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【き】

き【き】[助動詞]
 古文形容詞の連体形活用で、例えば「白い翼」なら「白き翼」、「美しい人」なら「美しき人」という風に使われる。文法的に合っているかどうか、気が進まないながら私も再勉強したが、やっぱりよくわからない。もっと古文を勉強しておけばよかった。活用によっては、例えば「夢をくれた君」なら「夢をくれし君」となるらしい(?)が、こんな洒落たフレーズは昔はなかったはずなので、どうにもこうにも気恥ずかしい。このように、歌詞にある種の神秘性や格式、寓話性を持たせたい場合、全く突然にあやふやな古文が使われることがあるのはご承知の通りだ。ゲームマニアは、RPG(ロール・プレイング・ゲーム)の魔法の呪文も思い起こすべし。『大辞林 第二版』によると、この助動詞は「話し手の直接体験した過去の事実を回想するのに用いられる」という。暖かきお言葉。全ての洒落者のキーキー言葉は、彼らの個人的でチンケな過去を回想したものに過ぎぬ。

ぎぐ【ギグ】[名詞]
 英語「gig 出演契約、演奏」より。要するに、気取り屋のちょっとした演奏会のこと。この語は、比較的近年、とある有名なJ−POPアーティストがうっかり使ってしまったために、瞬く間に広まったらしい。メディアの力は恐ろしい。この語は「ライブ」とほぼ同義だが、野外での演奏会をギグと言えるかどうかわからない。いくら気取り屋でも、クラシックや伝統的邦楽の分野ではなぜかほとんど使われない。

きせき【奇跡/奇蹟/キセキ】[名詞](補遺)
 『大辞林 第二版』によると「(1)常識では理解できないような出来事。「―の生還」(2)主にキリスト教で、人々を信仰に導くため神によってなされたと信じられている超自然的現象。聖霊による受胎、復活、病人の治癒など。原始キリスト教では当時の魔術信仰に対抗するため、また使徒(預言者)のしるしとして特にこれを宣伝した」とのことで、面白いから全部引用してしまったのだが...どうもこの筆者はキリスト教が大嫌いなのではないかと勘ぐってしまう。畏れながら申し上げるが、この語の定義も未だ充分ではないと思われる。いくら非常識な出来事でも、例えば満員電車の中でスッポンポンになることを奇跡とは呼べない。言葉の用法として「奇跡的な悪夢」のようなネガティブな意味でも使えない。これは、考え得る限り最も良い偶然、つまり「幸運の最上級形」と定義した方が的確である。さらに言えば、奇蹟は神だけの手柄というより、神と人間の共同作業の結果として起きることが多い。Jポップの歌詞でよく「キミと出会えたキセキ」のように使われることからもわかるが、人間が関わっている、神から見れば別にどうでもいいようなキセキの方がむしろ多いくらいだ。

ぎたー【ギター】[名詞]
 英語の「guitar」(「guiter(編注:ギテー、またはギテールと読める)」という誤植は日本人として恥ずかしいので、是非やめて欲しい)。世界で最も普及している撥弦楽器。我が生きる糧を得るための商売道具。奏者はギタリストという。大別すると、クラシック、鉄弦フラット・トップ(フォーク・ギター)、エレキ、ベース・ギターといった種類がある。もちろん、12弦ギターを筆頭にバリエーションも豊富で、フレットレス・ギター、バンジョー・ギター、ハープ・ギター、バリトン・ギター、ソプラノ・ギター、ギタロン、シンピタール、純正律ギター、リバーシブルなど、微妙なものから盛大に怪しげなものまでいろいろなギターがある。「ギターは小さなオーケストラである」というのはちょっと誉めすぎ。オーケストラの代わりにベートーベンの第九を演奏できるギタリストは、多分世界でも希であるし、私ならやっぱりオーケストラで聴きたい。この有名なギターへの賛辞は、つまりオーケストラさえあればギターなんて要らないという風にも解釈できる。なお、東京都では、これを夕暮れの公園で弾くなんて風流なことはもうできない。30分もしないうちに、コワイ管理人たちがやってくるからだ。参考:→ヘッド。

ぎたーけーす【ギターケース】[名詞]
 英語の「guitar case」で、もちろんギターを入れて持ち運ぶ箱のこと。ただし、ちっとも持ち歩かずに、タンスや棺桶代わりにしている人が多い。

ぎたーれすと【ギターレスト】[名詞]
 和製英語で、「guitar + rest ギター+台」。本来の英語なら「guitar support」が正解らしい。ちなみに英語で「guitar rest」といえば、ちょっとしたギタースタンドのことを指すようだ(足台は「foot rest」または「footstool」)。かなり昔からあった器具らしく、足台で左足自体を上げる代わりに、この器具を左足のももあたりに装着してギターの方を持ち上げるという、驚くべき逆転の発想。腰の悪い人や、足を豪快におっぴろげるのが気恥ずかしい人にはよい器具だろう。しかし、足台やギターレストそしてストラップの存在は、ギターという楽器が、あるがままの状態ではとても弾けたものじゃないという事の証明でもある。あらゆる意味で不完全な楽器、ギターよ。それ故に私は君を愛する。→足台。

きみ【君】[名詞/代名詞]
 @(古い言葉で)天皇。
 A(古い言葉で、女性から見た男性の)恋人。
 B(現代の言葉で)主に男性が、自分と同輩かそれ以下の人に使う、<RUBY CHAR="公","おおやけ">の二人称代名詞。対応する一人称は「私」または「僕」。『大辞林 第二版』によると「相手を親しんで呼ぶ語」とあるが、少なくとも今の男性の口語では、親しみの度合いは「お前」より低いし、時によっては呼び捨てよりも親しめない。むしろ全く見知らぬ人に用いたり、浅い仲でもない相手を改まって「君」呼ばわりすることでわざと距離を取る場合まである。オタクの言う「お宅」にも近い。例:「君、ちょっと来てくれ」「君は誰だ?」「君たちにはがっかりしたよ」。なお、名前に付ける接尾辞「〜<RUBY CHAR="君","くん">」は、これとは別の言葉と見た方がよい。
 C(現代の言葉で)主に若い女性が、自分と同輩かそれ以下の男性に使う、親しみの二人称代名詞。対応する一人称は「僕」。君(A)と同義ではないことに注意したい。推察するに、70年フォーク世代あたりまで「相手を親しんで呼ぶ語」として男が使っていた代名詞「君」を、女性がミスマッチの可愛らしさを狙って盛んに使うようになり、男性はこの代名詞をこの用法で使うのが気恥ずかしくなったのではないか。例:(女が男に対して)「ボクは知らないよ、キミが言ったんじゃないか」「ボクはキミのことスキだよ」。古き良き女言葉の言い回しが徹底的に避けられていることにも注意。男性の言葉を、女性が代名詞ごと奪い取ったのである。女性歌手のキミは大抵これに当たるし、男性歌手もなぜか歌の時だけは大いにこの意味で用いる。ああキミよ、わかるなら教えてほしい。キミはキミのままで本当にいいのだろうか?

きもち【気持ち】[名詞](補遺)
 心の中の現時点での感覚的な思いを総称するあいまいな言葉。本来は「考え」ほど論理的なものではなく、「心」ほど時間的に練られたものでもない。例:「今のお気持ちをどうぞ」。ちょっとした刺激ですぐ良くなったり悪くなったりするという、かなり不安定なものである。ただ「心」については、最近は気持ち「気持ち化」しているので、両者は似たように使われることも多い。この前、テレビでお笑い芸人たちが、有名歌手のパロディーで「やっぱ歌って気持ちだよね」「気持ちで唄おうぜ」などとキザなセリフで笑いを取っていた。これから先、あらゆる歌手から「気持ち」という言葉を聞くたび、私は彼らお笑い芸人を思い出すだろう。→心。

きゃっちこぴー【キャッチコピー】[名詞](補遺)
 和製英語の「catch copy」で、たった一言で人の心をキャッチするような宣伝文句のこと。人間は多くの場合、言葉で物を考えたり認識したりする。音楽といえども同じ事で、人は音の抑揚そのものではなく、それについて語られた短くよこしまな言葉で嗜好を誘導される。音楽関連では意外に少ないかも知れないが、私が一番書いて欲しくないキャッチコピーは「語呂合わせ」風のもの。例:「もらっチャイナ・キャンペーン」「たしかメディア」「民意ズム」「こんに千葉」...。コピーライターはうまく書いたつもりなのかも知れないが、「すみま千円」「さよオナラ」のような子供の言葉遊びと本質的に全く同じセンスである。

ぎゃら【ギャラ】[名詞]
 英語「ギャランティー guarantee 保証書」の誤訳が広まったもの。つまり、日本では契約の時に交わす書類ではなくその中身(「契約料」)を表し、さらに転じて「出演料」の意味で使われている。この誤訳一つ取ってみても、ミュージシャンに払うお金がいかにあやふやでいいかげんなモノかがわかるだろう。だが、何だかんだあっても、もらえる人はまだいい。私のような零細ミュージシャンの多くは、ボランティアまたは目立ちたがり屋だと思われていて、ギャラなんてたいそうなものは最初から念頭になく、機会さえ与えれば嬉々として演奏してくれるものだと、みんなが善意に解釈しているのだ。どんなサービスにも料金というものがあるのだが、そんな話を切り出しにくい雰囲気が、この不景気な社会には充満している。かくして、今日もほとんどタダ働きのミュージシャンたちが、誰からも保証されない綱渡り人生を送っている。

ぎゃるもじ【ギャル文字】[名詞]
 少し以前から使われていた、若い女性間でしか通用しない特殊文字だが、携帯メールなどでそれをJISコードの中で表現するようになった。とある有名な掲示板がこの成立に手を貸しているらしい。こういう醜悪な変態文字も「文化」であるなどと、若者の集団的行動なら何でも社会的に認知してしまういやらしい評論家が多い。まあ、特定の嗜好の人間にしか理解できないという意味では、ジャズメンの隠語と共通点がある。

きょうそう【競争】[名詞]
 一番を巡って争うこと。ただ競争と言う場合には「徒競走」を指すことが多い。しかし金や利権が絡んだ競争は、ただ前に向かって走っていればいいというクリーンなものではなく、醜いののしり合いや妨害工作、事によったら殺人まで含んだ泥仕合の様相を呈する。一方、音楽に限らず芸術というものの目的は、要するに心の美を追求することであり、決して同業他者をやりこめることではないため、芸術において「競争」という概念は意味がない。あるのは優れた文化へのあこがれや帰属意識、技術的精神的な向上心、そして個人の美意識だけのはずである。しかし残念ながら、栄光は勝ち得るものという「アメリカン・ドリーム」的な雰囲気が今の世界を支配している。現在の音楽業界も、各種の競争に明け暮れている。ヒットチャート、オーディション、コンテスト、メディア戦略、タイアップ、シェア争いなどなど。他者に負けてはいけないという人間の生存本能によって、音楽にも絵画にも道端のオブジェにもちっぽけな詩集にも鼻の形にも競争原理がもたらされる。芸術と同じく、本来は競争と無縁のはずの「宗教」が、実は古来より一番競争の激しい分野であった。幼稚園のお受験から死んだ後のお墓の立地条件まで、人間は一生かけてつまらない事で競走する生き物。芸術を世俗の競争の枠から解脱させる一番の方法、それは作っても人に見せないで金庫にしまって置くことである。→ヒットチャート。

きょうそくびでお【教則ビデオ】[名詞]
 教育用に制作されたビデオ。音楽の教則ビデオは、曲の弾き方が、実際に目で見て確認できるため、教則メディアとしてこれ以上のものはない。昔は輸入ビデオでも2万円近くしたが、今ではもっと安価になっている上に日本語版も増えているので、すっかりおなじみになった。私が今まで見た教則ビデオの中で、もっとも衝撃を受けたのは、プレストン・リード(アメリカのフィンガースタイル・ギタリスト)の「叩き系」ビデオ。彼は丁寧に教えているが、何度見ても真似する気が起きないくらいにすごいパフォーマンスである。開いた口がふさがらなかった、というかむしろ引いた。利用方法としては間違っているかも知れないが、このようにパフォーマンス・ビデオとして楽しまれている教則ビデオは意外に多い。

きょうそくぼん【教則本】[名詞]
 教科書。教本。普通に「教則本」と言えば、音楽の場合が多い。文部科学省の教科書検定には通っていない物がほとんどなので、偉そうな呼称の割には参考書扱い。ピアノではツェルニーやバイエルが、ギターの世界ではカルカッシやTABギタースクールが最も有名。昔の教則本は、各部名称、楽典、ドレミファから始まっていたので、実質的な練習のスタートまで少し時間がかかった上に、巻末に載っている曲を教わったテクニックで弾くのは大変だった。しかし現代の教則本は、楽譜が読めなくてもタブ譜でOK。CDが付属しているものも多く、難易度も様々で、テクニカルな練習はそこそこに、いきなり好きな曲の練習に入ることができる。ただ、何と言っても基礎はやっぱり重要。セーハができなければ禁じられた遊びは絶対に弾けないし、スケールが弾けなければアドリブは難しい。それ以前に、チューニングができない、弦の交換もできないというオジサンは意外に多い。やっぱり各部名称から入るべきかも知れない。

きょくめい【曲名】[名詞](補遺)
 曲の題名。タイトル。さて世界中の国の中で、おそらく日本が一番、使用文字の種類が豊富であることは誇っても良い。昨今の曲名表記においても例外ではなく、ひらがな、カタカナ、漢字、怪しげな英語やローマ字、そしてよくわからない不思議な記号まで、さすが言霊の国と言えるほどの煩雑さで、多くのご年輩の方々にとっては読む気も起きないほどの域に達している。アーティスト、特にグループ名も同様の煩雑さで表記されているため、一体どっちがグループ名でどっちが曲名なのかわからない、という現象も起きる。一昔前なら、英語の複数形または複数を表す言葉になっているのがグループ名で(例:ベンチャーズ、ビートルズ、ザ・バンド)、そうでないのが曲名という見分け方があったのだが、今ではグループ名は何と名詞でなくたっていいくらいなので、もはや見分けがつかない。最近の新たな曲名の見分け方としては、副題を表す波線/棒線が付いているか否かで判断する、と言うやり方がある。例:「あなたの愛 〜Your Love〜」。これならまず曲名に違いない。ややこしいことに、この波線の付いているグループ名もあるのだが。→タイトル、句読点。

きんぱつ【金髪】[名詞]
 金色の髪。→茶髪。

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