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【う】

うける【ウケる】[動詞]
 仕事を「受ける」とか、ボールを「受ける」とか、いろいろな意味を持つ動詞だが、カタカナにするとなぜか、人に受け入れられるとか、共感を得るとか、笑いが取れるというような意味で使われる。音楽の場合は、その芸術性に共感したり、よく理解してもらえたという意味よりは、刹那的な(失笑を含む)笑いが取れることを意味する場合が多い。だから、肝心の音楽演奏の方はサッパリでも、寄席より面白いトークを披露したり、チャップリン顔負けの軽業を決めたり、逆に決めるべき所で盛大な失敗をしたりすると、嵐のように大ウケだったりする。つまり、大衆音楽家に求められているものは、音楽の才能ではなくネタの面白さなのである。

うしなうものはなにもない【失うものは何もない】[慣用句](補遺)
 苦況に陥った人、かなりどん底にいる人が、開き直って何かに挑戦したり、事に打ち込むときによく使う慣用句。歌詞でもたまに聞かれるロマンチックなフレーズであるが、しかし(恐妻家を除き)所帯持ちには共感しづらい言葉。人間は、ないと困るものがあるからこそ死にものぐるいでがんばれるのだろうし、たいていの人間は、失っても別に構わないものならいっぱいあるのだ。

うた【歌/唄/詩】[名詞]
 肉声を発して詩や旋律を吟じること。動詞は「歌う/唄う/詠う」。もともとは純音楽というより、自分の言いたい言葉を抑揚に工夫を凝らして世に訴えたものだった。「節のある語り物」や「詩吟」などの口承文芸も、広い意味では歌の一種である。だから、歌にとって一番大事なのは抑揚やメロディーではなく、訴えの内容、つまり詩、歌詞である。しかるに、美しい詩情に満ちあふれていた日本の流行歌の歌詞は、今は軒並み腐れ切ってしまい、説得力がないし、内容がわからないし、早口すぎて聞き取れないし、抑揚が変だし、心に伝わらないし、だいたい伝えようともしていないし、あまっさえ日本語でもないし、言葉ですらなかったりする。たまに伝わったとしても、どこかで聞いた耳にタコができるような言葉だったり、異様に恥ずかしくて真顔では聞いていられなかったり、今日のご飯がうまかったことよりも意味のない戯言だったり、今挙げた項目の全てを兼ね備えていたりする。自分の言いたい言葉を世に訴える前に、そもそも自分が何を考えているのかすらわからない人が多い。こうして、昔なら審査員に没にされていたような薄っぺらい歌詞の歌が、今では世の中の趨勢となっている。また、歌のメロディーのアクセントやイントネーションが、歌詞に全く合わないのも大いに気になることだ。これは、実はすでに戦後の「リンゴの唄」にも見られる現象で、とても良い歌なのに、サビで「リンゴ」の「ン」という音にアクセントのピークが来てしまうことが、どうにも不思議に思える。現代のJ−POPには、それと比較するのも恥ずかしいようなひどい例がたくさんある。彼らの多くは、メロディーの自己主張が強すぎて、歌詞をわかりやすく伝えようとしていない。欧米の歌の影響で、フレーズの最後の音程が急に上がる流行歌も多いが、日本語は基本的に文の最後の音程が尻下がりになりやすい言葉で、そこでもミスマッチが起こる。つまり、歌のメロディーを歌詞に合わせるというのは、詩の醸し出す雰囲気の問題だけではなく、単純に文法的な問題でもあるのだ。歌詞についてそこまで考えている人は、不思議なことに驚くほど少ない。この類のミスマッチは主に作曲家の責任だが、作詞作曲が同一人物の場合は論外。何とかならないものだろうか。

うたうたい【歌唄い】[名詞]
 歌手のこと。改まって「歌手」とまで言うのが気恥ずかしいような、中途半端な存在をこう称する。ピアニストを「ピアノ弾き」と呼ぶが如し。

うたはよにつれよはうたにつれ【歌は世につれ、世は歌につれ】[文]
 流行歌はその時々の社会の雰囲気を反映し、逆に社会の方も流行歌の雰囲気を反映する、という非常に美しい格言。換言すれば、歌がつまらないと世の中もつまらなくなるから、歌手の社会的責任は重大である。しかし、仮に歌だけが急に面白くなっても、当面はつまらない世の中が続いていくだろう。

うたばんぐみ【歌番組】[名詞]
 流行歌手をゲストに迎え、歌ってもらうテレビ番組。レコード会社の宣伝媒体的な役割がうかがえる。それをきちんと意識しながら見るとなかなか面白い。歌詞に字幕が付いているのも大変ありがたい。しかし現在は、字幕を目で追っていてすらわかりにくい歌詞が多い。流行歌が嫌いな人は思わずチャンネルを変えたくなるのだが、そこを何とか我慢してがんばるのが、ものわかりのよい大人への第一歩である。昔はヒット・チャート形式で10位から1位の順に歌ってもらう番組が一時代を築いたが、現在はそれをやってもほとんど毎回同じ歌手しか登場できないので、形の上では順不同となっている。あくまで形の上だけれども。

うたひめ【歌姫】[名詞](補遺)
 →ディーバ。

うちこみ【打ち込み】[名詞]
 シーケンサー(自動演奏のための機械)に演奏情報を入力すること。昔で言えば、ピアノ・ロールのキーパンチにあたるが、今ではMIDIという規格が一般的。一心不乱にひたすら打ち込む人のことをマニピュレーターといい、そのたゆまぬ努力にも関わらず一般の音楽家とは区別される。

うら【裏】[名詞]
 @表の反対側。表や正面から見たときには見えない部分を指す。
 A悪い意味での比喩に使われる接頭語。うしろめたいとか、やましい気持ちとか、犯罪の匂いを彷彿とさせる。例:「裏ビデオ」「裏街道」「裏帳簿」。
 B裏話、または話における裏付けを表す。例:「裏を取る」。高度情報化社会の欠点は、裏を取らない無責任な発言に人が左右されてしまうことだ。表と裏があって、初めて話は正しく読みとれるのである。しかし、その裏情報にも全く裏のとれていない話が多いので、たいていの話は信用できない。
 C音楽で言えば裏拍のこと。西洋の近代大衆音楽は、黒人音楽ジャズの影響で裏拍リズムが台頭して久しいが、基本的にはあらゆる音楽の拍は正々堂々「表」だった。裏を取るのは、それがバカ正直な表拍によって生ずる弱拍の空白感を充足するからであり、またそれは黒人的なポリリズムやカウンター・リズムの最も単純な表現なのである。もっと躍動的で複雑な拍の取り方は、同じ黒人音楽を含めていくらでもある。裏を取らないといけないというビート強迫観念は、バカ正直な表と同じく、かえってリズムをつまらなくする。おじいさんやおばあさんの合いの手が表だからといって「やれやれ」などと苦笑するのは、ちょっと軽率だ。

うらごえ【裏声】[名詞]
 声帯の状態を変えて、地声では出せない甲高い声を出す特殊唱法。イタリア語で「ファルセット falsetto」といい、オペラでよく耳にする。昔の日本では、裏声は「女みたいな情けない声」として、男はあまりするものではないという風潮があった。しかし今の音楽業界では、できるだけ高い声が歌手に求められるため、男女とも裏声は大盛況。イマドキの流行歌には、地声で歌えないほど高いメロディーが頻繁に出てくる。そこまで高くする意味があるのかどうかはともかく、あっちこっちで声が裏がえっては戻る様を聴くにつれ、ある種の絶望感や厭世観を感じるのは私だけではあるまい。彼らがあの聞き苦しい裏声で歌うのを金輪際止めてくれるならば、この世界の居心地はぐっとよくなるだろう。

うるさい【うるさい】[形容詞/間投詞]
 @(音が大きすぎたり好みに合わなかったりして)迷惑である。気に入らない言葉を吐いた相手に対する罵倒の間投詞としても使われる。類語:やかましい。音が大きすぎて迷惑な音楽はいっぱいある。ほとんどのライブハウスは、お年寄りが入ると生命の危険を感じるほどの大音量を出す。しかし、どこまでが騒音かという感覚は人によってよほど異なるらしい。もの凄い音もまるでうるさく感じない人がいて、正常な聴覚を持つ人が彼をとがめると「ウルセーなあ!」と非難されたりする。これじゃ逆だ。うるさいと感じられた音楽は、鑑賞や評価の対象から外れるのだが、そうかといって迷惑にならない適正な音量の音楽は、その控えめなレベルに応じて低い評価に甘んじる。困ったものだが、何事も押しの強さは必要。いくら試聴してもらってもイマイチの評価しか得られないような音楽は、(耳や脳が元の健全な状態に戻らなくなるまで)デカイ音で聴かせることによって、ひょっとしたら人の記憶に残るかも知れない。
 A聴覚に限らず、例えば絵や文字や模様など、視覚的に込み入っていると感じられた場合にも、この語が使われることがある。例:「ちょっと背景がうるさいな」。つまり、「うるさいヤツだな」と言われたら、あなたの口ではなく実は顔の方がうるさかったのかも知れない。この場合、残念ながら静かにすることは一生できない。

うわき【浮気】[名詞]
 配偶者または本命がいるのに、別の異性にうつつを抜かすこと。ただし世の中は広く、たいした本命がいないのに次々と浮気をすることができるラテン系の人もいる。諸外国では歌のテーマとして古来から取り上げられてきたものだが、日本においては例外を除いて比較的近年に発達したジャンル。しかも少し前までは、歌の世界で浮気をするのは女と決まっていた。一途で従順な女性が尊ばれていた一方、尻の軽い男は自分の浮気を甲斐性と称していて、女が歌で糾弾するような異常事態ではなかったらしい。これでは男尊女卑と言われても仕方がない。今ではその反動か、もしくは実態に合ってきたのか、男の浮気が歌でも目立つようになってきた。どっちにしても、された方の悲しみは止まりそうにない。

うんめい【運命】[名詞]
 数奇ななりゆき。手があるらしく、扉を叩くこともある。世の中には、承伏できかねる残酷なものから、ちょっと一ひねりを加えた軽めのものまで、様々なレベルの運命がある。本来は、全てが起こってしまった後、回想で使う言葉なので、承伏するしないの問題ではない。運命(と思っているもの)に逆らうこともまた運命(と思っているもの)なのだ。男女にとっては、出会い、結婚、不義、別れ、再燃、本当の別れなど、何かの死やあきらめを表す。これを口説き文句に使おうとするのは止めた方がいい。ちなみに、若いソングライターは日本語が不得手なので、「デスティニー destiny」という英語をわざわざ使いたがる。こいつらとはどうも話が通じない。

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