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【こ】

こい【恋】[名詞]
 現在では英語「love」の日本語訳のように見なされているが、そのうち特に男女間の恋愛感情のみを表している、日本独特の単語。元々「こ(恋/乞/請)う」という「願う」に近い意味の動詞があり、「恋」はその名詞形である。よって、「恋する」という言い方は本来の日本語ではない。男は男に恋をしないものだが、したとすればそれは恋愛感情ではなく変態感情である。変という字が恋にそっくりなのは、確かに意味深だ。英語には「恋」にきちんと対応する単独の語彙がないところをみると、日本において男女間の恋愛がとても恥ずかしく、愛情全般から特別に区別しなければいけないものだったことがわかる。愛の方が対象領域が広いため、しばしば「愛>恋」という等式が成り立つという話も聞く。しかし、恋は本来、愛の部分集合なだけで、どちらがどちらより大切という議論は意味を成さない。語呂合わせに「愛に恋(会いに来い)」などという愚にもつかないこしゃくな例があるが、もはや言うべき言葉もなくただ赤面するのみ。→愛。

こうくうがいしゃ【航空会社】[名詞]
 飛行機を運行している会社。例のテロの影響で、どの航空会社もセキュリティー・チェックには四苦八苦している。おかげで、以前に比べて手荷物検査には二倍三倍の時間が掛かるようになった。そんな空気を読めないわがままなミュージシャンは、ギターを機内に持ち込めないとわかると途端に不機嫌になり、しつこく性格の悪そうな愚痴をこぼす。こんなデカくて邪魔な物をほんのオマケで運んでもらおうというのに、ずいぶん居丈高だ。しかし、いかに彼のギターが高価だろうと、決して空港の職員に罪はない。たいていのミュージシャンの風貌が、極悪なテロリストを想起させるという理由で意地悪されているわけでもないのだ。ウソだと思うなら、ピアノを機内に持ち込んだピアニストが過去にいたかどうか、調べてみるといい。

こうしゅうは【高周波】[名詞](補遺)
 『大辞林 第二版』によると「一般に、周波数の高い振動や波動をいう」。高周波の中の特定部分は、体や精神の健康にいいものらしい。例:「モーツァルトの曲には高周波が多く含まれている」。類語:アルファ波。紫外線とか赤外線などとほぼ同次元で、音楽の誉め方としては最低ランク。周波数のレベルで誉められても、ほとんどの音楽家はうれしくない(ただし現代音楽家の一部には例外もいる)。そういう生理学的な癒しを求めているのなら、何も音楽など聴かずに、電気風呂とか超音波風呂にでも入る方が効果的だ。

こうてぃんぐげん【コーティング弦】[名詞](補遺)
 近年登場した、新しいタイプのスティール弦。金属製の弦に錆びないためのコーティング(薄い膜の覆い)を施したもの。動物の腸でできたガット弦に、防腐剤をまぶしてサランラップをするのとイメージが近い。出たての頃は音までコーティングされている印象が否めなかったが、最近はずいぶん改善されている。弦が劣化するスピードが遅いため、演奏頻度の多いプレイヤーにとっては非常にありがたいが、実はほとんど弾かない人にとってもかなり重宝するものである。弦を交換せずにギターを壁に飾っておいても、弦より先に糸巻きの方が錆びるくらいなのだから、そのコストパフォーマンスは計り知れない。

こーど【コード】[名詞]
 @英語の「cord」で、普通は電源コードや標準コードなど、電気の線を表す。
 A英語の「code」で、何かの番号や暗号を表す。
 B英語の「chord」で、和音のこと。例:「コードネーム」=和音記号。
 三つも意味があって紛らわしい、日本語使えよな...って言っても、すでにどの「コード」も市民権を得てしまった。例えば、Em のコードを「ホの短三和音」なんて言っても、普通の人はすぐには理解できないし、炭酸ジュースや単三乾電池の親戚みたいに感じることだろう。

こーらす【コーラス】[名詞]
 英語の「chorus」。
 @エフェクターの一つ。原音に時間とピッチを少しずらした音を加えることで、音の厚みを出すための音響機器。私自身は使わないが、多くのフィンガースタイル・ギタリストは、ある特定のメーカーのコーラスだけを使うという偏った傾向がある。理由はよくわからない。他の優秀なコーラス・メーカーにとっては不公平なので、私はとりあえずマルチベンダー制の導入をお勧めしておく。
 A合唱、合唱パート、または合唱する人を指す。コーラスとメインの歌手を主従関係にたとえるとしたら、最近は主従逆転の構図ができている。つまり、従者たちの方が主人より明らかに上手な場合が多いのだ。下手な歌をごまかすための心強い援軍。→ハモる。

こくせい【国政】[名詞]
 国の政治、政策のこと。これにちょっとした不満があると、投票に行かなかったり、税金や年金を滞納したりすることができるらしい。もちろん、選挙カーの騒音や厳しい取り立て、そして世間の白い目からは逃れられないだろうが。

ここ【ここ/此処】[代名詞](補遺)
 自分のいる場所を表す指示代名詞。例:「答えはここにある」。黙っていたら永久に風に舞っているはずの答えを、わざわざ苦労して探し出すのが面倒になり、考えられる限り自分から最も近い場所で済ませてしまいたい人の言い訳。探す努力を放棄した人が、ここで見つけたと宣言できる安易な答えなど、ろくなものではない。

ここう【孤高】[名詞]
 他者が追随できないほど高いレベルに至ること。例:「孤高の境地」。実際は、もう死期の近そうな不気味な平穏を備えた人、人間嫌いになってしまった出不精の人、または近寄るとかみ殺されるくらいに迫力のある人がそう呼ばれる。しかし、ある人が孤高であるといたずらに判断するのは、全ての衆生を救済する(つまり選民思想や能力主義とは正反対に位置する)大乗仏教的な人生観に反している。それは友達や良き理解者のいない辛い状態をも表す。孤高のアーティストにはお茶菓子くらい持っていってあげよう。人間というのは、一人にしておくと、たとえ聖人君子といえども何をしでかすかわからんから。→孤独。

こころ【心】[名詞]
 生き物、もしくは生き物と見なされたものに宿る精神。単独では特に情け深い精神を指すが、世の中には意外と淡泊だったり、または偏屈でわかりにくいものが多く、さらに全然これが宿らない人もいる。心の性質は寒暖、大小、強弱、善悪などの差が激しく、個体によっても状況によっても性別によっても、さらには相手の容姿や貧富の差によってもコロコロ変わる。このとらえどころのなさといい加減さは、ちょっとジャズに通じるものがある。心には本来、形がないので、他人が腹の中で何を考えていても、普通目には見えない。たまに血や涙のような体液と共に流れることもあるが、心の判定にとって体液ほど当てにならない証拠物件はない。よって、心には意図的にきちんと形を与えないとほとんど意味がない。つまり、例えば私の音楽に感動した者は、その感動を表現するのにあれこれ理屈をこねずにCDを買うことが私によって望まれている。ところで、「心を込めて演奏しなさい」と音楽の先生に注意された生徒さんは、顔の筋肉を操作して悲痛な表情を演出、体を左右に揺らし始めたりすることがある。なるほど、抑揚は確かにオーバーになる。しかし彼の心は、この窮地をどう切り抜けるかという恐れでいっぱい。いや、ひょっとしたらマンガのことでも考えているかも知れない。心が目に見えないからといって、では耳でどこまで聞こえるものかというと、実は結構怪しいのだ。

こころのきんせん【心の琴線】[名詞](補遺)
 心の敏感な部分。何と「コトセン」とは言わないらしい。心が動かされることを、琴を奏でる様にたとえて言う言葉。例:「心の琴線に触れる」。なぜ「心の琴線」までで一つの名詞と認定しなければいけないかというと、琴に張ってある糸は、普通の日本語では「絃」と言うからである。CD評などでこの言い回しを目にすることがよくあるが、私の心の琴に張ってある絃は、その都度だらんと緩まってチューニングが狂う。

こし【腰】[名詞]
 骨盤の部分、臀(でん)部のあたりなどを指す。実は、どこからどこまでが腰と厳密に定義するのは難しいので、「お尻」「ケツ」の上品な言い方と考えれば話が早い。腰は、運動体として見た場合の人間にとってかなめであり、様々な動作の土台になっている大事な部分なので、そこから転じて様々な言い回しを生み出す。しぶしぶ物事に着手することを「重い腰を上げる」と言い、本気になることを「本腰を入れる」と言い、謙虚なことを「腰が低い」と言う。話の重要な部分を「話の腰」と言うし、メンの歯ごたえのこともコシという。一方、楽器演奏者の多くは常に座っているため、腰を入れることに農夫やスポーツマンほどの意味はない。極端に言えば、腰が立たない状態でも名演奏は一応可能なのである。むしろ、ずっと同じ姿勢でいると腰痛を引き起こすため、演奏の際にはただのお荷物になることが多い。

こじんてき【個人的】[形容動詞](補遺)
 その人に特有の。ある個人だけについて言える「考え」「事情」などを指すときに用いられる。例:「個人的には賛成だが、会社の決定は動かせない」「個人的な理由で辞めました」。ちゃんとした資料が揃わないままで音楽の批評をする際にも、とても便利に使われる。例:「私は詳しくないが、個人的には好みである」。個人的になってしまった考えには、人があれこれと難癖を付けられないという意味において説得力がある。そこから転じて、誰かに何か失礼なことを言う際の免罪符としても多用される。例:「個人的には前の方が良かったと思う」「個人的には、あんなヤツ大嫌いだ」。相手に対する配慮、または批判に対する逆批判を、個人的な自分を強調することで回避しようとする人が、残念ながら多い。まあ、少なくともこの語を、自信のない言動に対する言い訳に使うのはやめておきたい。あらゆる人はみんな個人的なのだと心得よ。

こせい【個性】[名詞]
 個としての独自性のこと。それならではのもの。例:「個性的なキャラクターだね」。個性を持つことはもちろん大事だが、それは他人と全く共存できない要素を指すこともあるため、やたらとありすぎるのも困りもの。顔に個性がみなぎっている場合は、そのユニークな造形と一生だましだまし付き合っていかなければならない。個性は、しばしば「芸術性」と同じく、そうとしか誉めようがない時にもよく使われる言葉。批評家にこう言われても手放しでは喜べないし、誰にも似ていない人なんて実はいないのだ。

こどく【孤独】[名詞/形容動詞]
 ひとりぽっちで寂しいこと。友達や理解者が周りにいないこと。一匹狼を気取らざるを得ないこと。ちっとも声を掛けたり呼んだりしてもらえないこと。寂寥感にさいなまれること。宮澤賢治か誰かが書いているように、全ての人間は本来とても寂しいものである。孤独なのは一握りの人間だけではない。孤独は、全ての生き物が背負う「個」としての苦悩である。肉親や親戚、友達、先輩後輩、知人、恩師、お客様、仕事仲間、恋人、配偶者、息子や娘と絶えずしゃべりまくっていても、やかましいテレビを付けっぱなしにしても、長い人生のうちのほんのちょっとの時間、その孤独は紛れるだけなのだ。そんな寂しい人同士が寄り集まって繋がり、初めて人は寂しい気持ちから解放される。人は孤独になることを恐れるあまり、大した友情・愛情・利害の一致もなしに何となく群れることもあるが、これは危険な集団にもなり得るので要注意。大学生のコンパなんて、たいていはろくなモンじゃない。孤独は、ブルースを筆頭に、歌のテーマとしても盛んに用いられるが、最近の励まし系は孤独を避けるべきものとして、撲滅キャンペーンを繰り広げている。自分の孤独を不幸と決めつけ、そうならないように呼びかけるのではなく、正直に孤独を肯定して心の傷を見せてくれるような歌が昔はたくさんあった。今、そんな歌はもう流行らない。寂しいなあ。

ごどしょうこうぐん【5度症候群】[名詞]
 メロディーにやたらと5度の音程を使いたがる悪癖。私が名付けた仮称である。この亜種として3度症候群もある。→音程。

ことば【言葉】[名詞](補遺)
 『大辞林 第二版』の第一定義は「人の発する音声のまとまりで、その社会に認められた意味を持っているもの。感情や思想が、音声または文字によって表現されたもの。言語。」となっている。おお偉大なる言霊よ。この優れた定義では、歌も言葉という大きな範疇に内包される。現在は「節」の無いものを言葉や詞と称するが、その言葉にもアクセントや抑揚などの決まった「節回し」があり、意味のある音声という点で言葉と歌は共通している。「言葉で伝えられない想い」とよく言うが、でも本当によく心を尽くした言葉で伝わらないというのなら、歌でサクサク伝わる道理があるだろうか? 音楽家は、相当有名な人でも言葉の力を軽視する傾向があるが、特に作詞家は彼らのそういう態度を決して認めてはいけない。彼らの仕事は、「言葉にできない気持ち」をうまく言葉にすることであり、ラッパーみたいに韻や語呂合わせで隙間を埋めていくことではないのだ。

こぴーこんとろーるしーでぃー【コピーコントロールCD】[名詞]
 パソコンでの違法なコピーに業を煮やしたレコード会社が最近採用したCDの規格(CDSなど)。パソコンでの通常再生をできないようにしたCD。略称「CCCD」。レコード会社が最近採用したのだが、オーディオメーカーでは、正式なCD規格(レッドブック)には準拠していない「特殊ディスク」として扱われ、自社のCDプレイヤーでの動作保証をしていないという、もう何が何だかわからない状況になっている。つまり、パソコンだけでなく、ひょっとしたら普通のCDプレイヤーでもかからないことがあるかも知れないのだ。さらに決定的な難点として、通常のCDに比べると音質が劣るらしい。過去、アナログ(レコード)からデジタル(CD)への転換を無理やり大衆に押しつけておいて、その利用を都合の悪い部分だけ制限するなんて無茶な話、さらに売り物の音質を犠牲にするなんて本末転倒である。とまあ、こういう文句は誰にだっていろいろ書けるし、ネット上ではもっと辛辣な怪文書が飛び交っているのだが、私もミュージシャンの端くれ。コピー行為自体は困ったものであるという認識は持っている。よしわかった、こうしよう。そんなにコピーされるのが嫌なら、CD媒体ではなくコピーする機械の方を変えればよい。パソコンメーカーに資金援助して、SCMS(シリアル・コピー・マネジメント・システム、DATやMDなどで採用されている、デジタル・コピーは一度きりという方式)以上の制約をパソコンのCDRドライブに付加するように、何とか知恵を出してもらえばよいのだ。おっ、我ながらいい考えだ。人任せだし、中古パソコンの値段も上がるし、良いことづくめじゃないか。問題は、こんなセコイ規格を大した検討もせず採用してしまったケチな音楽業界が、パソコンメーカーに資金援助などしそうにないっていうことだ。

こぶし【こぶし】[名詞]
 @拳。げんこつ。
 A小節(こぶし)(「しょうせつ」ではない)。のどを震わせて出す、音程が微妙に上がり下がりする節回し。西洋で言えば「vibrato ヴィブラート」を指すが、東洋のコブシはさらに声の「裏返り」に特色がある。例:「コブシをきかせる」。どんなメロディーにも掛けることができるので、演歌歌手は童謡を唄う時にもついつい掛けてしまったりする。強いコブシは特に東洋音楽的なテクニックなので、合う音楽と合わない音楽がある。西洋音楽、特にクラシックとはイマイチ相性が悪い。コブシの出せないピアノのような不器用な楽器に、長年支配されてきた実態の現れであろうか。

これきいてください【これ聴いて下さい】[文]
 とあるプロ・アーティストのライブ終了後、腕に覚えのあるアマチュアが、自分の作ったCDなどを彼に渡して言う言葉。何とも微笑ましい光景である。CDだってタダではないのだから、その価値に見合う程度のやさしい言葉くらいは期待してしかるべきだが、その後必ずCDを聴いてもらえるわけではないらしい。残念なことだ。しかしプロ・アーティスト側には、別にCDを聴く時間が全くないわけではない。プレゼントされたCDをまともに聴いてあげるヒマもないほど忙しいプロなら、そもそもCDを渡せる距離まで近寄ることも難しいはずだ。だいたい予想はつくが、音楽家は、かなり有名な人でも一般的サラリーマンよりはヒマな人が多い。連絡先を書いておいたのに何の音沙汰もなければ、彼の好みに合わなかったと思ってあきらめるべし。

こんさーと【コンサート】[名詞]
 演奏会の上品な言い方。主にクラシック界でよく使われるが、場所の格式の高さ次第では、この語を「ライブ」の代わりに使うフォーク・ミュージシャンも多い。彼がこの素晴らしい言葉を使わなかった会場の担当者は、怒ってもいいと思う。→ライブ、ギグ。

こんにちは【今日は】[間投詞]
 @日中の挨拶。「ご機嫌よろしゅう」など、本来後に続く言葉を省略していると思われる。
 A一部のコンビニやファミレスなどの店舗、電話や路上の勧誘などで使われる、お客様への事務的な挨拶。棒読みだったり、何かただならぬ下心があるところが@と異なる。例:「いらっしゃいませ、コンニチワ」。これなら、まだ「おはよう」の方がマシだ。

こんぴばん【コンピ盤】[名詞]
 英語の「コンピレーション compilation 編集したもの」の略語+α。様々なアーティストの曲を一枚のCDに収めた企画もの。普通はオムニバス盤と言うが、コンピ盤の収録曲はだいたい既出のもの。ソロアルバムを買うほどではないアーティストたちの気になる一曲を、これでまとめて聴けるということで、最近人気のお得なアルバム形態。アルバム・アーティスト受難の時代を象徴する現象である。

こんぷ【コンプ】[名詞]
 @英語の「コンプリート complete 完全なものにする」の略語。主にコレクターが、ある収集品のシリーズを残らず集め尽くすことを言う。例:「カードをコンプしたぞ」。音楽であれば、あるアーティストのCDをコンプしたなどと言うこともあるが、その場合、最低でもそのアーティストは既に死んでいなければならない。たとえ死んだ後でもライブ盤や未発表音源などの新譜を出すアーティストがいるくらいだから、CDのコンプはかなり難しい。
 A英語の「コンプレッサー compressor 圧縮装置」の略語。一般社会で言えば工事現場のエア・コンプレッサーや車の部品などが有名だが、音楽業界で言えば音量レベルの幅を圧縮する装置を指す。リミッターもこの仲間。音を歪ませずに適正レベルにすることができるので、音の全体的レベルを上げたり、ダイナミック・レンジが抑制されたのっぺりした音を出すのに便利。デジタル時代に突入すると、アナログ時代より録音レベルが飛躍的に高くなり、多くのアコースティック音楽愛好者が、これでコンプとおさらばできると一瞬思ったものだが、実際は全く逆の結果になった。コンプがないと歪んで歪んでどうしようもなくなるくらい、みんながさらに大音量で演奏したがったのである。コンプには、びっしりと詰まったつぶれたような音によって、胸が詰まるほどの感動を呼び込む効果もある。しかしそれは感動というよりも、耳の呼吸困難による心の悲鳴と称した方が適切かも知れない。

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