【す】
すかす【すかす】[動詞]
気取る。斜に構える。これは、無音の放屁をするという意味から来ている言葉らしい。もちろん悪口である。例:「すかした奴らだ」。周知の通りロックやヴィジュアル系ミュージシャンには、すかした奴らが本当に、マジで、思わず笑ってしまうくらい多い。まさに掃いて捨てるほどいる。その神経質なこと、売れない小説家の如し。彼らと正面向き合って話そうとしても、たいがい一般人と会話がかみ合わないし(確かに何だかミステリアス、つまり不気味な雰囲気はあるかも知れない)、彼の視線は自然と斜め前方か真横に移動する。何だか不機嫌そうにうつむいている。ちなみに腹痛ではない。私が察するに、これは親の躾の問題というより、ある種の怯えが原因である。つまり彼らは、自分の人間としての経験不足や底の薄さを、話し相手に悟られてナメられるのが怖いのである。芸術家、音楽家、作家、業界人、どんな職業の人間だろうが、性格の悪い奴は嫌われるだけ。斜に構えるな。目を見て話せ。笑え。腹を割れ。恥をかけ。屁は堂々とこけ! 以上、人生講座でした。すきゃっと【スキャット】[名詞](補遺)
英語の「scat」で、『大辞林 第二版』によると「ジャズ-ボーカルで、「ルルル…」「ダバダバ…」など、意味のない音でメロディーを即興的に歌うこと」とある。ならば、モンゴルの喉歌は常にスキャット状態。スキャットは、歌詞を忘れたとあるボーカリストの苦肉の策が観客に受けたもの、という説もある。ただし「意味のない音」というのは若干の異論がある。言葉としての意味がないからといって、全くどんな音でもいいというものでもないのだ(実際は、ある程度決まった音型がある)。私はむしろ逆に、紡ぎ出された全ての音に何らかの意味があると考えなければ、音楽の研究は前進しないと考える。例えば我々は、サッチモのスキャットを一つの濁音も無しに認識することはできないし、TVCMで矢沢永吉がシャバダバであることを、どういう訳か苦もなく理解できる。すきゃんだる【スキャンダル】[名詞](補遺)
英語の「scandal 醜聞」。よくない噂。ワイドショーのテーマ。歴史上最も古くから存在する記事のジャンル。日本においては、ほとんどが不倫か汚職の噂を指す。特に芸能人と政治家には付き物。こういう話題がよく出てくるのは、どういう訳か特定の時期に集中していて、例えば新作アルバムの売り出し期間中とか、全国ツアーの直前とか、国会論戦中または選挙戦の最中などが挙げられる。音楽や弁論の素晴らしさ自体よりも、聞くに堪えない醜聞の方がより多くの人の心を動かすのかも知れない。すけーる【スケール】[名詞]
英語の「scale」。
@尺度。規模。物差し。
A音楽で言う音階のこと。スケール練習は、あらゆる旋律楽器演奏家の基礎練習である。ああ、バイエルのピアノ練習曲! あの無味乾燥で単調な旋律よ。私はあれを聞くたびに、小学生の頃、無理やり習わされたピアノをたった一週間でやめた記憶がよみがえり、音楽がその都度嫌いになる。両親には悪かったが、ピアノ練習を断念することが決まったときの、心に羽が生えたような喜びは、未だに忘れられないのである。独学で楽器をマスターした演奏家の中には、「俺はスケールを弾けないけど立派な演奏家だ」と胸を張る、ある意味でスケールの大きな人もいる。私もそうだ。えっへん。すてーじいしょう【ステージ衣装】[名詞]
ステージで着る服のこと。しかし、服さえ着ていればたとえ普段着でもステージ衣装かといえば、そうとは捉えない人も多く、狭義には「ステージ用に特別あしらえした服」のことを指す。音楽を聴く場所は、いつの間にやら人生における非常に特別な場所になってしまった。そんな異空間としてのステージでは、自らの無様な容姿、体型、そして年齢はあまり問題ではなく、コスチューム・プレイの如き変態を楽しむのがミュージシャンの本懐らしい。自らの音楽的包容力の無さを視覚的効果によって補完する、というだらしない目的も否定できない。ある人はヒラヒラの衣装を纏った王子様やお姫様になりきり、ある人はヤクザや不良の格好をして(多分、普段通りに近い)、ある人はえげつないかぶりものをし、ある人は親が泣くようなきわどいカッコをし、ある人はお気楽な南の島の住人になりきり、照明や舞台装置、PAの力も借りて演出する、もはや一種の人生劇場。視覚が聴覚より偉いこの時代、やはりルックスは音楽商売の鍵となる。ふと冷静になってよく見ると爆笑や失望を誘うようなヒドイ格好でも、ステージではなぜかかっこよく見える。これは、たとえは突飛だが「時代劇の倫理観」と相通じるものがある。時代劇のヒーローは、悪人を次々と一刀両断して拍手喝采を受けるが、普通の世界であればそんな行為は単なる人殺しだ。つまり、あくまで時代劇という娯楽世界の中でだけ通用する特別な倫理観というものがある(最近、アメリカの戦争倫理観が「素」で時代劇化しているように思えるのは、気のせいではない)。ステージにおける倫理観や羞恥心も然り。ラインダンスなんて、歩行者天国でやったらただのワイセツ行為だ。派手なおべべのミュージシャンが、彼らの世界でしか通用しない人間ではないと信じたい。なお、ラグタイム音楽の伝統的ステージ衣装は、マジシャンのような燕尾服かカジュアル、縦縞のYシャツ、腕につける輪っぱ、ストローハット(または山高帽)、ステッキ、葉巻、蝶ネクタイなど。このカッコは、黒人奴隷の時代に流行ったミンストレル・ショーまでさかのぼるらしく、恐ろしいまでの時代錯誤。アメリカ系大企業の会長職の服装か、でなければまさにコスプレの領域だ。「けっ、どうでもいいだろ、カッコなんて」。今の時代にそう言い切れる人は、もはやミュージシャンではないのかも知れない。すとらっぷ【ストラップ】[名詞]
英語の「strap 肩ひも」。ギターを立って弾く際、肩からギターをぶら下げるために付ける紐のこと。昔は貧乏な時代だったので、本当に荷縄を使って吊っていた人が多かった。それと区別する意味でストラップという英語を使ったのだろうか。エレキ・ギターはレス・ポールを筆頭に結構重たいギターが多いし、安いストラップは何だか堅いので、何十年も続けると鎖骨がずれてしまうのではないか。なお、ケータイにはケータイ用のストラップという、アクセサリー業界に活気を与えているヒモがあるが、あれホントに要るモノなんだろうか。手帳や財布や名刺入れにはヒモなんて付けないと思うのだが。すとらむすてぃっく【ストラムスティック】[名詞]
アメリカの新しい撥弦楽器で、英語の「strum stick かき鳴らす棒」。ほとんどネックでできている楽器で、その名の通り細長い棒のような形。申し訳程度にボディーがついている。マウンテン・ダルシマーと同じくフレットが音階順に打ってあるので、テキトーに押さえてめちゃくちゃにかき鳴らすだけでそれっぽく聞こえる。こういう、演奏にあまり熟練のいらない楽器は、最近の楽器業界のトレンドらしく、あのやかましいカズーの復権もそうだし、某メーカーが開発した短冊形ブズーキのような撥弦楽器も、弾くのが簡単なことを宣伝文句にしている。さらに別のメーカーが開発した電気ギターは、何と片手で弾けてしまったりする。これらの楽器がウケるのは、たかが楽器の演奏ごときで何年もかけて練習したくないという、一般大衆の忍耐力の無さも背景にありそうだ。すとりーと【ストリート】[名詞]
英語の「street」。
@街、街道のこと。
A一部の血気盛んな若者にとっては、迷惑または暴力行為が行われる場所を指す。例:「あいつ、今日がストリートデビューだ」。
B「street performance 街なかのパフォーマンス」つまり大道芸が行われる場所を指す。例:「あいつ、今日がストリートデビューだ」。もちろん音楽も大道芸の一種であるが、そういう認識のない人が知事をやっている自治体が多いため、なかなかオーディションしてもらえない。しかたないので、みんな勝手にデビューしてしまう。すとりーとみゅーじしゃん【ストリート・ミュージシャン】[名詞]
英語の「street musician 街なかのミュージシャン」。街で演奏して投げ銭をいただくミュージシャンである。つまり三文楽士。日本においては、資格の要らない(もしくは取れない)職業。ただし、職業でやっている人とアマチュアとを見分けるのは難しい。様々なジャンルのミュージシャンが、世間様の迷惑を顧みずしのぎを削っているが、一番多いのは残念ながらギターの弾き語り。ミュージシャンはみんな自意識が強いので、仲間とのささやかな交流の後、内心は「あんなヘタッピと一緒にするな」と思いながら演奏している。あいつのギターケースの中が気になる今日この頃だ。なお、ストリート・ミュージシャンは、なぜか外国人や女性が客に無条件で優遇される。日本男児である私はいかんともしがたい。投げるお金は、人種差別も男女差別も抜きにして、ぜひ公平にお願いしたい。すぺいん【スペイン】[固有名詞]
イベリア半島の大部分を占める、ヨーロッパの国名。首都はマドリード。今でも先進国では珍しい君主制を貫いている。闘牛とフラメンコとサッカーと世界中に散らばった旧植民地でおなじみ。ギターの祖先であるビウエラ、タルレガやセゴビアなどの歴史的ギタリストを生んだ、ギターの故郷としても有名。しかし、ギターがここまで世界的に普及したのは、この国の過去の植民地政策とも決して無縁ではない。もしイタリアがもう少しがんばって領土を広げていたら、マンドリンがギターの地位を奪っていたかも知れない。まあ、もう過ぎたことだ。昔はいろいろあったかも知れないが、ギターの特許料をどの国にもいっさい請求しないスペインに、私は日々感謝しながら弾いているのである。すぽんさー【スポンサー】[名詞]
英語の「sponsor 後援人」。スポンサーが個人の場合は「パトロン」ともいう。支援される側から見ると、より下品に「カモ」という場合もある。支援する側もそう思っているに違いない。昔の芸術家は、彼らの目に留まるために飛んだり跳ねたり回ったり、いろいろと涙ぐましい努力をした。それは本質的には現在も変わっていない。スポンサーを得たアーティストは、自由な活動のための資金源を確保したつもりだろうが、金が絡んだ支援関係は「ヒモ」が絡まった状態と同じなので、実際は活動に多くの制限ができる。こんな事はあえて書きたくないが、金は、自由な時間や心、時には貞操を売り渡して作るものなのかも知れない。すもーく【スモーク】[名詞]
英語の「smoke 煙」。ステージでは特に、効果用の煙を指す。スモークを背負うと、何だか急に大スターになった気分になるが、ミュージシャンをむやみに薫製にしても芸の味は変わらない。狭い飲み屋さんでのライブでは、雲海の如き天然のスモークがまばらな客席を彩る。この量の多さで、お客様が非常に退屈なさっていることがわかるのである。→タバコ。すらいどばー【スライドバー】[名詞]
英語の「slide bar 滑らせる・棒」。主にブルースやハワイアン・ギターのスライド奏法で利用する金属の棒を指す。昔は動物の骨やナイフなどが使われたらしい。スライド奏法には、ガラスやプラスチック製の中空管も使われ、もともとビンの首部分を切って用いたことからボトルネック(bottleneck ビンの首)と呼ばれる。実際、文字通りビンの首を使う人も多い。ここでは便宜上ひとまとめに解説する。一部の通は、スライドバーやボトルネックの材質にかなりこだわり、重たいだの軽いだの、カルピスだのバーボンだのと些末な議論をする。人生をこれに託す人までいる。信じられないくらい上手い人ももちろんいるが、単にスライド奏法を知らない人をビックリさせるための小道具として持ち歩く人が多いのは、ちょっと考えものだ。ちなみに、私は昔、コカコーラのビンに指を突っ込んで抜けなくなったことがあり、そのためか未だにボトルネックとは相性が悪い。