目次に戻る

【あ】

あーてぃきゅれーしょん【アーティキュレーション】[名詞]
 英語の「articulation」。日本語では「分節法」などと言われることもあるが、うまい訳がされていない、少しわかりにくい語。言葉や音楽のような「意味を持つ音声」の切り方・続け方、歯切れの付け方、持続の仕方、息継ぎなど、音相互間の微細な時間調整やその表現を表す。スラーによるフレージング(フレーズの範囲を決めること)、スタッカートによるアクセント、トレモロやチョーキングなどもアーティキュレーションの一種。しかし、もっとわかりやすい実例は、「金太、マカオに着く」のような言葉のお遊び。アーティキュレーションの付け方によっては、通常は絶対にあり得ないような、えらく汚らしいことになってしまう。もちろん抑揚やテンポと同様、音楽演奏の制御になくてはならない要素。実際の演奏では、抑揚、アーティキュレーション、テンポの各要素は同時に絡み合うので、演奏記号のような抽象的な指示(「寂しげに」「快活に」など)は総合的に判断される。アーティキュレーションを演奏の最も重要な要素に挙げる人がいるが、ほとんど一晩中息継ぎなしで弾き続けるアイリッシュ・ダンス音楽などの分野、また一般的な構造ではフレーズ間をミュートで区切ることが困難なハンマーダルシマーのような楽器もあるので、必ずしもそうとは言い切れない。クラシック音楽では、すでに故人となっている作曲者が気ままに付けたスラーの解釈を巡って、アーティキュレーションの議論に花が咲く。息が続かないと音を出せなくなる管楽器奏者、弓の残りが足りなくなると区切りが悪く感じる擦弦楽器奏者、そして歌手はこれに敏感だが、いつまでも弾き続けることができるその他の演奏家は、しばしばこれを意識しないで演奏してしまう。特にギター奏者は悪名が高い。問題は息継ぎだけでない。演奏の都合で必要になっただけの、音楽的に意味のないハンマリングやプリング、ポジション変更による音のとぎれやフレットのこすれ音、主旋律と副旋律の未区分などが多すぎるのだ。私を含めて反省すべし。

あーてぃすと【アーティスト】[名詞](補遺)
 英語の「artist 芸術家」。『大辞林 第二版』の見出し語の付け方から推測すると「アーチスト」という方が正式らしい。本人に「自分はアーティストである」という強靱な自意識と厚顔無恥さえ備わっていれば、どんなろくでもない奴でもだいたい無条件でアーティストになれる。こう言っては何だが、かなりいい加減な職業区分である。正直な話、職業としての区分かどうかすら疑わしい。そのため、実質的無職状態を目立たなくするための隠れ蓑としても、実に効果的に使われる。アーティストの社会的地位が一般的になかなか上がらないのは、大工やパン職人のような確かな技術の熟練よりも、単に人をビックリさせる感性の方が重要視されるからだと推測できる。英語「アーティスト」と日本語「芸術家」の使い分けには諸説あるが、どうやらメディア関連であれば英語の使用例が多くなる傾向がある。特に、ミュージシャンにはもっぱら英語の方を用いる。例:「J−POPのアーティスト」。確かに、あんなヒドイ歌を唄う輩が、ゴッホやピカソと同じ「芸術家」とは到底考えにくいので、よくぞ英語を使ってくれたと誉めてあげたい。

あい【愛】[名詞]
 英語「love」の日本語訳。日本には、キリスト教伝来と共に導入されたと思われる。「愛でる」という語は対象を「趣ある物体」として鑑賞するという印象があるが、この漢字が翻訳の際に間違って使われたのではないか。まあ、ある種の愛情にとってはまさにピッタリかも知れない。その対象範囲はほぼ無限で、たとえ悪魔でもゲジゲジ虫でも、さらにブ男すらも、一応は対象となり得る。本来の日本語では、異性のことを「愛する」「恋する」などとは言わず「慕う」「恋う」と言ったらしい。例:「お慕い申し上げます」。この慎ましやかな言葉すら、口にするのは大変な勇気が必要だったはずだ。それほど、昔の人の言葉には強力な意味と責任が宿っていた。今では、「愛」はメディアの影響で氾濫し、英語「love」の意味領域に沿う形で、異性間の感情のみならずあらゆる思慕の念に軽々しく適用された。まさに愛の大盤振る舞い。特にドラマやアニメ、流行歌などにその使用例が著しく、もはや3才の子供から年寄りまでが口にする。現代詩にまでその例が多数見受けられる。これを日本語の乱れと言わずして何と言おう。日本語は、頻繁に使われる動詞を名詞にすり替える悪い癖があり、その言葉は「する」を付けられて動詞化する。いわゆる「するする言葉」の代表格。だから本当は「ラブする」でもいい。こんな状況にも関わらず、愛という言葉が頭に定着していない不届き者もいる。そこで、今日もどこかのベタベタな歌が、手を変え品を変え、愛を忘れた人のことを非難している。まるで宣教師。愛こそは(ミュージシャンの)全て。それ以外の納得できる動機は、彼らの小さな脳味噌では思いつかない。全ての良識ある行為は、みんな愛のなせる技になってしまうのである。世界はすでに愛に支配されているのだ。あくまで歌の文句においてのみ。→恋。

あいさつ【挨拶】[名詞]
 何かの機会に、互いに交わすサインの一種。これをするとお互いに(または一方的に)気分がよくなるし、その後の人間関係がスムーズに進行しやすくなる。エルガー作曲「愛の挨拶」という名曲があるが、この題名はちょっと微妙でエッチな解釈もできる。挨拶をしないと何となく心が苦しくなるし、ジャンルによっては最終的に殺されてしまうこともある。挨拶は人間だけがするものではないし、いろんな形があるので言葉とも限らないが、やはり人間が交わす形式的な言葉の挨拶は格別。音楽業界もとりあえず一般社会と同じく、時間厳守と挨拶は必須のはず。挨拶をすることで、自分が人間として問題がないことをとりあえず確認してもらえる。まあ今の時代はロボットやポストペットだって挨拶するし、逆に全く挨拶できない未熟な人間もわんさといるから、人間の証明としては少し弱いかも知れないが。→おはよう、こんにちは。

あいりっしゅ【アイリッシュ】[名詞/形容動詞]
 英語の「Irish アイルランドの」。例:「アイリッシュ・ウイスキー」「アイリッシュ・ビール」。音楽では、特に伝統的なアイルランド音楽を指す。例:「あの曲、アイリッシュだよ」「浜田君、アイリッシュ好きかい?」。アイリッシュの多くは、ヨーロッパの先住民族の一つ・ケルト民族(Celt)の伝統に根ざしているので、特にケルティック(Celtic)と呼ばれることもある。その音楽は、多くは舞曲の形式を持ち、メロディーの音階に旋法を用い、旋律楽器は一斉にユニゾンでメロディーを奏でるというのが主な特徴。美しい叙情的な曲から楽しいダンス・チューンまで、曲想も様々である。アイリッシュは当然ながら長い歴史を持ち、この日本にもずいぶん前から紹介されている。愛好者も多い。その長い歴史の故に、多くの近代・現代音楽のルーツ論にもたびたび登場する。もちろんブルーグラスやカントリー、ヒルビリーなど多くのアメリカ音楽において、アイリッシュの影響は無視できない。しかし、私には疑問もある。アイリッシュの熱心な愛好家は、要するにジャズもラグタイムもフォークソングもロックンロールも、ルーツがアイリッシュという結論にならないと気が済まないらしい。この「ルーツのアイリッシュ集約論」は、欧米人のケルト民族に対する憧憬または贖罪の意識も感じるのだが、一方でアメリカ音楽のルーツ論における重要な要素である「黒人の役割」を過小評価に導く危険性があるから、心ある人は注意した方がよい。現世の私たちは数多くの祖先たちに支えられているし、その文化も数多くの関連文化に支えられているから、ルーツ探しは並大抵ではできない。

あうと【アウト】[名詞]
 @もとは野球用語で、一死のこと。転じて、何かに及ばなかったり間に合わなかったときに、冗談混じりで友人からこう宣告されることもある。対語:「セーフ」。
 A新しい語で、新作CDが発売開始されることを言う。「NEW CD ; June 8 OUT!!」のような感じで使うらしいが、一般の人には耳慣れないし、もちろん目にも馴染まない。アウト(@)のような感覚で言えば、その日に発売が間に合わなかったことを声高に宣言しているかのように見える。この語をこの用法で使う人は、きっと「発売」という漢字が書けないのだろう。

あかいいと【赤い糸】[名詞](補遺)
 ロマンチックな民間伝承の一つで、結ばれる男女の左手小指に、生まれたときから運命的に結ばれているという目に見えない糸のこと。目に見えないのになぜその色がわかるのかは不明。どうやら起源は宋時代の中国の話のようで、色は共通するものの、糸でなく縄が、小指でなく足に結びついているという。もし別れ話を切り出されたら、その縄で相手の首を絞めてやったらいい。日本に伝来して糸に変わったのは浮気者には好都合だが、無理してがんばれば糸でも人は殺せる。この糸は一本しかないのに、現在はバツイチ・バツニ以降であっても、拡大解釈でこの語を使うことがある。恋の攻め手にとっては、ひもで吊り上げるおみくじの感覚で使われる言葉なのだから、陳腐なくどき文句や歌詞の世界でだまされないように注意。

あかぺら【アカペラ】[名詞]
 イタリア語の「a cappella」。『大辞林 第二版』によると、「〔「礼拝堂風に」の意〕器楽の伴奏のない合唱曲や重唱曲の様式。無伴奏体」。カペラは、つまりチャペル(chapel 礼拝堂)に通じる。この言葉でわかる通り、アカペラは本来、宗教音楽の形式。毎週教会に通うようなキリスト教徒の音楽である。一人でいい気になって唄うのはこの定義から大きく外れているが(正式には「vocal solo 独唱」)、しかし流行歌の世界では、無伴奏でありさえすれば歌の内容・宗教・形態に関わらず全てアカペラの範疇らしい。それは百歩譲って認めるとして、ちょっと前に流行った「ボイパ」をアカペラにカウントするのは絶対反対である。ボイパは口で作った「伴奏」であり、しかも彼らの音楽はロックやドラムンベースの口まねで、礼拝堂風とはお世辞にも言えないからだ。

あきらめない【あきらめない】[動詞+否定辞]
 「あきらめる」という動詞の否定形。励まし系が多用する無責任な言葉の代表格。例:「夢をあきらめないで」。おかげで世の中は、見切りをつけて出直すのが下手くそな、頭の固い奴らでいっぱいになった。自らの崇高な信念による場合もあれば、薄汚い欲望への執着や、保身を意図したもの、何か深刻な事情があるものもある。もちろんストーカーもよく使う語。「あきらめない」人が、では実際何をしているかというと、ただボーっとしたり、どう考えても無茶な行為を繰り返したりして、まわりから優しい言葉が掛かるのを待っていることが多い。男はあきらめが肝心という格言は、良識ある女のダメ出しだ。

あくせんと【アクセント】[名詞](補遺)
 英語の「accent」で、ある言葉に特徴的な強弱や高低のこと。日本語やアイヌ語は「高低アクセント」言語であるため、英語などの「強弱アクセント」言語と違い、歌詞にメロディーを付ける場合にはアクセント上の制約があると考えなければならない。この制約は守るのが難しい局面も当然あるが、はなからそんなことを気にしないで歌を作る人が多い。まあ、変なアクセントでも、繰り返せば個性の一つとして認知されることもあるから無理もない。例:国民的人気を持つ猫型ロボットの自己紹介。「ボク、ドラえもんです」(正しくはおそらく「ボク、ドラえもんです」)。歌詞における高低アクセントの無視という現象は、本編(「歌」の項)でも触れた。指摘したことでちょっとでも改善するものであれば、もっとシツコク書いてもいいのだが。

あご【顎】[名詞](補遺)
 @口を開閉するための身体器官。特に下あごの事を指すことが多い。KOパンチの標的。
 Aミュージシャンもよく使う業界用語で、食事や食費の事。例:「顎・足つき」(=食費・交通費がギャラとは別に出ること)。ただ、顎や足だけが満たされて、肝心の懐はスッカラカンということもたまにある。
 B「(人を)顎で使う」という慣用句で、上の立場にいることを利用して人を自分の手足のようにこき使うことを言う。最近はやたらに不景気なので、「懐を十分満たしていただけるなら誰の顎の命令でも従いますよ」と言わんばかりの、頭がスッカラカンの人に私はなりつつある。

あこーすてぃっくぎたー【アコースティック・ギター】[名詞]
 英語の「acoustic guitar 生ギター」。音を出すのにまったく電気を使わないギターのことで、日本ではフォーク・ギターという言い方が恥ずかしくなったために後から定着した語。いわゆるフォーク・ギターは、正式には「フラット・トップ・スチール・ストリング・ギター flat top steel string guitar 平らな表面板の鉄弦ギター」というが、この名は日本で普及するにはちょっと長すぎた。もちろんクラシック・ギターなどいろんな種類の生ギターも含むが、この語の適用に関してはあまり主流派ではない。やはり比較的長い言葉なので略して「アコギ」ということもあるが、(あこぎな商売みたいに)語感が悪い上に、この言葉が大嫌いな大御所もいるため、一部マニアの隠語にとどまっている。近年のピックアップというこざかしい道具の性能向上と爆発的な普及のせいで、ステージ上でのアコースティック・ギターは、本義的には驚くほど少なくなった。ほとんどの生ギターに何と電池が入っているのだ。なお、ピックアップの使用を最初から前提にしている、生ギターのふりをした電気楽器を「エレクトリック・アコースティック・ギター」という。この名も長すぎるので「エレアコ」という略語の方が多く使われる。つまり、名前の点でもエレキとあんまり変わらない。

あし【足/脚】[名詞](補遺)
 @動物や人間が立ったり歩いたりするための身体部分。また、生物以外でも足に当たる箇所をこう称する。
 A「顎」と同様の業界用語で、交通や交通費の事。
 B足跡。例:「足がつく」(=証拠をつかまれる)。
 C赤字。例:「足が出る」(=赤字になる)。
 Dその他、多くの慣用句で使われる。例:「足をすくわれる」(=隙を突かれて失敗する)。「足を引っ張る」(=邪魔をする)。足を棒にして宣伝した甲斐があり、自主企画ライブに足を運ぶお客さんが増え、足の踏み場もないほど混雑したのに、信じられないほど高価なホールのレンタル料が足かせとなって、顎足どころかひどく足が出てしまった、などというネガティブな使い方が一般的。

あしだい【足台】[名詞]
 ギターなどの演奏時に片足を乗せる台。普通は折り畳み式。クラシックでは、右利きならば左足を足台に乗せるのが原則だが、フォークミュージシャンなどは、なぜか右足を足台に乗せる人が多い。何て愚かな。古来より、ギターは女性の体を形取っていると言われているのだから、誰が何と言っても左足を足台に乗せ、足を開いてムギュッと抱きしめるのが正しいやり方だ。立って弾くなど論外である。→ギターレスト。

あたい【あたい】[代名詞]
 第一人称単数「私」を表す、女の子の古い幼児語。→おいら

あてじ【当て字】[名詞](補遺)
 『大辞林 第二版』によると「漢字の本来の意味とは関係なくその音や訓を借りてあてはめた漢字のうち、その語の表記法として慣用のできたもの。また、そのような用字法」。ただし、これが漢字にのみ適用される手法とは言い切れない。昨今のグループ名や流行歌のタイトルなどでは、「4 U (=for you)」とか「2 B (to be)」など、英語とアラビア数字を語呂で組み合わせた、実に低レベルの当て字が増殖中である。まったく5963(ご苦労さん)だ。

あどりぶ【アドリブ】〔名詞/形容動詞〕
 ラテン語の「Ad libitum」の略語で、「自由に」の意。自由に何をするのかは、行為者の裁量にゆだねられる。別にズッコケたってタバコをふかしたってスカートめくりしたってホームランをかっ飛ばしたって構わないはずだが、音楽においてはもっぱらインプロ(即興演奏)と同義とみなされる。私は小さい頃、この語はドリフターズの即興ギャグの事を指すのかと思っていた。名詞としてのアドリブを受ける動詞は「取る」の他に「利かせる」「かます」などがあり、とんちや屁などと共通点がある。

あなたがあなたでありつづける【あなたがあなたであり続ける】[文]
 要するに、キミはそのまんまでよろしい、という意味。主に歌詞の世界で使われている「キミはキミらしく」「ボクはボクらしく」などの似た用例が多数あり。極端な個人主義がはびこっている現代を象徴している。仮にあなたがあなたであり続けることを止めれば、あなたは一体どんなおもしろい生き物になってしまうのか、少し興味がある。

あふれこ【アフレコ】[名詞]
 語源は和製英語(after recording の略)。映像を先に撮り、後からそれに合わせて音声を入れることを言う。声をアテるという意味から、声優さん用に「アテレコ」という言葉もある。多重録音の音楽では、オケ(伴奏)を先に録っておいて、後から歌を入れることが多い。本来これはアフレコの定義から外れるのだが(普通「オーバーダビング」という)、声の調子や滑舌が悪くて何回も何回もやり直すようになると、まさに「アフレコでよかった!」と言う感じがピッタリである。ちなみに昔は、ライブ盤にアフレコのギターソロや歓声が堂々と入っていたりしたものだ。私も、オフレコで嵐のような拍手をアフレコ録音してみたい。→オーバーダビング。

あめりかんぷりみてぃぶぎたー【アメリカン・プリミティブ・ギター】[名詞]
 英語の「American Primitive Guitar アメリカの原始的なギター」。アメリカの名ギタリスト、ジョン・フェイ(John Fahey, 1939-2001)が確立した、無伴奏ギター・ソロによるアーティスティック(芸術的)な表現スタイルをこう呼ぶことがある。このスタイルは、その後多くのギタリストに影響を与えている。ルーツ音楽であるブルースに根ざした、木訥で何の飾り気もない、構造の単純な楽曲がある一方で、突然の狂気を感じたり、むき出しの不協和音を含む曲も多く、原始的といっても実は一筋縄ではいかない。私の印象では、テレビで流すと支障をきたすくらいに奇妙で変態的な表現がなければならない。このスタイルを好きになれるかどうかは、私とよい友達になれるかどうかという選択とだいたい同義。ギター生活における運命の分かれ道である。

ありたい【ありたい】[動詞+助動詞]
 存在することを希望する。「AはAでありたい」となると、AがAとして存在することを希望するという意味になる。例:「ボクはボクでありたい」(=ボクはボクとして存在することを希望する)。近年の流行歌に判で押したように出てくる人気のフレーズだが、実はこの論理は非常に難しい。少なくとも既存の学問の論理式では解けない。Aが現に存在する以上、差し迫った生命の危険でもない限り、改めて存在することを希望する必要はないからだ。これは、「我思う故に我あり」(Cogito ergo sum)というデカルトの格言と似ているが、惜しいことに語順が逆である。そこで、これに従ってわかりやすく修正すると、「ボクでありたいと思う故にボクがある」となる。一見正しいように見えるが、この手の哲学の論理は間違っている。例えば、私は男でありたいと思わなくても男だし、女とキスしたいと思わなくても女は存在する。ボクの思考と関係なくボクが存在するという至極当たり前の結論に達しない限り、この手の矛盾はいつまでも続くだろう。

あれんじ【アレンジ】[名詞]
 →編曲。

あんこーる【アンコール】[名詞/間投詞]
 無事にライブが終わった後、一定間隔の手拍子で表す、観客からの追加演奏要請。ミュージシャン側から言えば、これをいただくことは大変な栄誉のはずだが、ずいぶん前から半ばセレモニー化していて、ライブハウスに提出するスケジュール表には、アンコールの時間や曲名が、いけしゃあしゃあと書いてあったりする。アンコール曲には楽しい曲を選ぶのが普通だが、今は亡き名ギタリスト、ナルシソ・イエペスのコンサートでは、一番最後に「禁じられた遊び」を弾くまで何度もアンコールが繰り返された。本人は迷惑そうだったが、おそらくあれもセレモニーの一種だったのだろう。出演者は、一度ステージ裏に引っ込んでから再び出ていくのが通例だが、ステージ裏がないお店も多い。そんなお店に馴れてしまったためか、たとえステージ裏があっても引っ込まずにいきなりアンコールに応えようとする貧乏性のミュージシャンもいる。一方観客の方はというと、この長ったらしいライブを早く終わって欲しい一心で手を叩いている場合が多い。単に形骸化しているならば、いっそのことない方がいいか、と言えばそうでもない。実際私は、過去何度かアンコールのない悲哀を味わったことがある。ステージの裏も表もない。これはどんな毒舌攻撃よりも効き、もともとプライドの高いミュージシャンを完膚無きまでにやっつけ、自己嫌悪に追いやり、その寿命を一気に縮める。そんなのはつまらんと、拍手がないのに強引にアンコール曲を遂行する強者もいる。私はそこまで強くなれない。ああ、今日のライブに、ウソでもかりそめでも何でも良いからアンコールがありますように。

TOP 目次に戻る