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1.2006年10月25日(水) デヴィッドさん来日!
このツアーの責任者である私(浜田隆史)は、はやる気持ちを抑えて、飛行機で北海道から東京へ。
羽田空港で、慣れないケータイをちょこまかといじって、RagtimeCaveさんやラゲディ・アンさんと待ち合わせの時間を調整。
上野のホテルに荷物を預け、京成上野駅で皆さんと合流。
日本ラグタイムクラブ繋がりのこの面々は、今回の企画に全面的に関わってくれたスタッフなのでした。
ラゲディ・アンさんの娘さんまで一緒に、成田空港まで出迎えに行ったのでした。しかし、私は、この期に及んでまだ現実感がありません。
本当にあのデヴィッド・トーマス・ロバーツが来るのだろうか、何かの間違いではないだろうか。
自分で完璧に手配しておいてこの始末なので、他のみんなもおそらく同じ気持ちだったでしょう。
飛行機の到着時間を過ぎて、みんなでじっと待っていると、さてついにその人が登場。デヴィッド・トーマス・ロバーツさんです!
以前のCDジャケットから見ると意外に少しやせた印象でしたが、それでも巨体。
当たり前ですが、しゃべってます。動いてます。
本物だ!
私たちは感激しながら出会いを喜んだのです。
デヴィッドさんはとてもフランクな人で、気取ったところが全然なく、みんなすぐに打ち解けてしまいました。
私は何度も何度もこの光景を想像していましたが、いざ実際にその時が来ると、
企画者としての妙な責任感と、案の定、よく英語が聞き取れないという不安感と、
これからの予定を無事に終わらせなければいけないというプレッシャーで、泣くヒマもありません。だいたい、こんな歴史的な光景を、自分のカメラで全然収めなかった...!
いかに私が緊張していたか、どうぞお察し下さい。
(ラゲディ・アンさんの娘さん撮影、成田空港での写真。左からRagtimeCaveさん、浜田、デヴィッドさん、ラゲディ・アンさん。)初日の夜は、みんなでいきなりウナギの料亭へ。
(これがこれからの食費の標準になったらどうしよう?)などと貧乏くさいことも考える私でしたが、
憧れの作曲家との最初の食事は、本当に夢見心地でした。
デヴィッドさんは興味の対象がとても広く、いろんなものに関心を示します。
また、饒舌に語る人で、上野公園のホームレスを見て、アメリカでの同じ問題を語ってくれました。
さらに別の時に、移民問題、犯罪、国の政策の誤り、アメリカの負の側面を折に触れて熱っぽく語っていました。
デヴィッドさんはロマン主義の芸術家ですが、決して「夢想家」ではないことが、会った初日ですぐにわかったのです。
これから始まる、歴史的なツアーは、こうして幕を開けたのでした。