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【ふ】

ふぁん【ファン】[名詞]
 @換気扇。
 A特定の人物や団体を、愛情をもって支持する人。ある団体の支持者は、実はやっぱり特定の人物の支持者だったりする。ファンには、その愛情表現の仕方によっていろいろな名称がある。ファンクラブのメンバーは「会員」、愛情を何らかの理由で隠す人は「隠れファン」、経済的に支援する者は「スポンサー」。サッカーの場合は「サポーター」。アーティストの全国ツアーや各所の公演を可能な限り追いかける熱烈なファンは「追っかけ」。プライベートを覗くため探偵までやろうとする異常者は「ストーカー」。追っかけとストーカーの区別は、対象となる者の迷惑になるかならないかで判断する。ただしどちらも、ものすごい性能のカメラを持っている。

ぶいえっちでぃー【VHD】[名詞]
 日本の某メーカーが独自開発したビデオ・ディスクの規格。非接触型の針で情報を読みとるという、レコードの発想からイマイチ抜け切れていないデジタル機器。なお、本当に針でビデオをアナログ再生するRCAという規格もあった。どちらも、結局LD(レーザー・ディスク)に敗北した。メディア関連の世界的な規格争いは、ほとんどが日本メーカーのわがままの歴史である。

ふぃどる【フィドル】[名詞]
 英語の「fiddle」。外見も音も奏法もバイオリンにそっくりの、謎の擦弦楽器。アイリッシュやカントリー音楽などでは、どういうわけか決して使われないバイオリンの代わりとして使われる。奏者の事はフィドリストとは言わず、アメリカ風にフィドラー(fiddler)と言う。この語は「ペテン師」と言う意味の俗語でもある。そのペテン師たちは、決して自分のことをバイオリニストと称することはない。アメリカの作・編曲家リロイ・アンダーソンは、彼の代表曲の一つ「フィドル・ファドル Fiddle Faddle」を指揮する際、バイオリニスト全員に、バイオリンをフィドルに持ち替えるよう指示したという逸話がある(ウソ)。

ふぃるたー【フィルター】[名詞]
 英語の「filter 濾過器」。世の中にはいろんなフィルターがあるので、一つ一つ定義するのも煩わしい。よって、音楽に話を限定しよう。まず、アナログ・シンセサイザーでよく使われるコントローラーの一つ(VCF)。オシレーター(VCO)で生成した発振音の不要な倍音をカットするために使われる。例:「ローパスフィルター」=低い周波数帯域だけを通すフィルター。フィルターとは、本来「かける」ものではなく「通す」ものなのだが、言葉というのは難しいもので、ここでは「包丁のようにスパスパ切れ」たり「効きが甘かっ」たりする。そして、これもある部分は共通するが、無線機器、録音機材や音響機材(例えばマイクやEQなど)などに、特定の周波数帯域以上または以下をカットする機能が付いていることがある。こちらの場合は単純なローパスかハイパスが多い。しかし、それだけというのもどうかと思う。いっそのこと、全ての帯域に渡って通してほしくないような音で満たされた曲が、残念ながらこの世にはいっぱいあるので。

ふぉーく【フォーク】[名詞]
 @英語の「fork」で、西洋の食器。適当な大きさの食物を刺して口に運ぶ道具。箸を使えない不器用な人か、レストランの客がナイフと共に使う。私は、カツカレーをフォークで食べることには少し抵抗がある。
 A英語の「folk 民俗」だが、「folk song フォーク・ソング」の略語としてよく使われる。日本においては、1960年代頃から欧米の影響で流行り始めたギターの弾き語り音楽を指す。英語の語義から見ればフォークソングは「民俗音楽」なのだが、日本のフォークは、歌手のくよくよした軟弱な精神(いわば「たおやめぶり」)や、社会的な責任とは無縁な地位に安住する大学生やヒッピーの精神に支えられる歌が多く、どうにも一般的な民俗とは言い難い。いわゆる60年代フォークは、ギター一本あれば歌える手軽さと共に普及し、当時の若者のメッセージや閉塞感をそれなりに代弁した。しかし、その一種独特な雰囲気はジャンルとしてほぼ固着化・再生産化し、70年代以後は、音楽的・精神的スタイルの変化を拒絶する保守的なジャンルになった。少しでも一般向けに変化したものは後にニューミュージック(現在は死語)と呼ばれ、こちらの方がベストテンをよくにぎわせた。今では、フォークというともっぱら60、70年代フォークを指し、ほとんどナツメロ化している。この前、とあるラジオ番組で井上陽水の「傘がない」を歌ったら、「オジサンだね」と言われてしまった。こうして、あらゆる音楽がオジサンの娯楽になっていく。

ふぉるくろーれ【フォルクローレ】[名詞]
 スペイン語の「folklore」で、本来は民俗音楽全般のことだが、日本では特に南米の民俗音楽を指す。トリオ・ロス・パンチョスなどのグループや、アタウアルパ・ユパンキなどの歌手が一世を風靡した。ケーナ、サンポーニャ、チャランゴ、ボンボといった特色ある楽器も有名。日本におけるストリート・ミュージシャンといえば、まずフォルクローレが思い出されるほど、近年では駅前や観光名所での本場ミュージシャンの出稼ぎ演奏がおなじみである。彼らは、度重なる無粋な規制や苦情にもめげずに、ストリート・パフォーマンスの灯をともし続けている。とある空港でフォルクローレのグループがロビーを移動しているのを見たことがあるが、パワードアンプや跳び箱みたいにデカいCDラックをはじめとして、想像を絶する大量の荷物を引きずって歩いていた。空港の職員はチェックが大変だったと思う。

ぶし【〜節】[名詞](補遺)
 演歌などを歌う時の声の出し方や抑揚を指す。そこから転じ、Aに接尾してA(またはAに親しむ人)がよく使う個性的なメロディーをも指す。例:「黒田節」「ソーラン節」「恨み節」「浜田節」。ただし、普通は「ビートルズ節」なんて言わないように、あまりさわやかな音楽を想像しにくい言葉である。個性溢れる音楽とはそんな品行方正なものではなく、醸し出される汗くささや暑苦しさに耐え、配送トラックの助手席で缶コーヒーでも飲みながら鑑賞する、というイメージにピッタリの言葉。

ふせいしゅつ【不世出】[名詞](補遺)
 広辞苑第4版によると「めったに世に現れないほどすぐれていること」。例:「不世出のギタリスト」。ただし「実力に比した名声を得ていないこと」という意味に誤用されることが多い。この二つの意味はまるで違うのだが、現実には似たような事象を表しているので、ほとんどのケースで意味を取り違えても違和感がない。ゴッホや宮沢賢治のように、たとえ存命中はさしたる名声に恵まれなくても、死んだ後に世に出た偉人は結構多い。この語はそういう世評のタイムラグへの配慮が欠けているので、褒める対象が死んだ後、最低でも50年くらい世間の評判を見定めてから使った方が適切だったりする。

ぷらいばしー【プライバシー】[名詞]
 英語の「privacy 私生活」。当然どんな人にでも存在する絶対不可侵のものだが、公人のプライバシーには一定の制約があるとのたまう人がいる。そう言う人の多くはメディア側の人間で、反対する人の多くは弁護士側の人間。その狭間で大岡裁判を受ける私たち小市民は、でもあいつのプライバシーなら覗いてみたいなどと、心の中では不届きなことを考えている。一番悪いのはそういう無用な好奇心なのだ。好きなミュージシャンのプライバシーを覗こうとする人の心理がよくわからない。音楽を聴いている最中に、プレイヤーの私生活の様子が知りたいなんて考えてしまうのなら、まだ音楽への感動の仕方が足りないのではないか。

ふりーらんさー【フリーランサー】[名詞]
 英語の「freelancer 無所属の仕事人」。顧客から請負で仕事を得る自営業者のこと。音楽の分野でのフリーランサーは多い。野球でいえば、FA権を獲得した選手というよりも自由契約選手に近い。彼らは、会社勤めのために毎朝きちんと早起きできない人たちなのだろう。語感から、フリーターと誤解されやすいが、当たらずといえども遠からず。

ぷりぷろ【プリプロ】[名詞]
 英語の「pre-production 前・制作」の略語で、下書きやコンテなど、本格的制作の準備段階で作られるもの。音楽であれば仮歌テイクや、ちょっと軽めに制作したリハーサル音源などに当たる。多くの音楽家は、プリプロを作りながら作曲や編曲の完成度を高めていく。ただし、一部のプリプロ音源は、しばしば完パケと区別が付かなかったりする。これは発想の段階からの高い完成度を示すことでもあるし、全くと言っていいほど試行錯誤をしていない怠慢の故でもある。まあ、順序立てた作り方なんてどうでもいい。作る人が完パケだと思ったらそれが完パケだし、聞き手や顧客が「プリプロじゃないか?」と思うほどスカスカな出来でもやはり完パケなのだ。参考:→完パケ。

ぶるーぐらす【ブルーグラス】[名詞]
 1940年代にビル・モンローとその仲間たちが作り出した、比較的新しいアメリカ白人音楽。ギター、マンドリン、バンジョー、フィドルといった弦楽器による、軽快な歌とアンサンブル、そして即興演奏が特徴。つまり、ものすごく広い意味でのジャズである。曲を知らないとジャムに参加できないので、彼らは辞典のように分厚いソングブックをいつも持ち歩いている。快活な曲想にはアンバランスな失恋の歌がなぜか多く、あんまり寂しいので「ハイ・ロンサム」というキーワードが生まれたらしい。歴史的には今のカントリーではなく「初期のカントリー」から分派したものだが、電気を使わないカントリーと考えれば話が早いので、大多数の人にやっぱりカントリーと同一視されていて、そのため仕方なくこれはカントリーの一種だと説明する人もいる。この音楽の演奏者は愛好家も兼ねている場合が多く(逆か)、今のようにカントリーを引き合いに出すとひどく怒られるので、彼らとの会話には注意が必要。まあ適当に話を合わせておけばいい。

ぶるーす【ブルース】[名詞]
 もの悲しさを唄い飛ばす、黒人音楽の一種。もとは英語の「blues」で、本来は「ブルーズ」と発音するのだが、日本においては一部のマニア以外「ブルース」という語形が好まれる。スッと消えていくはかなさが良いのだろうか。日本人は昔からブルース好き。ムード歌謡などでも取り入れられ、一部の演歌も指すほどに浸透している。12小節などの特異な構成、ブルーノート、ペンタトニック・スケール、循環コードなどが音楽的特徴だが、日本のミュージシャンはいくら勉強して修得しても、血までブルーでないとなかなか評論家に認めてもらえない。→血(B)。

ぶれいく【ブレイク(ブレーク)】[名詞]
 英語の「break」。
 @何かを壊したり、壊れたりすること。例:「ハートブレイク(heart 心 + break 壊れる)」失恋等のショックで傷心すること。ただし、健康ならば、壊れた心はやがて元通りになろうとする。爪が割れたことを「爪がブレイクした」という人もいる。
 A堰(せき)を切ること。「壁を壊す」ようにある種の制約から突き抜けること。転じて、苦労の甲斐あって突然人気が沸騰することをも指す、今風の言葉である。芸能界で「今大ブレイク中」などというのは、決して彼の人格が大崩壊しつつあるのではない。こっちは、どんどん壊れていいものなのだ。多くの若い才能が、そこら中でチャカポコと壊れまくっているのは、まさに爽快である。「大人気」とか「人気爆発」とか、他にいろいろと言いようがあると思うのだが、よく考えてみるとこの語は「まだブレイクしていないが、やがてそうなるだろう」という場合の方が有用で、「今年ブレイク必至」「もうブレイク寸前」なとど使われやすい。これなら、確かにブレイクを使う意味はある。過大な期待を込めた予想に反して、今一つブレイクできなかったときも、「いや、でも大人気だよ」と切り返せるからだ。
 Bバンド演奏において、少しの間伴奏を止めて、ソロのパートを目立たせること。ソロ奏者にとっては腕の見せ所。クラシックでは「カデンツァ」に当たる部分。ラグタイムにおいては「ストップ・タイム」と呼ばれる技法があるが、これは休符をうまく使ったブレイクとも言える。ソロ奏者の楽曲の中でも、バンド演奏でのブレイクのような感覚で妙技を振るう部分を、やはりブレイクと称する。まあ、中には、ブレイクしっぱなしのソロ奏者もいる。

ぷろ【プロ】[名詞]
 @英語の「professional 職業人」の下略形。要するに仕事をしてお金をもらう人の総称であるから、原則的に働いている人はみんなプロである。もっと言えば、税金を払っている人のこと(脱税する人はプロどころか国民ですらない)。しかし、この言葉に一種独特の思い入れを持つ人にとっては、日本語の「職人」と同じように、もう少し対象範囲が狭いらしい。ゴルフの世界では、プロは名前の後に付く尊称として使われている。例:「青木プロ」。これに対して、音楽の世界では、ゴルフ界より圧倒的にちょこまかしたプロが多いためか、尊称として使われることはほとんどない。そのかわり、アマ(アマチュア)とプロの自分との区別を強調して自尊心を満足させるために、プロの側からこれ見よがしに使用されることは多い。本来この言葉は、一般に思われている言葉の印象とは異なり、技能の優劣にはあまり関係がないので、実際はプロより上手いアマもいるし、アマより下手なプロもいる。残念ながら観客数の多少にも関係ないため、実際はプロより人気のあるアマもいるし、アマより人気のないプロもいる。多くのプロにはそれなりのプライドがあるので、そのことに触れるのは大体タブー視される。アマとプロを分ける最も大きな要素は、このちっぽけなプライドの有無である。自分が下手だとか、人気がないなどと公言するプロは論外。彼に仕事を与えるのは間違っている。
 A英語の「production 製作」の下略形が転じて、一昔前までは主にメディア関連の製作会社、または製作物を指していた。例:「石森プロ」「石原プロ」「プリプロ」。現在、あまりこういう使い方をしないのは、決して世の中の創作意欲が減退しているわけではなく、プロ(@)と紛らわしいことにみんなが気づいたからだろう。何でもむやみに略するからこういうことが起こる。

ぶろぐ【ブログ】[名詞](補遺)
 『デイリー新語辞典』によると、「〔ウェブ(web)とログ(log)との造語ウェブログ(weblog)の略〕ニュースや事件,趣味などに関し日記形式で自分の意見を書き込むインターネットのサイトやホーム-ページ(以下略)」とのこと。この日記の一種は、日記なのに他人に見せることが前提であり、あまっさえ他人がチャチを入れることもできる。チャチをつける人の恐るべき文才をコントロールすることができない点で、この媒体は掲示板の悪い特質を受け継いでいる。つまり、性善説に支えられているものだ。特にミュージシャンがブログに書き込む内容は、当たり障りのないエッセイとかライブの宣伝くらいで結構で、そんなことは普通のホームページででもできる。個人的な悩みを綴った日記を、書いたままに不特定多数の人に公開するのは、見苦しいから控えた方がいい。インターネットの書き込みなんて結局トイレの落書きみたいなものだと思っている、悪意ある人もいることをお忘れなく。

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