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【ほ】

ぼいすとれーにんぐ【ボイス・トレーニング】[名詞](補遺)
 英語の「voice training 声の訓練」。歌手、声楽家になるための基礎訓練。これをマスターすると、何と腹で呼吸することができるようになり、喉だけでなく体全体で、耳から脳髄に突き抜けるような非常にやかましい声を出せるようになる。ただし、必ずしも音程の正確さを保証するものではないらしいので、下手な人は相変わらず下手という場合もあるから困ったものだ。横隔膜が鋼のように鍛えられるという副作用があり、しゃっくりが激減するという噂もあるので、私も一生に一度でいいからやってみたい。

ぼいぱ【ボイパ】[名詞]
 英語の「voice percussion 声のパーカッション」の強引な略語(キミたちは、スカッド・ミサイルをスカミ、チグリス/ユーフラテス川をチグユとか言うのか)。口で打楽器(さらにベース音など)を真似ること。元はジャズ・シンガーの一発芸的な技術だと思われる。日本では、少し前からテレビ番組の影響で人気になったが、複数人の唾が飛んできてかなわないので、マイクにはシルクスクリーン取り付けが必須である。ベース担当者の音程の正確性にも大いに疑問があるので、スタジオにはやはり本当の楽器を持っていく方がいい。

ほうがく【邦楽】[名詞]
 『大辞林 第二版』によると、広義には日本の伝統音楽全般を指し、狭義・そして日常的には近世邦楽のみを指すらしい。つまり雅楽や民謡などの比較的古い音楽は含まれないという。同じ日本の伝統音楽なのに、こんな微妙な時期やジャンル分けにこだわるなんて、昔から音楽家のプライドは不必要なまでに高かったらしい。しかし、広義の方もやや意味が狭く、「J−POP」なる語が浸透するまでは、普通の流行歌にもよく使われていたと記憶している。例えば、ちょっと前までは「洋楽ロック」に対して「邦楽ロック」などと言ったが、別に三味線を使うバンドではなかった。

ほうこう【咆哮】[名詞](補遺)
 『大辞林 第二版』によると「ほえること。獣などがたけりほえること。また、その声」。でも、少なくとも私は、犬がたとえ百万回吠えても普通この語は使わないだろう。現代の用法では、詩人、ミュージシャン、映画やゲームの関係者などがこの字画の多い語を使う。例:「魂の咆哮」「大地の咆哮」。まあ、彼らはそういうホウコウ(方向)でいいのだろう。

ぼうし【帽子】[名詞]
 『大辞林 第二版』によると、「頭にかぶる装身具。(ア)寒暑やほこり・落下物などから頭部を防護し、また身なりを整えるもの。帽。」(以下略)とある。帽子好きで有名な詩人の藤富保男は、帽子が人間特有のものだと主張したことがあったと思うが、よく覚えていないのでどなたか詳細をき帽子たい。さて、帽子のモラルについて。「身なりを整える」ための帽子の装着に際しては、かつて基本的な美徳が存在した。
 1.屋内では取る。かぶっていいのは外だけである。
 2.人に礼をするときは取る。別れを惜しむときは振る。
 3.目上の人の前や、公の行事、弔意や敬意を表す時などでは取る。
 4.用途に応じてかぶる。例えば野球選手やファン以外は野球帽をかぶらない。冬以外にスキー帽をかぶらない。作家や画家以外はベレー帽をかぶらない。
 5.正しくかぶる。例えば野球帽やサンバイザーを逆さにかぶったりしない。まるで不審人物みたいに眉毛を隠さない。
 残念ながら、ヒップホップのストリート系ファッションが流行りだしてから、若者や若いミュージシャンたちにこれらの美徳はことごとく無視されていて、近い将来、帽子の厳格な倫理規定が必要になりそうである。夏のクソ熱い最中、保温性の高そうな帽子でカッコつけている兄ちゃんのファッション感覚は、ある意味新手のバンカラみたいなものかも知れない。

ぼく【僕】[代名詞]
 通常は子供や青少年、または若作りをしているご年輩、そしてお得意さまに好印象を与えたい一部の商売人が使う、男性の第一人称単数代名詞。同じ漢字で「しもべ」とも読む。さらに「下僕」「公僕」などの言葉があるように、本来は、自分に全く逆らう意志がないことを相手に示すへりくだりの言葉。犬が腹を見せる服従のポーズとだいたい同じである。ごく一部の年頃の女性が、ミスマッチのかわいらしさを狙って「ボク」とか「ボクたち」と言うようになったのはいつ頃からかわからないが、言葉の意味がわかるなら止めた方がいい。いやらしい見方かも知れないが、私は男に逆らわない女です、と言ってるようなものだ。

ほけん【保険】[名詞]
 ギャンブル的な危機管理手段の一つ。病気・怪我・火事・地震・事故(または死)など、人生における何かの危険(または永遠の安全)に遭遇したとき、胴元から経済的に支援してもらうために積み立てる基金。普通はどう転んでも胴元が儲かることになっているのだが、今ではその胴元の多くが経済的危険に遭遇していて、保険とは関係のない人たちにまで支援を乞うている。保険会社は保険にかかっていなかったのだろうか。まあ、保険があるからといって心ゆくまで危険な目に遭おうとするギャンブラーが多すぎたのかも。景気よく死ぬことができたのも、どうやら過去の話になりつつある。→健康保険。

ぼさのば【ボサノバ】[名詞]
 ポルトガル語の「Bossa Nova 新しい感覚」で、1950年代頃起こったブラジルの新興音楽。ジャズの影響を受けたサンバとも言われる。コードが難しすぎてどっちつかずになり、曲が終わっても本当に終わったのかどうかよくわからない。歌詞もポルトガル語なので全く理解できない。このように、どうも個人的には共感できない要素もあるのだが、その都会的な艶やかさや詩的な切なさには確かに魅力がある。さらに、何だか美人の女性歌手が多くてうらやましい。

ほし【星】[名詞]
 @天体。夜空に見える無数の光の一つ一つ。「お星様」という言葉があるように、古来は神さまと見なされていたし、今でもそう考えるのが適切だと私は思う。私たちが住んでいるこの大地も、大きく見れば地球という星の一部らしいが、それをテレビのモニター画面ではなく実際に自分の目で確認した人は、未だかつて宇宙船の乗組員しかいない。夜空の星や「地上の星」ならともかく、自分のすみかを宇宙船地球号などという船に見立てるのは、何だかどこかで耳にした抽象の概念でしかない。注意したいのは、この種の「メディアからの受け売りの概念」を含む歌が、得てして実感が伴わず説得力に欠けるきらいがある、ということだ。一部の流行歌の文句で「この星で生まれた」「この星のために」「この星を守る」などと軽々しく使い、日本人からいきなり太陽系第三惑星人に視線がグレードアップしてしまうのはいかがなものか。SF映画やアニメを見るのは別に構わないし、実は私も結構好きだが、もしマイクを握るのならさっさと現実の世界に帰ってきてほしい。
 Aスター。注目株。人気者。特にスポーツ界に使用例が多い。「星」といっても実際は、まだ頂点を登り詰めてはいないが、そうなるべく周囲の人々の期待を背負うという場合によく使われる。例:「巨人の星」「甲子園の星」「期待の星」。一方、メジャーのレコード会社からデビューするミュージシャンの場合、宣伝戦略が優秀すぎて、ついこの間デビューしたばかりなのにその時点で既に超大物スターという場合が多いので、この語を使うヒマがない。
 B(大相撲や野球など)主に対戦勝負のスコアを表す。星勘定。白星と黒星がある。白星の一種として、たまに金星(きんぼし)もある。
 C[固有名詞]星直樹(ハード・トゥー・ファインドのギタリスト)。私の友人。

ぽすたー【ポスター】[名詞](補遺)
 英語の「poster」で、宣伝用の張り紙のこと。post(張る)するのは人間なのに、なにゆえに張った物自体が「post-er 張る者」になるのか、日本人である私には到底見当が付かない。どうも英語は難しい。私のような零細アーティストは、大抵自分のライブの企画者も兼ねるのだが、多くの場合ポスターの製作者も張る者も剥がす者も兼任する。ただし、電信柱にポスターを張ったっきり、ちっとも剥がしに来ないような奴もたまにいる。そのポスターに企画者の連絡先が書いてあれば一巻の終わり、彼の社会的信用が地に落ちる原因になる。つまり、そんなことをするような奴は、足がつかないように、ポスターに怪しげなケータイ番号や会場の連絡先しか書かないものだ。さて、ポスターのデザイン表現が、近年どんどん進化していることは指摘するまでもない。人に夢を与えるイメージ戦略が先行しすぎて、ポスターを見ても要するに彼がどういうアーティストなのか、どんな歌を唄ってくれるのか、全然見当がつかないという事態もよくある。最近の選挙用ポスターを見ると、残念ながらこの分野でもミュージシャンと政治家は似通っているように感じる。

ぽっぷす【ポップス】[名詞]
 英語の「pop ポピュラー音楽」の複数形。大衆音楽の中には重たい雰囲気を持ったものはいくらでもあるが、ポップスは逆にポップコーンのように「軽めの音楽」を表す。しかし、何がどの程度軽いのかといわれると説明に困る。音楽における重力の定義は曖昧なのだ。自分の重さの捉え方次第で人生を踏み外すこともあるのは人間の体重と全く同じで、軽けりゃいいというものではないし、もちろん逆も言える。ハードなロックが流行った頃は、いわゆるポップスは一部の「硬派気取り」に敬遠される傾向があったが、今では優れたポップスは完全に復権しているし、当時イマイチの評価だったポップ・スターも有名タレントとして命脈を保っている。芸能人の世界は、一度有名になれば食いっぱぐれがない。日本のJ−POPは、ジャンル名からしてポップというくらいだからポップ・スターはいくらでもいるが、彼らをカーペンターズのような歴史的ポップ・スターと一緒にするのは、今は亡きカレンに気の毒だ。

ぼとるねっく【ボトルネック】[名詞]
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ほめる【誉める/褒める】[動詞]
 賞賛する。讃える。賛美する。良く言う。「労をねぎらう」とは意味が違う。「ご苦労様」「お疲れさま」と言われたとしても、実は出来映えは最っ低で全くほめられたもんじゃない、と言外に諭されていることがよくある。気配りのつもりだろうが、いっそひと思いに真実を告げるべきだ。音楽や芸術の分野は、絶対的な価値を設定しにくいので、極端に言えばみんな自信がない。そのため、アーティストは常に誰かからほめられることを期待している。幸いにもほめてくれる人の中には、普段ほめ慣れてないのが原因なのか、どう考えても行き過ぎのほめ方をする人もいる。これは、あんまりひどいと「ほめ殺し」の範疇に入るので注意したい。しかし、悪意をもってけなされるよりはよっぽどマシだ。一度でいいから私も、殺されるくらい強烈にほめられてみたい。「ほめられるためにやってるんじゃない」と宣(のたま)う孤独な芸術家は、人の賞賛が思うように得られなくてひがみっぽくなってしまった人なので、最初はゆっくりとなだめながらほめてあげよう。ただし、どうやっても人の好意が通じない奴は、しょせんほめるに値しない。

ぼらんてぃあ【ボランティア】[名詞]
 英語の「a volunteer 志願者」。特に日本においては、ただの志願者というより「自発的に勤労奉仕する人」のことを指す。例:「ボランティアで演奏してくれないかな?」=いいからノーギャラで弾けよ。大抵のミュージシャンは貧乏で、本来ボランティアとは最も縁遠い経済状態にあるはずなのだが、実際はプロも含めていろんなミュージシャンがボランティアのステージに出演している。ぼろは着てても心は錦か。ただし、これは最も安上がりな広告宣伝の機会でもあるため、ミュージシャンにとってはただの先行投資もしくは名詞配りと位置づけられている場合が多い。挙手で志願者を募る程度では、資本主義による富の偏在はてんで解消されないことに、みんな内心気付いているだろう。→ノーギャラ。

ほん【本】[名詞]
 文字が書いてある紙を綴じて束にしたもの。綴じずに巻いたものは巻物という。私個人の基準として、本の名に値する条件はいろいろ厳しいものがあるのだが、現在は紙を綴じて束にしてツカをつけて帯を回したものはみんな本だと思われている。電子本とはまたいいものが発明されたもんだが、この点においてコイツは仲間外れだ。本は、マンガでも小説でもノンフィクションでも学術書でもエロ本でも、あるテーマや一貫したストーリーに基づいて書かれるのが普通。宣伝で埋め尽くされたような雑誌も例外ではない。テーマの希薄な本や編集者にセンスのない雑誌はただの落書きか雑記帳で、参考にならないし、説得力がないし、心に残らない。今皆さんがご覧のこの本を、むしろカスに近いと見る方もいるだろう。古本屋ではマンガの方が高く売れそう。本にもいろいろある。ミュージシャンが自分のプライベートな軋轢を暴露したような、下世話な本が大量に出版されているが、これについては永い時間がその非凡なまでのくだらなさを証明してくれるだろう。読書とは人の考え方に自分の思考を合わせる作業なので、あんまりいろいろやりすぎると頭に毒である。この本にも注意されたし。

ほんもの【本物】[名詞](補遺)
 @偽ではないもの。おっと、こんな定義の仕方だと、「小物」を「大きくはないもの」と書いてお終いになりそうなので、もうちょっと頭を働かせて考えてみよう。う〜ん、だがこれは意外に難しい。例えば、本物のマグロは間違いなく絶対に遺伝子レベルでマグロなので、「間違いないもの」とか「疑いのないもの」などの定義が考えられるが、最初の定義とたいした違いではない。しかし、本物のヘンタイは、ヘンタイであることに誰が見ても疑いの余地がないとは限らない。これは、ヘンタイであることを証明するための定義や基準が人によってまちまちだからである。この「本物」という言葉は、偽物ではないことが客観的に明らかな場合にのみ意味のある、ほとんど透明な修飾語だと言える。
 A本格的なもの。例:「彼は本物のブルースシンガーだ」。一体どこのどなた様が彼を本物だとご判断なさるのか、こういう話を聞く際は大いに注意して聞いておきたい。なお、少なくとも音楽に限って言えば、偽物の方が本物よりだんぜん面白いこともあるのが不思議なところ。

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