私は今ベストを尽くそうと思う。これは、別に投げ銭に限った話ではない。
これは「疑問」のコーナーかと思ったが、基本的にはうれしいことなのでこちらに記す。
お客さんに気に入っていただいたとき、投げ銭用のカンが置いてあれば、普通のお客さんは投げ銭を入れてくれるのだが、何かの事情でお金の持ち合わせがなかったり、それほどのものでもないと判断された(?)時などは、投げ銭以外のものをもらうことがある。こういうのも「おひねり」というのだろう。例えば、一番多いのはガム、あめ玉などのお菓子・食べ物類。学生さんがよく入れてくれるようだ。実はガムはあんまり好きではないのだが、いただいたものなのでだいたいは食べることにしている。珍しいところでは、何とセブンイレブンの野菜サラダが入っていたこともある。O-157騒動の頃だったが、もちろん残さず食べた。しかし、これはさすがに予想できなかった。
その路線だったら、投げ銭の代わりにジュースをおごってくれた人もいる。夏の暑いとき、忙しくてなかなか水飲み場まで行けないときがあるので、大変ありがたい。私は昔、缶コーヒーが苦手だったのだが、運河の演奏をやり始めてからは結構好きになった。また逆に私も、気に入った歌唄いさんなどを見つけて、(夜)缶ビールをあげたこともある。ただし、もらう前に缶ジュースなどを自分で飲んでしまっている場合もあるので、すぐに2本目というのはきつく感じるときもある(まさか「いらない」とは言えないよね)。そういう場合は、少し話し込んでから演奏者に確認していただけると大変ありがたい。食べ物の次にもらうのは、キーホルダーなどの雑貨品。おみやげでよくあるものがほとんどだが、ピンクパンサー、アイヌの口琴ムックリまでもらったこともある。どうしてこういうものを入れるのか、少し理解に苦しむ。ガムとかならともかく、なけなしの投げ銭の方が安いだろうに。私はケータイもないし、オシャレでもないし、歩くたびにジャラジャラしてしまうのは嫌なので、キーホルダーというものはもらっても困ってしまうものだ。
さて、まれなケースで、一番不気味だったのは「絵」のプレゼント。向かいにしゃがみ込んだまま、なかなか動かない若い女の子(学生さんか)がいて、何をやっているんだろうと思いながら無視してどんどん弾いていると、自分の描いた絵をプレゼントしてくれたのだ。これが上手かったらいいのだが、なんか前衛っぽくて、私がまるで鉄のカマキリのようだった(実は素晴らしい観察眼かもしれない)。しかし、厚意で書いてくれたもの、「素晴らしい絵をありがとうございます...」と顔をヒクヒクさせながら感謝したのである。ホント、気持ちはとてもうれしかった。
それから、最近のポラロイド・カメラは手軽に利用できるらしく、それで撮った写真をその場でくれる人もいた。インスタントで多少サイズが小さいもの(プリクラみたい)だが、これはプリントしたものをいただくよりうれしい。その写真はネガがなく、自分ではもうプリントできないものであるから、見返りを求めないしリザーブもしない、本当の意味でのプレゼントである。
また、つい最近(2000年)の話だが、ロシア製のタバコをケースでもらった事もある。誰が置いてくれたのか、気がついたら投げ銭箱のそばにあったのだ。あちらのタバコケースは、なんだか駄菓子の箱みたいで、もらってこういうことを言うのも恐縮だがすごくチープである。
中に入っていたタバコは、知り合いの喫煙者の話によると結構昔風で、タバコの前半分にだけ葉が詰まっていて、フィルターがない。これだとタバコの葉を残さず吸う事ができるため、昔のタバコはこうだったらしい。しかし葉の詰め方はアバウトで、箱の中にかなりパラパラこぼれていた。いわゆる巻きタバコ、葉巻に近い感覚なのだろう。その知り合いに吸ってもらったら、当然ながらきつめの味だという。フィルターがないため、吸ったタバコの先からだけでなく口元からも煙が出てくるのがおもしろく、まるでヤバイ薬でもキメているみたいだ(こういうのも異国情緒ではある)。
あんまり珍しいので、さっそく実家の仏壇に供えた。忘れているだけで、もっといろいろなものをいただいていると思う。思い出したら、ここに順次追加していきたい。
しかし、何をいただいても、一番うれしいのはお客さんの気持ちである。お金じゃなくたって全然構わない。
もちろん、できればお金の方がありがたいですが!
どんな仕事でもそうかも知れないが、仕事上のつきあいというものは大切だ。
私の会社員としての経験で言えば、取引先とかお客様と接する仕事ではなかったため、もっぱら社内でのつきあいが円滑でなければならなかった。しかし、人間は四六時中会っていると相手の欠点ばかりが見えてくるときもあり、「また一緒かあ」「もうお小言はイヤだなあ」「オレが苦労してるのにのんびりすんなよ!」とか、親しい間柄ならではの不満というものが出てくる。その時は仕事仲間を煩わしく思ったりする。しかし、基本的に仲間がいるというのはうれしいこと。いつもは気付かないだけで、当たり前のつきあいが本当は一番ありがたいことだった。
私が8年間勤めた会社を辞めるとき、これからの自分の思い通りの人生がとても楽しみだったが、一方で長年苦楽を共にしたみんなとの別れはつらかった。職場の一同の前でお別れの挨拶をするとき、私は自分の職場でのステイタスと同じようにクールに別れようと思っていた。しかしいざその時になると、突然前が見えないくらい大泣きしてしまって、声がまともに出てこなかった。もう男・松田聖子状態で、自分でも全然予想できないくらい泣けてきたのである。こんなに人前で泣く機会というのはそう滅多にないことだから、今となっては私の人生のよき思い出である。自分を生かしてくれている人たちは、普段気付かないだけで、まわりにたくさんいる。現在の投げ銭家業でも、同業者との交流は欠かせないことだ。
小樽運河は昔から絵描きさんが多かった場所だが、ここで一番最初に観光客向けの商売をした伝説の人物は、HARD TO FIND の小松崎さんによると高倉くん(札幌のカレー屋、ジャック・イン・ザ・ボックスの現オーナーで、ブルーグラス・シンガー、ボタンアコーディオン奏者)である。バブル景気のまっただ中だった頃に始めたそうだから、今より儲かったらしい。ちなみに私は逆で、ちょうどバブル景気が終わった頃に定期収入を得られる会社を辞めて、不景気の時代に不安定な投げ銭家業という、最も金銭的に効率の悪い人生を送っている。
高倉くんのあと、多くの音楽家、絵画やアクセサリーなどを売る人、写真撮影の人、人力車などの他の商売に広がっていったのだという。現在では、かなり多くの同業者が観光客相手に商売をしている(ユニークな商売については、後日少し書きたい)。その原点となった高倉くんは、観光地・小樽の隆盛の一翼を担っていたと言っても過言ではない。小樽市民を代表して感謝したい。その高倉くん、小松崎健さん(ハンマーダルシマー)、操さん(フィドル)、織田ゴム長さん(ラッパ付きバイオリン+カラオケ演奏)たちは小樽運河・ストリートミュージックのレギュラー、つまり私の運河での先輩にあたり、もちろん親交が厚い。
話し代わって、札幌・ススキノのパフォーマーたちの場所争いというのは熾烈になることもあるそうで、もう既得権の世界らしい。ある時ふらっと旅をしてススキノまでやってきたバスカーが、わくわくしながら演奏している最中「ここはオレが開拓した場所だから、ここで歌うな」と、あとから来た他の歌手に言われてしまったこともあるという。何だかとても面白くない、ガッカリしてしまう話だ。私は、小樽運河のストリートミュージックを、高倉さんや小松崎さんに「浜田君もやりなよ」と言われてやりだした者なので、最初はススキノの話が信じられなかった。逆に、ススキノで仲間になった人たちと夜通し歌い続けたというシンガーの話をテレビで見たこともあるが、そういういい人たちばかりならいいのにと心から思う。
なお、こういう繁華街では、ヤクザに絡まれる危険性も高い。実際にひどい目に遭いそうになった人も知っている。みんな、そういうリスクを背負いながら歌っているのである。その点、小樽運河は飲屋街ではなく、お店の前のように誰かにお伺いを立ててから演奏する場所でもない。先に商売をやっている人が、その既得権を主張することもほとんどない。これは、とても素晴らしい環境だと思うと同時に、(ちょっと手前味噌かも知れないが)ここに集う人たちがみんな賢明な人たちだという事実もあると思う。みんな、リスクを減らす生活態度をとっているのだ。
まず、「何か人の迷惑になるようなことを相手がやらない限りは、彼に文句を言わない」という不文律ができている。だから、同業者が増えたからといって不平を言ったりお互いに阻害しあうということは、極力避けるようになっている。特に同じ業種(歌唄いに歌唄い、アクセサリーにアクセサリーというような)の人たちは一般には争いやすいものだが、そういう無駄な争いが文字通り一銭の足しにもならないことを、長年露店で商売している人は知っている。よって、自然に平和な住み分けができるものである。もう一つの不文律は、「その日、先に商売をやっている人を尊重する」ということ。これは既得権と言うより単なる順番の問題で、朝早くから来ているような人の場所は遠慮して、他の空いている場所でやることは特に難しいことではない。先のススキノの例で言えば、あとからやってきた人が先にやっていた人に場所を譲るのがルールである。特に、旅芸人さんは定住者ではないから、ずっとそこでやるというわけでもない。そういう人には、遠くから来た労をねぎらって、自分のお気に入りの場所を譲るのが紳士というものだ。
また、自分の権利が他の人の厚意に支えられている場合、人はその主張を声高に唱えてはいけない。やぶへびになってしまうからだ。私は、自分が先にやっていた場所の近くにうるさい歌うたいが来たときは、何も言わずに自分が別の離れた場所に移動することにしている。彼らは厳密にはルール違反な訳だが、文句を言うのも煩わしいし、その方が手っ取り早いのだ。私も結局は同じ穴のムジナであるから、ムジナ同士の情けない争いはしたくない。また逆に、自分が近くの人に「うるさい」と言われたときは(言われたことは幸いにして一度もないが)ボリュームをさらに下げたり、場所を変える用意もある。
なお、絵描きさんは、その場所で描き始めてしまったら動くに動けないという、他の商売と違う固有の事情があるため、その視界をさえぎることはなるべく避けたい(似顔絵描きなら話は違うが)。とにかく、みんなどこかから許可をもらって商売しているわけではないし、観光のためになるという名目で観光協会から大目に見てもらっている露店なので、問題を起こすと一大事。リスクはない方がいい。
しかし、「問題を起こさないようにしている」というだけではない。いやな顔ひとつせず、初めての仲間にも挨拶を交わす光景は、見ていて気持ちがいいし、私もそうしている。人付き合いでは、挨拶はやっぱり大事だ。私が何度挨拶をしても返してくれない人もたまにいるが、そういう人にはこちらも挨拶をしない。心の中では挨拶をしたいのにできない。そういう人の前を通り過ぎるとき、いつも少し残念に思う。
特に仲がいい同業者たちと暇なとき語り合い、スポーツ新聞のネタで盛り上がり、お客の反応に一喜一憂し、互いの不景気を慰めあい、ごくたまにだが飲みに行ったりする、その何気なく他愛ないつきあいが、私には何よりうれしいことだ。また、先に来て歌っていた人が、あとから来て別の人気のないところで歌っている人に「もうボクは終わるから、ボクのやってた所でやってもいいよ」と伝える光景も、見ていてすがすがしい。場所の譲り合いである。これには、スポーツマンシップのようなものを感じてしまう。ああ歌うたいよ、紳士たれ。
私たちは、同業者がいるという心強さのおかげで、何とか不景気の世の中でもがんばれるのである。
興味のある方はご覧になっているかも知れないが、私は詩も書いている。下校途中の風景とか、買い物の帰り道とか、たまに出かける外の空気を感じるのが好きだ(これは、私が内向的な人間であることの裏返しなのかも知れない)。私が生まれ落ちてから、すでに36回も年が変わっている(2000年現在)のだが、美しい小樽の四季の情景は飽きるということがない。
小樽運河における四季の移ろう情景も、人為的に作られた観光地とはいえ、いつも人の心を捉えている。私は、特に投げ銭がそれほど入らないような不調の時に、風景を愛でて自分を慰めたりもしている。
例えば春先。向こうの無線塔の建っている山に、まだ解けきらない雪が残っている。道にもまるで燃えかすのようにべったりと張りついている。少し経つと、春風が最後の雪の匂いを運び、暖かい陽光の角度が高くなってくる。冬に撒いていた滑り止めの砂が汚く残っているのもつかの間、雨が洗い流し、晴れれば初夏の陽気。海鳥が楽しそうに騒ぎ、タンポポが恥ずかしそうに揺れる。徐々に人の流れも多くなり、向かいの車の流れも激しくなる。
例えば夏。フナムシが運河を支配している。蝉の鳴き声がアッという間に終わる。自転車で旅する若者がベンチで寝ている。潮音頭が鳴り響く。日なたで演奏できないほど暑くなり、日陰に入るとアリが壁の上から降ってきたりする。タオルが首から放せなくなり、同業者たちも一番忙しい時期。女の人たちの礼節を忘れた装いがまぶしくて、目のやり場に全然困らなくなる(おいおい短か過ぎだよ、と逆に怒ったりもする)。家族連れも多くなる。夏の夜は浴衣姿のおじさんがかっこよく、私も渋くギターを決めたくなる。夜のライトアップはやはり美しく、観光客を誘う。
例えば秋。虫の鳴き声がうるさくてギターの音よりも大きくなるとき、そろそろ夜の成績が不調になる。フナムシがいなくなる。雨のたびに日が斜めに傾く。向かいの山は徐々に色を変え始め、駐車待ちの観光バスが並び始める。しばらく経つと、勝納川にはサケがのぼり始め、運河にも迷ったサケがやってくる。ここから上のオコバチ川に上ることはできないので、無駄に死んでいく。運河の中にいた海の魚たちも消えていく。やがて雪虫が大量発生する時期を迎え、息もできない。名前から想像する美しさとは違い、道端には、雪虫たちの死骸がまるで砂のように打ち上げられる。
そして雪。私にとって運河の季節の終わりである。
私はたまたま観光地で投げ銭活動をしているので、こういうもろもろの景色を充分楽しみながら演奏することができる。ただし、どんな場所でやっていても、そこにはなにがしかの「場所としての楽しさ」があるはずだ。自然の情景と一口にいっても、それは何も手つかずの山や海の風景とは限らない。人の流れでも、風の匂いでも、街の雑踏でも、私たちが生きていると感じることのできる世界の美しさは、どんなものであれ心にとどめておきたい。
全く投げ銭とは関係ない話かも知れないが、私たちは別にお金儲けのためだけに生きているわけではなく、本当にこうしたちょっとしたまわりの雰囲気が気に入るか入らないかで、人生を豊かにもするしダメにもするのだと思う。その意味では、私はかなり幸福者である。詩的な体験だけでは詩にならない。それは、私が学校で教えられた含蓄ある言葉である。体験は、それを自分がどう感じたか、感じた心をどう表現するかで本当の詩として生きてくる。別に詩を書かなくても、それを何らかの自分の生き甲斐に代えていけばいい。それは、誰にでも簡単にできることだ。
みんな詩を書かなくても、その意味では充分詩人なのかも知れない。
(続く)
第3部 ストリート・ミュージックの周辺環境
ストリートミュージシャンの演奏する場所とその周辺の環境は、投げ銭の行方を左右する点で大きな影響力がある。音楽と環境の関係についての込み入った話は、第4部で触れる予定の「TPO」で書きたいので、ここではもっぱら環境についての話に限定して、軽い四方山話としてご覧いただきたい。
@ 自分を試そう!
「ストリート」ミュージシャンというからには、街なか、道ばた、または公園などで音楽をやる人が多いはずである。
そもそも、一回も外で演奏したことのない人がストリートに出るためには、世間一般で言う「恥」「羞恥心」「社会常識」というものをどこかでかなぐり捨てなければいけない。
私たちの人生は自由なものであるべきだが、街も、道も、公園も、それぞれが公共の場であり、そこで自分の個人的な都合や好奇心などで演奏するということに、最初は引け目を感じる人もいるかも知れない。実際、場所によっては法律に違反するようなケースすらあるはずだ。これは打田十紀夫さんから聞いた話だが、ボブ・ブロズマンというアメリカのすごいギタリストがストリート演奏していたとき、あまりに多くの人が集まりすぎて、道交法違反で逮捕されたことがあるらしいのだ。そういう光栄な逮捕だったら私も一度されたいものだが、しかし多くの場合はそういうことではなく、「演奏してはいけない場所で演奏した」という名目の違反に関することだろう。よって、ストリート・デビューの前に、そこが特に規則で演奏を禁じられていないかどうか、一応確認したいものだ。しかし大抵の場所は、特に大きな音を出したり往来のじゃまになったりしないならば、それほどうるさく文句を言われるほどの理由がない。確かに「うるさがられないかな」「文句を言われるんじゃないかな」などと回りに配慮して逡巡することは、実に正常な人の証だ。しかしこの世の中で、人に何の迷惑もかける危険もなく行動している人などいない。恐れや自己保身が先に立ち、勇気ある行動をいつまでもしないのは、某国会議員さんと同じで少し情けない。もし外で本当に演奏したいのなら、一度でいいから今までの自分を捨てて、まずやってみるべきだ。その結果がさんざんであっても、回りに迷惑がられても、又は全く無視されても、その体験は後々まで自分の心を納得させるので精神衛生上好ましい。
私のストリート初体験はおそらく新入社員時代、札幌の大通公園だった。初めてエッチな本を買うときにも似た、ドキドキした感じを忘れることはできない。まだまだその頃は「いけないことをしている」という罪悪感が先に立っていたからだ。小さなアンプのボリュームも控えめ、思うようなプレイもできず、小一時間ですごすごと引き上げた記憶がある。もちろん一銭も稼げなかった。ただ、一人の男性が興味を持って見ていて話しかけてくれたのが、心の救いだった。今思えばむしろ、最初にじゃんじゃん入ってくれなかったおかげで、「もっとがんばらなければ入らない」という漠然とした目標になってくれた感じがする。自分を納得させる経験としても、もちろん話の種としても、充分この体験は後に活きることになった。
とにかく、最初の「自分を試したい」という欲求はなるべく大事にしたい。
A 演奏上の注意あれこれ
さて、まず外で演奏するときの演奏上の注意点について、少し述べよう。後に触れる「温度・湿度」にも関係するが、外の空気が楽器に悪影響を及ぼす可能性があることは、割と知られている。特に湿度の多い雨の日、海の近くでの潮風、ごみごみした場所でのほこりなどは、避けるに越したことはない。
知らない人も多かろうが、小樽運河は元々海を埋め立てて造った運河なので、厳密に言えば「川」ではない(地元の川「オコバチ川」が通っているが)。よって海の目の前であり、ここでは潮風は避けられない。しかし、私が演奏してきた4年間、ほとんど毎日ヤマハS−51だけで演奏してきたにも関わらず、このギターが演奏不能になったという事はない。ただし、ハイフレットの低音弦側などはサビが目立つ。また、標準ジャックの接点不良もよくあることで、やはりそれなりの影響は受けているようだ。
なお、太陽つまり直射日光は、楽器にあまりよくないと言うが、本当にそうなのかどうか私はわからない。わからないので、表面板がちょっと日に焼けるくらいでおろおろ心配してしまうような高級なギターは、そもそも外では弾かない方がいい。ただ私なら、たとえどんなギターでも、どんな環境であっても、弾かないで後生大事に部屋にしまってあるよりは、大いに外で弾いてあげた方がいいと思う。それから、後に触れる「天候」にも関係することだが、外は風の時もあり、湿度の低いときもある。そういうときのプレイヤビリティーに注目すれば、汗が乾いたりして、弦やネック自体の滑りが悪くなったり、右手と弦の接点がなめらかでなくなって撥弦の際に親指が突っかかってしまうこともある。こういうときは、私は定期的にギターを拭いたり手を洗ったりして、弦と指のアクセスを常に正常に保つよう努めている。私がたびたび近くの水飲み場に行ったりお手洗いに入るのも、そういうことを考えてのことだが、同業者からは「浜ちゃん、よくトイレ行くね?」と言われてしまったりする。
なお、音響的にデッドな空間である屋外での演奏では、ある程度の音量を確保するためにアンプを使うことが望ましい(音量については、後に触れる)。充電できるタイプなら言うことなし。電池式のものは、結構電池代がかかるため、毎日毎日使うときにはあまりお勧めできない。
凝り性の人は、ポータブル・エフェクターなどを使ってリバーブやコーラスを入れたりしているようだが、特に外の場合は必ずしもこういうエフェクトは必要ないと私は思う。第一、電池代がバカにならないし(日々のコストを抑えるのも重要だ)、ステレオにしないとリバーブのエフェクトは効果的に響かないので、必然的に大がかりなシステムが要求され、外でやる場合は適さない。また、特に過剰なリバーブは音の芯をぼやけさせてしまい、外の生演奏ならではの魅力が半減するかも知れない。もしどうしても使うなら、リバーブほどは電池も食わずモノラルでも効果的な、コーラスなどのモジュレーション系エフェクトを単体で使うのが適しているだろう。外での演奏は、屋内での演奏と違って音の反射がほとんどなく(壁などからのフィードバックはあるが)弾いている自分から聞けば下手に聞こえやすいため、より集中力を高めなければ普段通りの演奏ができにくい。これはライブハウスなどでPAを通すときにも言えるが、自分の音が心地よい音で充分モニターできないということは、結構プレイ自体に影響しやすいので注意。
しかし以上あげたような屋外での演奏上の注意点は、外で弾くという開放感によるモチベーション・アップに比べたら些細な問題である。気持ちよく弾くための実際の工夫は、それぞれの人が考えながらやっている。のどが渇く人は、ペットボトルをそばに置いて演奏すれば心強いだろうし、汗かきの人はタオルを持ったり、エリクサーのようなコーティング弦を使ってもいいだろう。そういう細々したことを考えるのも、結構楽しいことなのだ。
投げ銭活動は、普通外でやるものだが、実際そうでないときもある。
まず、アーケード街での演奏の時。一応ここも屋外といえば言えるのだが、私から言わせれば、屋根のついているところでの演奏は全くの屋外での演奏とはかなり違う。アーケードは雨露を(場所によっては風も)しのげるし、残響効果も期待できるため、昔からストリート・ミュージシャンの格好の演奏場所となっている。しかし、最近はより多くの人がアーケードで演奏している感じもする。青天井だと不安なのか、残響がないと歌えないのか、アーケードでないと人が集まらないのか、多くの仲間がいるからなのか、それぞれいろいろな事情によるものだろう。どの場所でも言えることだが、アーケード街での演奏で最も注意すべき点は、苦情が来たらいったん引き下がるということだ。
この前テレビを見たら、室蘭の地元商店街の振興策として、ストリート・シンガーたちを歓迎するような催しがあったそうだが、こういううらやましい環境はむしろ例外だろう。特に小さな町の商店の中には、そこが自宅兼用という店が多い。アーケード街での演奏は、おそらくかなり夜遅くまで続ける人もいると思われるが、聞きたくない歌を自分の家の前で延々聞かされたときの心労は、とうてい計り知れない。小樽の花園商店街はアーケードではないが、そこでも自宅兼用のお店が多いことから、「眠れない」といった苦情が集まって一度新聞沙汰にまでなったことがある。同じ小樽に住むストリート・ミュージシャンとして、こういう問題を看過することはできない。
ましてや、アーケードは残響もあり、実際の音以上に大きく聞こえやすい。もしそれを不快だとする近隣の住人がいたなら、意地になってがんばらずに、そこでの演奏はあきらめた方がいい。一度ごめんなさいをすれば済む話だ。住んでいる人から見れば、上手かろうが下手だろうがミュージシャンはみんな同じなので、一人がうだうだとだだをこねて迷惑をかければ全てのミュージシャンにとばっちりが来ることを、心のどこかで覚えておいて欲しい。しかし、大きな町では自宅兼用でない店が多いだろうから、そういう人の迷惑にならないようなところでは大いに夜を盛り上げたい。
私の体験で言えば、アーケードの残響効果はかなりきつく、アンプを使った演奏を外と同じような音量でやると、音がぐちゃぐちゃになってしまう感じがする。音量は控えめくらいで、充分響いてくれるようだ。逆に言えば、隣の音が響いてしまうため、同業者との距離は余裕を持って取りたいところだ。しかし、大阪の心斎橋当たりで見たシンガーの数は、なかなか半端ではないので、距離が取れないこともあるだろう。ただ、通行人は極端に多いため、リバーブが吸収されるということもあるだろうから、その時はお互いが割と近くでもいいかも知れない。外と違って、あまり天候を気にする必要がないので、防寒対策さえきちんとしていればとてもよい環境だ。しかし、アーケードのような繁華街には別の問題もある。例えば酔っぱらいが多い。
ほろ酔い加減でいい気分の人はともかく、絡まれたりしたら危ないので、理不尽なことを言う人は相手にしない方がいい(こういう人を相手にしてお金を稼ぐ人もいるが、私はつきあいきれない)。最悪の時は、早めに切り上げることも視野に入れたい。特に、知らない人に「ちょっとつき合え」「メシ食わせてやる」などと言われてホイホイとついていくのは御法度。自分がストリート・ミュージックという仕事をしているのだという自覚を持って、安易な誘いには絶対に乗らないようにしよう(何か、青少年に生活指導している警察官みたいな書き方になってきたな...)。また小樽運河での話になってしまうが、私の酔っぱらい体験を述べたい。
私はロシア人の酔っぱらいをここで多く見ている。数人でウォッカやワインを飲んでうろついている人たちもいる。最初の頃は「ロシア人でもお客さんなのだから、いやな思いをさせてはいけない」と、差し出されたワインをいただいたりしていたが、一度そうしてしまうと向こうもこちらを仲間だと思い、嫌がってもなかなか離れてくれないのだ。船員さんは、娯楽に飢えていて寂しいのかも知れない。リクエストにビートルズや、イーグルスの「ホテル・カリフォルニア」を決まって要求するのもこの人たちの特徴だ(どうやら、とある有名な亡命者のアメリカ移住先がカリフォルニアだったことで、この曲は人気になったらしい。「such a lovely place 何てすてきな所だ」という歌詞が、まるで亡命を奨励しているように感じられるのかな)。そのうち、大声を出したり、通行人に絡んだりして、他のお客さんの迷惑になったりする。こうなったらもうダメだ。
また、これも予想されることだが「ギターを貸せ」と言ってきたりする。私のギターはヘンタイチューニングなので、絶対に弾けないのですぐ返してくれるが、他の人の話では、向こうもギターに心得のある人がいて、なかなか返してくれなかったこともあるという。それだけで済んだのは、ひょっとしたらたまたま、ラッキーだったのかも知れない。
とにかく、酔っぱらいとあまり親しくしてしまうことによる危険は、どんな場合でも忘れてはいけない。アーケードの話に戻ろう。ここでは人の数が多いため混雑し、場所によってはギターケースや投げ銭箱を踏まれるという状況も考えられる。場所取りには少し注意したい。
また、アーケードではなく、本当の屋内でやる投げ銭というのも、少ないながらある。世に言う「投げ銭ライブ」である。もはやここまできたらストリート・ミュージックとは言えない。ここでの苦労は普通のライブハウスでの演奏と同じようなものなので詳しく触れないが、多くは通常ライブハウスとして営業していないお店を説得したりしてやるものだ。だから、お客がそういう考えに慣れていないケースも考えられる。投げ銭の基本は「気に入ったら入れる」というものなので、もしずっと聞いていて投げ銭を入れない人がいても、怒ってはいけない。
ただ、ささやかな抵抗として、その人の顔は忘れないようにしたい(?)。
@ 雨
屋外でやるストリート・ミュージックは、常にお天気との戦いである。投げ銭が入る入らない以前に、雨が降ってしまえば演奏そのものができなくなる。そればかりか、大切な楽器やアンプを雨で濡らしてしまう危険性がある。たかだか幾ばくかの投げ銭のために、私は大事な商売道具を危険にさらしているのである。こういう外での商売柄、当然のことだが、私は天気予報を常にチェックする癖がついてしまった。まるで日照りの時の農家と逆である。
天気予報とは、偉大な科学技術の上になり立っている人類の英知のはずなのだが、それでも絶対当たるとは限らない。しかし、頼りになる天気予報は大いに利用し、週間予報、明日の予報、朝の予報、午後の予報、晩の予報と、できる限り最新の予報を見て、最終的に出かけるかどうかを判断する。週間予報は外れることも多く、いい予報の時に心を慰め、悪い予報が外れたら心を慰め、悪化したら「どうせ予報は外れるんだから」と心を慰める。多くの天気予報は、こうして心の慰めに使うことになる。
長年このようなお天気商売をしていると、「今日は何だか予報が外れそうだな」「あの山の奥の色案配が悪いので、ちょっと危ないな」という感覚ができてくる。もちろん、私は仙人ではないので、そんなに達観ぶっても予想が外れるときは思いっ切り外れる。ああ、雨よ。お前は人間の言葉がわからないのか、どうしてこんなに儲かりそうなときに限って降るのだ! と雨に八つ当たりしても、懐は暖かくならない。いや、実際、2000年は土日に雨が多かった。
この辺の心の揺れ動きについては、拙作『私の小樽』の「お日様待ってます」という歌にもしているので、興味のある方は聴いていただきたい(さりげない宣伝...)。演奏中に雨が降ったときの迅速な退避は、この商売の基本である。一滴でも降ったことが確認されれば、興味津々の客がいようがおかまいなし、優雅に弾いていた曲をかなぐり捨てて、大事なギターが最優先、逆鱗に触られた龍のような形相でケースに入れる。次に折り畳みの傘を開いて売り物のCDが濡れないようにする。そしてアンプをリュックに入れ、CDやコード、投げ銭箱などの小物類を入れ、急いで近くのトイレに飛ぶように非難。この間、わずか1〜2分ほどだと思う。初めてこのストリート・ミュージックをやり始めてから、演奏がどのくらい上手くなったかは自分では定かではないのだが、この退避行動だけは熟練の域に達したと断言できる。
いつもトイレに駆け込むのも何なので、少し離れた「運河プラザ」という観光促進目的の施設や、近くのおみやげ屋さんの屋根の付いた休憩所などに入って、缶ジュースで一服などという時もある。私は運河のことしか書いていないが、他の場所でも、例えば軒下やなじみの店に避難したりしている人も多かろう。こういう場所での一服は、不幸中の幸い、結構楽しい瞬間である。そうして、雨が少しでも止むのを待つ。止んだら家に帰ろうかな、もう一度ダメモトでやってみようかななどと少し悩んだりすることもあるが、調子のいいときにはやる気満々、捕らぬ狸の皮算用までしてしまう。無事に家に帰れるかどうかもわからない中で、人間とは全くたくましいものだ。私は、商売を抜きに考えれば、実は雨はそれほど嫌いではない。嫌いなのは傘の方である。
私の荷物は、大きな登山用リュックに加えてギターもあるので、傘を持てば両手が塞がってしまう。すごく煩わしい。このカッコ、下手な大道芸人の哀れな姿そのものだ。
ギターをお持ちの方なら身をもって体験しているはずだが、ギターケースを普通に持てば、たいていの傘の範囲からはみ出してしまう。よって、ギターをなんとか濡らさないように立てたり、ユーカリの木にしがみついたコアラみたいにギターを抱えて歩かなくてはならない。リュックだって軽くはない。鉛電池の入っている充電可能アンプに10枚ほどのCDやチューナーなど、肩にずっしりと響くのだ。この荷物で傘を持ちながら雨に濡れないように歩くのは、相当な腕力と背筋力を必要とする。私は、これも仕事の内、体が鍛えられてお得だと思って我慢している。私のギターなどましな方だ。私の友人で、先にご紹介した小松崎健さんの楽器はハンマーダルシマー、ピアノの裏側をはがしたような台形の大きな楽器で、傷が付かないように特別なハードケースに収めるのだが、これがまるで跳び箱の台みたいで死ぬほど重い。キャスターが付いていなかったらテコでも動かないような代物である。ストリート・ミュージックは、言ってしまえばこのように体力勝負の側面も大きい。臨時の事態に備えて、ここ一番では楽器を持って大立ち回りができるような馬力をいつも持っていたい。
ところが、この雨という天の恵みはとても気まぐれで、降ったらそのまま降り続けるかというとそうでもなく、私が必死の思いで避難して家まで帰ったあと、人をバカにしたようにカラリと晴れたりするのである。ああ、こんな時、私はまた愚痴を飲み込んだ間抜けな詩人になってしまうのだ。
あんたにはかなわない。
A 晴れ
(執筆予定)
投げ銭の入り方が周辺の環境に大きく左右されることはだいたいの方が予想できると思うが、それはいわゆる「不快指数」にかなり比例するものだと思う。外の雰囲気とは、もちろん気分的なものは人によって異なるだろうが、温度と湿度の関係によっても決まっていく。
例えば、雨が降りそうなジトジトした天気のときも、割と涼しいと感じるときもあれば、蒸し暑くてやってられないときもあるだろう。カラッとした空気のときも、陽光がさわやかに感じるときもあれば、空々しくて寂しさを感じるときもある。温度と湿度の関係は、私たちにはどうしようもないことであるが、観光客の気分を微妙なバランスで変えていく。科学者にとって見たら温度や湿度は単なる気象現象、私たち人間の行動心理はまた別の学問なのかも知れないが、天気一つで命運の決まる人間にとって見れば、それは一つながりになった「運命」である。
前にも若干触れたが、ギターを弾く人にとって、低湿度の環境は(程度の差こそあれ)基本的にありがたいものである。何より、ギターが良く鳴ってくれる。
まあ、湿度が低いと必ずギターの音が良くなるかと改めて問われれば、そうとも限らないかも知れない。別の所でも述べたが、私は耳がそれほど良くない方らしいので、したり顔で「私の経験によれば」などとギター音響学を披露するつもりはない。単なるイメージにより、または耳の健康状態やさわやかな気分により、そういう感じがしているだけかも知れない。しかし、「そういう感じがする」だけでも、良いプレイができる心理的後ろ盾になるので、やはりありがたい。
人間は感情の動物、自分の(いい加減な科学観を含めた)哲学は、その感情をコントロールするための方便だと割り切ろうと思う。さて、そのように低湿度である場合の利点は、比較的高い温度でも過ごしやすいということが挙げられる。夏場の暑いさなかに湿度が高いと、空気が淀んだような閉塞感を覚え、こうなるとお客さんの気分もどんどん悪くなり、何をするにも煩わしさを感じるようになる。逆に湿度が低く、暑い中にも風通しがよい環境であれば、まあまあ暑さを我慢できるようになる。
私の4年間の投げ銭活動の経験では、夏場の日中の成績は、他の季節に比べてそれほど良くない。これは意外に思う人もいるようなのだが、夏休みでたくさん人がいるからというだけでは、環境的に理想的とも言えないのが難しい。この理由は、やはり暑すぎて不快感が増すためのようだが、そんな中、曇りや雨寸前の日、また変わりやすい天気の日は、心なしか投げ銭の入りが良い感じがしている。つまり、高温多湿の環境下では、温度か湿度のどちらかが下がれば、心理的にいい結果になるらしいのだ。
よって、夏場の本領は夜。北海道は、夏は昼間暑くても、夜はかなり過ごしやすくなる場合が多い。おまけに夜は小樽運河がライトアップしていて、雰囲気もとてもロマンチックになる。気軽に夕涼みに来るような人もターゲットにできるので、お客の対象範囲がぐっと広がるのである。お客さんの気分もさることながら、演奏する側も気分よく集中できる。自分が気持ちいいと感じる環境は、相手にとっても気持ちがいい(もし、自分が気持ちよくプレイできているのに、相手が全く耳を貸さないのならば、それには別の要因が関係していると思わざるを得ない)。こういうわけで、私の稼ぎの中でも、夏の夜の演奏は大きな部分を占めている。逆に言えば、お客さんが心から過ごしやすさを感じる時期というものは、そうそういつでも都合よくはやってこないものなのだ。逆に低湿度がありがたくないような時期、それは春先と秋口だ。なぜなら、そういう時期のジメジメした低気圧の来襲は、比較的暖かい風を西から運んでくれている場合が多いからである。春一番が吹くようになる4月頃、まだまだ粘りたい11月頃、何度か暖かいラッキーな風をもらうことがある。
私は別に気象予報士でもないので、本当はもっといろいろな場合があるのだろうが、先の低湿度の哲学と同様、高湿度にも哲学があっていい。人間の受け取り方はまことに身勝手で申し訳ないのだが、同じ天気でも、時期によって私の感じる、そして皆さんの感じる投げ銭環境は大きく異なってくるのだ。「風の流れ」は、神さまにしか決められない。私たちは、その流れのままに流されるのもいいが、その流れを最大限活かすべく(または楽しむべく)努力することも必要である。
追加: 温度についての補足:
外での演奏は、どのくらいの温度が適しているのだろうか。もちろん寒くも暑くもない環境がいいに決まっているが、少なくとも限界というものは自分で何となく見当がつく。暑さならば、直射日光さえ避ければ、水分補強次第でかなり耐えることができるだろう。もちろん程度は問題だが、それほどがんばらなければ、後に残る後遺症も少ない。しかし、寒さは人間の体にじわじわと悪影響を蓄積させるので、防寒対策には絶対に注意が必要である。
おそらく冬の寒いさなか、飲屋街でがんばったストリート・ミュージシャンの方も多いと思うのだが、その努力に敬意を表するより先に、他人事ながら彼らの健康が心配になってしまう。特に去年からの冬の寒さは厳しくずーっと真冬日(知らない人のために解説すると、最高気温が0度以下の日のこと)だったので、大変だっただろう。働き者のアリだって冬は仕事を休んでいるのに、気楽なコオロギであるはずのミュージシャンが忍の一字でがんばっている姿は、ひょっとしたら現代の哀史と言えるかも知れない。
私はだいたい最高気温10度を目安に、日照と風の程度を勘案しながら外に出るかどうかの判断をしている。というか、「寒かったら外に出ない」と極言しても、体のことを考えれば言い過ぎではない。寒さは、まずさっそく腹に来る。言うまでもないが、消化には暖かく骨休めできる環境が一番いい。腹を冷やすのがいけないことくらい、子供でも知っている。しかし、外で商売している以上、外で食事を済ませてしまうのがむしろ普通なので、悠長なことも言っていられない。外では気が張っていて、ただでさえ副交感神経が鈍くなっているので、とにかく消化不良は大敵である。不覚にもおなかを壊したときに備えて、近くのお手洗いに紙がちゃんとあるかどうかを日頃チェックしておくのは無駄ではない。いや、これはマジメに言ってるのよ。こんなくだらないことでピンチを迎えたくないでしょう、みなさん。
また、寒さは指や肩に来る。同じく足腰に来る。
特に足腰に寒さはよくない。あまりがんばると足の指先(中指や薬指付近)に血が通わなくなり、そうなったら危険信号だ。どうしてそうなのかはよくわからないが、人間は足から先に老いるものであるから、足は鍛える反面大事にもしなければいけない。アイヌ語で足の老化を「kema pase(足が重くなる)」といい、一般に老化を表す言葉の代表的なものとして知られている。一度ケマパセした人は、二度と足が軽くなることはないだろう。さらに今はよくても、これから先の長い人生を考えれば、晩年を腰痛と共に過ごすことになりかねない。実力以上の重たいものを漫然と持つことだけでなく、不用意に寒さにさらされることも、この腰痛の原因の一つと思われる。年を取った後での悲惨な更年期障害は、若い頃の生活態度次第でいくらでも予防できると思う。
恥も外聞もなく、寒いと思ったらモモヒキをはくのがよろしかろう。モンペといってもいいかも知れない。モモヒキは、これまたアイヌ語で「om un pe もも・につく・もの」転じてオモンペといい、男だけがはく伝統の下着である。松本零士あたりなら男の信念まで託してしまうかも知れない。こざかしい洋風下着であるタイツは、保温性にイマイチ疑問あり。モモヒキを笑う人は、腰痛に泣くかも知れないのだ。そして、あたりまえだが風邪をひきやすくなる。たかが幾ばくかの投げ銭のために(何か都合が悪くなるとこの言葉を枕詞にしてしまっているが...)健康まで害しては本末転倒。だいたい、そこまで寒ければ聴く方だって大変だ。早く暖かい場所に移動したいと考えている人の前で、決死の形相で演奏しても報われることは少ないだろう。
ただし、これは疑問のコーナーに入れるべき話題かも知れないが、寒い中がんばっていると、「大変だね」「根性あるね」「がんばってね」と、マラソン・ランナーのように励まされたりする。いわゆる同情票というやつである。これを意図的に狙う人もいる。しかしこれ自体は、肝心の音楽の評価とほとんど関係がないので、演奏者はあんまりいい気になってはいけない。今年(2001年)の春は、なかなか暖かくならないのだが、そういうわけで今は我慢の時。
春の陽気は、氷河期にでもならない限り、必ずやってくるのだ。
春の仕事始め。
すがすがしい気分で、ギターやアンプを馴らしながら演奏。今年(2001年)で5回目の小樽運河の春である。いつも悪い気持ちはしないのだが、やはりこの時期は、いつもに比べてお客さんが少ない。当然、それほど稼ぎはよくない。春休みが終わり、新学期のシーズン。多くの人が新しい会社、新しい学校、新しい職場でもまれていて、自分の人生の節目でがんばっている。遊びはそこそこの季節である。よく考えたら、こんな時期に小樽観光する人って、よーっぽどヒマなのかも知れない(あ、まずい、問題発言してしまった。取り消します)。実は、今年数回運河に行ったところ、よく歌唄いたちに会った。彼らは(私の知り合いの吉倉君を除いて)おもしろいことに例外なく2人組だった。この「投げ銭随筆」を読んで、「浜田君は若い歌唄いがキライなんだね」と言う人もいるが、それは誤解。いい歌は好きなのだ。私が嫌いな人は総じて不真面目な人であり、真剣ならば自ずとその歌はきらめいていると思う。何度か経験はあるが、本当に真剣な歌唄いの熱い演奏は、その上手下手はともかく、聴いてあげないと何だか悪いような気がするのだ。気圧(けお)されるのである。今流行りの「二人組」のことを悪く言うつもりは更々ないが、そこまで覚悟決めてる人よりは「二人だと責任が半分になる」などと思っている人が多いようなので、つい意地悪したくなってしまうのだ。
また横道にそれた。彼らとちょっとだけ話すと、話に聞いていた小樽運河のにぎわいのイメージとあまりにかけ離れた寂しさが、とても意外だったようだ。確かに、1曲弾いても、数人しか通りかからないということもあるのだ。でも、今の時期はいつもこんなものである。そういう予備知識がないために即断して、ここでの演奏に見切りをつける歌唄いは数多い。そう、同じ場所でも、当然ながら時期や時間帯によって客の入りは全然違うのだ。時間帯では、くどくど説明するまでもなく、夜に演奏した方がいい繁華街のような場所もあれば、むしろ午前中から夕方までのデイタイムの方が人が流れる観光地などもある。春の小樽運河は、もちろん後者だ。曜日的は、もちろん土日が人もいっぱい来ていいはずなのだが、むしろ月曜日の成績がよかったりするのが少し不思議である。そして、半年も同じ場所で演奏すれば、時期による増減の傾向もわかる。例えばゴールデン・ウィークの後の人の少なさに慣れていないと、初めて来た人は「何だここ?」という事になってしまうかも。その他、細かいお客の浮き沈みについては、他の所でも折に触れて書いたはずである。
まさに、客は水物だ。お客のまばらな春も、凍てつく冬に比べたら、外でギターが弾けるだけまだマシである。
おお春のあたたかさ、すがすがしさよ。自分のことを誉めるのは口はばったいが、投げ銭で生きていこうと覚悟を決めているからこそ、本当に心からそう思えるのかも知れない。あとは、私のギターを聞かないと罪悪感を覚えてしまうような、とびきり素敵な演奏ができたらいいなと思う。お客さんは、じきにイヤというほど来ることになるはずだ。
(続く)
第4部 ストリート・ミュージックの切り口
(執筆予定)
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(続く)