目 次
3月17日(月)出発
3月18日(火)〜19日(水)長野で「亀工房」新作CD録音の手伝い
3月20日(木)神奈川「アリエルダイナー」でのライブ
3月21日(金)国分寺「クラスタ」でのライブ
3月22日(土)千葉「喫茶アンダンテ」でのライブ
3月23日(日)大阪「ミューラシア」でのライブ
3月24日(月)滋賀「喫茶アルハンブラ」でのライブ
3月25日(火)お休み
3月26日(水)名古屋「源」でのライブ
3月27日(木)長野「ふぉの」でのライブ
3月28日(金)東京「バックインタウン」でのライブ
3月29日(土)栃木「ビッグ・アップル」でのライブ
3月30日(日)神奈川・海老名「シュガー」でのライブと、南澤くんの家
3月31日(月)南澤くんの家
4月1日(火)神奈川・葉山ムーンスタジオでの録音
4月2日(水)帰還
4月10日(木)〜11日(金)フェリー
4月12日(土)岡山市「楽器堂」でのライブ
4月13日(日)倉敷市「音楽舘」でのライブ
4月14日(月)〜17日(木)岡山のホテルで缶詰&移動日
4月18日(金)福岡・地元FMに出演
4月19日(土)北九州「フォークビレッジ」でのライブ
4月20日(日)福岡「ライブバーGENGEN」でのライブ
4月21日(月)福岡「ハートビート」でのライブ
4月22日(火)帰還
・2003年秋の本州ツアー NEW!!
10月30日(木)横浜・KING’S BAR(Alexei Rumiantsev のライブに飛び入り) NEW!!
10月31日(金)東京・中野教会(with 飯泉昌宏) NEW!!
11月1日(土)千葉 新柏・キッチンパタータ(with 北村昌陽)
11月2日(日)東京 国分寺・クラスタ(with 覆面シンガー)
11月3日(月)横浜・ヤマハ横浜店3階サロン(with Sketch)
11月4日(水)移動日
11月5日(水)長野 飯田・ふぉの(with 野田悟朗)
11月6日(木)名古屋・ ウエスト・ダーツ・クラブ
11月7日(金)奈良 大和高田・SCAR FACE
11月8日(土)大阪 摂津市・カフェテラス讃(with ROOTS)
11月9日(日)三重 津市・異時輪摩(with 野田悟朗)
この日記は、2002年の『投げ銭随筆2』後半のように、自分のライブ・ツアーを後から振り返り、懐かしくも過去の栄光(もしくは黄昏の日々?)を振り返るという目的で書かれるものである。
私は「日記」というものはつけない主義で、心の中に真実をしまっておきたいタイプの人間なのだが、自分のライブやツアーでお世話になった、多くの心優しい方々への感謝の気持ちを込めて、またパッとしないギタリストである私が、少しでも楽しかった思い出を留めておきたいという願望のため、ここにあえて自分のライブの感想などを記す。
2003年4月23日
浜田 隆史
本当のライブ日程は3月20日の登戸「アリエルダイナー」からなのだが、その前に、友人の前澤夫妻のダルシマー・ギター・デュオ「亀工房」の新作CD録音を手助けするために、3日ほど早く旅に出る。
当初はフェリーで小樽→新潟、バスで新潟→東京の経路を考えていたが、時間がもったいないので土壇場で飛行機をとる。この時期の旅客会社は「繁忙期」といって、通常より高い運賃が取られるのだが、金よりも心と時間の余裕を取ったというわけだ。午後に東京に着き、TABに寄ってCDなどの荷物を預けてから新宿へ。前澤君の地元・長野県の高遠(たかとう)行きの高速バスに乗り、夜遅くに高遠着。このバスは、高速はともかく、山の尾根をぐるぐると登っていく様がとてもダイナミックで、ひそかなバスマニアの私にとっては、とても面白かった。
2.3月18日(火)〜19日(水)長野で「亀工房」新作CD録音の手伝い。
前澤家にお世話になるのは、すでに通算3〜4回目。まわりが自然に囲まれた、素晴らしい環境に住む音楽一家である。4人のお子さんも健やかに育っていて、人間の成長というのはなんて早いんだろうと感じる。忙しい子育ての合間を縫うように、多くのライブ活動やメディア出演もこなす彼らのたくましさは、本当に脱帽もの。録音に立ち会うのは、前作CD(2001)以来のことだが、着実に実力をつけていて、音楽的にも進歩している彼らの新作が非常に楽しみである。
午前中に新宿行きのバスに乗ったのだが、ちょうどこの頃イラク戦争が始まったことを後で知り、ガックリする。ツアーの記念すべきスタートが、なんとも喜べない日になってしまった。
新宿からまたTABに寄ると、打田さんの奥さんの治子さんが、「(ツアーは)今日で何日目?」と言う。「実はまだ始まってないんですけど・・・」そう、今日がスタート。今から疲れてはいられない。新宿から小田急線で登戸まで行く。私は、会社員時代の最初の二年間は、最寄の向ヶ丘遊園の社員寮で暮らしていたので、とても懐かしかった。アリエルダイナーの話を持ちかけてくれた石井さんと、お店でしばし歓談。演奏前のレストランの雰囲気がとてもよく、食事は言うまでもなくおいしかった。「オーガニック・レストラン」ということで、健康に気を遣ったさまざまなこだわりが魅力的である。壁には北海道出身の画家・AKIKOさんの不思議に引力のある絵がずらっと飾ってあり、アート・スペースの印象も十分だった。
演奏の時間は、多くのお客様で大変盛り上がり、素敵な気分で演奏できた。今回のツアーでは、スタンダード・チューニングで作った昔の曲も演奏するという方針があったため、ギターのチューニングをいじらなければならない。しかし、今回は石井さんのご厚意で、よい音のエレアコをレギュラー・チューニング用として弾かせてもらうことができた。このようにギターが二台あれば理想なのだが、ツアーでは自分のCDを背負うだけで肩がつぶれそうなので、近場でないとなかなか実現しない。
その後、打田さんの家へ。例によってご厄介になる。今回打田十紀夫さんは、ライブの予定で関西方面に行っていたため、少し恐縮するも、治子さんと息子さんの正ちゃんに気を遣っていただきながら泊まった。いつもながら感謝である。
次の予定は、前回大いに盛り上がった、東京国分寺のクラスタ。私が十数年前、ラグタイムについていろいろ教わった恩人、クラシック・ギタリストの新間英雄さんとのジョイント・ライブである。私が生まれる前からギタリストとして生き抜いてきた本物の音楽家であり、日本のクラシック・ギタリストとして初めて本格的にラグタイムを取り入れた方である(近日、『過去の共演者ご紹介』に執筆予定)。
クラスタに出演するのは今回で二回目。マスターの田中さんはギターへの愛情が深い方。あの村治佳織さんのご来店が目標ということで、いつの日か実現して欲しいものである。いやいや、どうせならファンホ・ドミンゲス、イエラン・セルシェル、ジョン・ウイリアムス、今をときめくヨークも来て欲しいものです。
いらっしゃるお客様もギター音楽への興味津々というところで、私のようなソロ・ギタリストは演奏していてとても気持ちがよい。演奏の時間。私が最初に40分ほど、新間さんには自由に時間をお使いいただくようお願いしていたが、結果1時間以上の熱演となる。クラシックのレパートリーを中心に、年輪と風格を感じる演奏だった。その後半は、新間さんの息子さん、清澄さん(アコースティック・ギター)との親子デュオが実現。私は、父を数年前に亡くしていて、ギターもうまかった父と一度こんなデュオをやってみたかったなあ、と今でも悔いているので、思わずジーンときてしまった。とても暖かい、血の通った音楽であった。
新間さんの教室の生徒さんを含め、この日も超満員。私は最後も気合を入れて演奏した。
今回のツアーは、休息日が一日しかなく、ほとんど連戦状態。次は千葉県の西船橋に近い、北習志野の「喫茶アンダンテ」で、友人の一卓嗣くんとジョイント・ライブ。一くんとは長い付き合いだが、こうしたジョイント・ライブはほとんど初めて(オムニバス・ライブが一〜二度あった程度)だったので、とても新鮮だった。彼のギターにはずいぶん前から注目していて、会うたびに「CD出しなよ」「CD出しなよ」と勧め続けている。彼がCDを出すその日まで、私はずっとそう言い続けることだろう。
「アンダンテ」はホームページで知ったお店で、想像通りとても上品で魅力的だった。スタインウェイのピアノがあるのはダテではなく、クラシック・ピアノなどのコンサートも随時行われている。おいしい紅茶をたしなみながら、ギターソロを堪能できるこの日のお客様は幸せだったと思う。私も終演後にその紅茶をいただき、張り詰めていた気持ちが解きほぐされるような、贅沢なひと時を味わう。
その後、船橋の一くんの家へ立ち寄り、コインランドリーで洗濯しながら軽く飲みに行く。一くんは優れたギタリストだ。ただ、時おり2ちゃんねる用語を使うのはちょっと考えモノ。おながいだからヤメテ!さて、この日の夜遅くに、TABにまた戻ってみると、何やらただならぬ雰囲気。扉に大きなガムテープが。中に入ると、治子さんがふさぎこんでいて、その周りをTABの生徒さんたちが取り囲んでなだめている。「浜田クン、またまたビッグニュースよ」。聞けば、何とTABに、昨日の夜あたり空き巣が入ったのだという。さすがにこれには私もビックリ。入り口のドアをこじ開けて、中の金庫から現金と通帳や印鑑の類を盗っていったのである。ただ、口座はすぐにストップしてもらったおかげで最悪の事態は避けられ、不幸中の幸いだがそれ以外の被害はなかったらしい。しかし、よりによってTABに空き巣が入るとは、世の中も物騒になったものである。いやまったく、人事ではない。
治子さんもさすがにショックな様子だったが、私は次のバスの時間が迫っていたので、後ろ髪を惹かれる思いでTABを後にする。深夜、大阪行きの夜行バスに乗る。いつまで経ってもうだつのあがらない、貧乏学生のような気分であるが、華やかに見えるツアーの内情なんて、実際はこんなものなのである。
ほとんどまともに眠れないまま、高速バスで無事に大阪着。着いたのが朝の8時くらいだったので、時間を持て余す。夜行バスやフェリーを使うと困るのが、早く着きすぎてできてしまうムダな時間である。こんな時は、インターネット喫茶で仮眠したり、情報チェックしたりして過ごすのがいつものパターン。しかし、いつものこととはいえ、やってることはやっぱり学生と大差がないので、ちょっと落ちぶれた気分。この状況を楽しめるかどうかは、人間としての幅次第なのかも知れない。
この日は、レンタル・ホールの「ミューラシア」で、これまた古いつきあいのハープギター奏者・安田守彦さんとのジョイント・ライブ。安田さんは最近、永年勤められた会社を辞めて、プロのギタリストとしての道を歩み始めたばかり。そういう点では、私の人生も似たような放物線を描いているので、最大級のエールをお送りしたい。この日のライブは、そんな意味もあった。
「ミューラシア」さんは、昔鉄工所だったところを改造して作られたスペースで、まるで「千と千尋の神隠し」にでも出てきそうな、どこかしら奇妙に日本風な内装がとてもステキである。私のラグタイム・プレイより、安田さんの清涼な音世界によくマッチしていたと思う。安田さんのギターやハープ・ギターには、独自の美しさと、心からの安らぎを覚える。もっと注目されて欲しいギタリストである。自分のライブでは、昔の知り合いにもお越しいただき、ゆったりまったりと楽しんで演奏した。さて、ツアーの時はいつも気になるお泊まり。この日のお泊まりは、以前からライブを見に来てくれたりしてお世話になっていた mal and seal さんのお家にご厄介になった。夜分遅くに着いたこともあって大変恐縮したが、気持ちよくお世話になった。このご恩はいつかきっとお返しします。二人で行ったご近所の銭湯が、昔ながらのナイスなお店で、ふと、ふるさと・小樽の銭湯を思い出した。
次の予定は滋賀県南草津という、私にとって全く未知の土地。恥ずかしながら、私はまだまだ旅慣れていない人間で、どのくらい時間が掛かるものかも良くわかっていなかったから、ちょっと早めに出発したのだが、二泊する予定の大津市内のホテル近辺に、予想より早く着いてしまった。チェックインまで二時間くらい潰さなければならない。かくして、また無駄な時間との戦いが始まる。
そこで、せっかくだからうわさに聞いた琵琶湖の湖畔まで行く。高校生の時、修学旅行で見ていた気もするが、ほとんど初めて見たかのように感動。これは素晴らしい眺めである。しかし、運が悪いことに何だか雨が降り出したため、近くの「びわ湖ホール」の喫茶コーナーで一休み。重たい荷物とギターを抱えながらの旅だから、こういう息抜きは不可欠である。ついでにコーヒーを飲みながら「金勘定」(ここまで報告することも無かろうが、ツアーには必要なことである)。
やっとホテルのチェックインをすませると、また少し休んでからライブ会場へ。この日のお店は、「喫茶アルハンブラ」。マスターとのクラシック・ギター談義に花が咲く。私は、今回のツアーに持ってきたノートパソコンで、ハードディスク・レコーディングをやっているのだが、そのセッティングの際、USBケーブルをホテルに忘れてきたことに気が付いた(とことん忘れ物の多い私)。するとマスターが「じゃあ電気屋さんまでご案内します」と、わざわざ家電量販店まで連れていってくれた。ホントに気さくな良い方である。
この日は、このツアーでは珍しい完全ソロのライブ。そのせいだろうか、かなり気合いの入った演奏ができたと思う。クラシック・ギターの愛好者の集う店と聞いていたが、これからは色々なジャンルの音楽を伝えたいとのことで、私のようなポピュラー音楽(?)の演奏がその一助になったならば幸いである。実際、この日のお客様も、カントリー好きからフラメンコ、フィンガースタイル・ギター・ファンまで様々。ジャンルを問わない演奏、望むところである。終演後、地元の若者たちが、岸部眞明さんや押尾コータローくんのかなり難しそうな曲をかっこよく演奏してくれた。コピーとはいえ、まじめに練習していないとあそこまではできない、というくらい素晴らしかった。私も昔はジョン・レンボーンやレオ・コッケなど、好きなギタリストの曲を徹底的にコピーしたものである。とにかく、改めて若いギタリストたちの時代の台頭を強く感じた。
やっと中休みの日。大津のホテルに二連泊である。
私はこの本州ツアーで、「宿題」を二つ持ち込んでいた。まず一つは、別ページでご紹介している『アイヌ神謡集を読みとく』(片山龍峯著)という本の入力・校正作業。もう一つはとっくに締め切りが過ぎていたアイヌ語新聞『アイヌタイムズ第25号』の作成である。これらを、新たに購入したノートパソコンで行わなければならない。本当は録音のためではなく、この作業のためにパソコンを持ち歩いているのである。
『アイヌ神謡集を読みとく』の締め切りは5月なのだが、これから先の予定はツアーでかなり埋まっていて、暇なときにホテルに缶詰で作業を進めないと間に合わない。さらに『アイヌタイムズ』の方は緊急事態。待ったなしで至急作らないと私の信用問題になってくる。しかし、タイムズ編集会議が3月15日(土)で、ツアー開始が17日、予定のタイムズ発行日が20日というのは、どだい人間には無理なスケジュールだった。ツアー中にこんなことをするギタリストは珍しいと思われるかも知れないが、そんなことはない。あの打田十紀夫さんもそういう一人である。打田さんもよくツアー中に雑誌の仕事をやっていて、忙しそうだな、ご愁傷様、と思ったこともあったが、まさか自分がそういう立場になろうとは思わなかった。これでは遊び歩いたり、土地の名物を喰いあさったりという旅の魅力をなかなか味わえないわけだが、ここ一・二年にはこんな忙しかったことはなかったので、この状況は私にとってむしろ新鮮で楽しい。カッコつけるつもりはないが、本当に、自分の好きでやっていることだからこそ無理を通せるのだ。
旅の疲れを癒しながらの作業で、気分良く続けてきたつもりだったが、さてどういうわけか軽く頭が痛くなってくる。体が丈夫なだけが取り柄の私には珍しいことである。やはり疲れが溜まっていたのだろうか。私は、よっぽどひどい状態でないと病院にはかからない主義なので、大したことはない、と言い聞かせて休み休み過ごす。この時点では確かに大したことはなかったのだが、今思えばこの辺りから、後の一大事への伏線があったと考えられる。
この日は名古屋でのライブ。以前からお世話になってきた「West Darts Club」さんではなく、初めての場所「源」さんで、「ニコライとニコラス」とのジョイント・ライブ。インターネットで、名古屋駅近くに安いホテルを予約していたので、泊まりは余裕だった。さてお店に向かったのだが、「源」ホームページからプリントアウトした地図を見ながら行っているのに、どうにも場所がよくわからない。お店に電話を入れて、いろいろ考えて、ようやく場所がわかったのだが、ちょっと地図がわかりづらかったのは否めない(単に私に土地勘がないだけだったりして...)。
お店は、アットホームなギャラリー風のスペースで、音の響きがとてもよい感じ。今日は、バイオリンのニコラスさんがお仕事で来られないため、ニコライさん(川合ケンさん)が一人でやるとのこと。そのため、ウクレレ奏者である川合ケンさんのギターを生で初めて聴けることになった。これは別の意味で楽しみ。
川合さんは、とにかく素晴らしいパフォーマーだと思う。もちろんウクレレ演奏は言うまでもなく、心のこもった味のある歌、伴奏のギター、ユニークな選曲まで含めて、トータルな見せ場を心得ている人である。私は、共演のたびに勉強させてもらっている。
ライブでは、新しく用意された背の高いイスに座り、足台に足が届かないので低いイスを足台にして演奏。後で日本ラグタイムクラブの青木さんのホームページで写真を見たら、そのカッコがなんか跳び蹴りを喰らわしているみたいで大笑い。掲示板では「浜田さん、宙に浮いてますね」と言われた。このイスでクラシックギターの姿勢をとると、こういうことになる。
http://www.geocities.co.jp/MusicHall/6618/whatnew/hamadarepo.html打ち上げでは、川合さんが歌っていた中で私が特に気に入った「威張って歩け」という戦前歌謡の歌詞を教えてもらう。不景気な今の時代にはピッタリの歌であり、私もオリジナルが聞いてみたくなった。
次は、一週間ぶりに長野県へ。前澤くんのご紹介で、飯田の「ふぉの」というお店でのジョイント・ライブの予定が入っていた。長野県は、山あり谷ありの土地柄で、交通手段はJRさえあればどこにでも手軽に行けるという感じではない。飯田まで行くのに、名古屋から中津川まで電車の乗り継ぎ、そこから飯田まではバスという、ちょっと不便な経路で飯田入り。ただ、もう少し時間がかかると読んでいたのに、幸か不幸か各交通手段の連絡が良すぎて、飯田に着いた時間がまたも早すぎ。今度は三〜四時間くらい時間が余ってしまう。「早く着かなければいかん」という意識が強すぎるのだろうか、旅の要領が悪くてイヤになってしまう。こんな事なら、名古屋のインターネット喫茶にでも入っていれば...いやいや、もうネットは飽きました。
喫茶店などに入ってみたものの、どうにも時間を潰しきれず、さらに霧雨模様にもなっていたため、駅の休憩所で途方に暮れる。
考えた末、雨を避けるように15分ほど歩いて飯田の図書館へ行く。もうコーヒー代は使いたくないし、適当に時間をつぶせる店も思いつかない以上、公共施設におじゃまするのが一番得策だと思ったのだ。私は図書館通いはお手のものだから知っていたのだが、たいていの図書館には郷土資料室というものがあり、郷土資料を利用する人は普通の開架図書と区別された机を使うことができる(ここでは、ただ単に学校の宿題を持ち込んで勉強、というのはルール違反)。図書館が混んでいて一般用の机が空いていないときは、この手を使って座ることができるのである。
私は別に熱心な読書家ではないが、ちょうど良いことに郷土資料(特に地名関連)にはそこそこの興味がある。アイヌ語地名関連はさんざん調べまくってきたが、よく考えたら私は日本語地名のことを何も知らないといって良い。この際だから、色々勉強するのも悪くはない。もちろん旅の疲れを休めるという事もあったが、ちゃんとまじめに長野県の地名資料を揃えて勉強した。
しかし、郷土資料室に登山用のリュックやギターケース、さらに前澤くん用のお土産まで持ち込んだ私を、係の司書の方たちはどう思っただろうか! ツアーの最中にギター持ち込みで図書館に入って勉強したギタリストは、日本でも珍しいかも知れない。そうこうしている内に無駄な時間との戦いがやっと終了し、「ふぉの」の入りの時間になる。そこで前澤くんと再会。ふぉのは、過去そうそうたるアーティストたちが演奏してきた、歴史あるお店だった。何となく、雰囲気が私の地元・小樽のライブ居酒屋、一匹長屋とよく似ているので、親近感が湧く。
前澤勝典くんは、亀工房ではバッキングに回ることも多いのだが、もともと日本でも有数のパワー溢れるソロギタープレイヤーで、彼のソロ・ギターの魅力はぜひ注目して欲しい。ローデンタイプのSヤイリや、普通のギターより一回り大きな「バリトン・ギター」を駆使したレオ・コッケ風の快演には、思わず手に汗握ってしまう。ギターソロの新曲も音楽的にとても豊かな曲で、彼のギタースタイルはどんどん進化していると感じた。
私も負けてはいられない。今回のツアーで取り入れている新旧のオリジナル曲を織り交ぜたステージングで、好敵手を意識したという事もあり、良い演奏ができたと思う。彼とのジョイント・ライブは、いつも刺激になる。
帰りは前澤くんの車で、再び彼の家へ夜遅くに着く。
せっかく戻ってきた高遠だが、ゆっくりする間もなく午前中のバスで新宿へ。さらば前澤一家、また会う日まで。
今日の予定は、打田十紀夫さんとの新宿でのジョイント・ライブなのだが、その前に、みなさまのご支援のおかげで「アコースティック・ギター・ブック」のインタビューを受けさせていただくことになり、気もそぞろ。TABの事務所に寄ってから、早めにライブ会場のバックインタウンに行く。お店のあるビルの一室で、ライターやカメラマンの方に見守られながらインタビュー開始。私は話す機会を与えられたら結構あることないことしゃべるタイプだが、さすがにここでは内心言葉を選びながら、質問に答えていく。インタビューと撮影が終了してから、旅が続いてついついヒゲを剃るのを忘れていたことに気が付いた。何ともズボラな...。
私のような、マイナーなギタリストまで取り上げて下さるのは本当にありがたいことだが、これは正直言ってTABのご尽力あってのことだったとも思う。もっといろんな、私などよりも精力的にがんばっているのに光がなかなか当たらないギタリストたちの事も、これから少しずつでも取り上げていただければうれしい。私は、そういう優れたギタリストたちをたくさん知っている。このアコースティック・ギタリスト百花繚乱の日本で、いつも決まった人たちの事ばかりが紹介され続けるならば、それは奇妙なことだと私は思う。
さて、いよいよ打田さんとのライブ。お店はワインも楽しめるおしゃれなレストランで、結構広いのに定員オーバーのお客さんを前に、私は心ゆくまで自分の演奏を楽しんだ。弾いている私が引いてしまうくらい(?)、お客さんの盛り上がりがすごい。喜んでくれる人の前で演奏するのは、ミュージシャン冥利に尽きる。
打田さんのプレイには、いつも抜群の安定感があり、聴いていてとても心地よい。打田さんのMCでは、その前に「あまりに切実すぎて、ネタにできないかも」とか言っていた、例の空き巣被害の件もきっちりネタにしてしまい、大いに笑わせてくれた。打田さんの果てしないたくましさと、おおらかな人柄を感じてしまった。
最後の共演は、意外にも初めての打田さんとの二重奏で、とても気持ちよかった。打田さんには本当に感謝である。来たる4月の北海道でもこの勢いで行こう! という感じで、夢の一日が過ぎたのであった。
この日、色々お世話になった打田家に別れを告げて、栃木県宇都宮へと向かう。同じ関東とはいうものの、さすがに遠い。この期に及んで経費節約のため各駅停車。新幹線に乗ろうなんて全く考えていなかった。餃子の神様までいらっしゃるくらい餃子食文化の盛んな街であると聞いていたので、本当は早めに行って思う存分食べたかったのだが、各駅停車のおかげでどんどん時間がなくなってくる。タウンページで調べたホテルにチェックインして、コインランドリーで洗濯して乾かして...などとやっている内に、もう予定の時間が過ぎている。結局、ついに餃子を食べずに終わってしまった。これは、このツアーにおいて一番残念なことだったと言わざるを得ない。次回の楽しみに残したい。
会場は、地元のライブハウス「Big Apple」。ステージ前にお客さんが乱入しないための手すりがあり、まさに「ノってるかい?」という気分。こういうカッコイイ場所で、死ぬ前に一度でいいから女性にキャーキャー言われてみたいものだが...もう無理か。
冗談はさておき、共演は小川倫夫くん。私がプロデュースしたオムニバス盤『アコースティック・ギター/ソロ』(1997)からのつきあいだったが、ジョイント・ライブは意外にもこれが初めて。というか、小川くんのギター演奏を生で見たのもこれが初めてだった。小川くんのギター音楽は素晴らしい。現在、日本においてもっとも傑出したアコースティック・ギター奏者と言っても、決して言い過ぎではないと私は思う。センシティブな音遣い、意外性のある楽曲展開、トラッド音楽への敬意を踏まえた、骨太でしっかりした曲想など、もっと高い評価を受けるべき人である。
ゆったりできる楽屋では、四方山話で盛り上がる。二人ともブライアン・ウィルソンの大ファンであることがわかって、変なところでも意気投合。次の機会には、二人でビーチ・ボーイズの曲でもやってみたいものだ。私のギタースタイルは彼のとは全く異なるのだが、それもジョイント・ライブではバラエティーに富んだ良い構成になっていたと思う。スタッフの方たちの的確なサポートのおかげで、私も気分良く演奏できた。女性にキャーキャー言われるより、やっぱり渋めのお客様にじっくり聞いて楽しんでもらえるのがうれしいかも。
13.3月30日(日)神奈川「シュガー」でのライブと、南澤くんの家
長かったライブ・ツアーも、やっとここまで来た。有終の美を飾りたかったところなのだが、好事魔多し。
昨日の夜、ライブが終わってホテルに着いた頃、何だか体調が良くないことに気づく。疲れが溜まっていた上に、気が緩んでしまったためか、今までもうすうす感じていた頭痛が悪化。やせ我慢も効かなくなってきて、その夜はなかなか寝付けなかった。ぐっすり寝て朝起きたらウソのように気分がよくなっていた、というのがいつもの私のパターンなのだが、不幸にも今回は、朝の気分は最悪だった。食欲が全くなく、しかもよせばいいのにシャワーを浴びたりして熱っぽくなり、この時点でかなり重い風邪だと自覚した。しかし、たった一日我慢すればいいのだ、と自分に言い聞かせてホテルを出る。
悪いことに最後の予定は、宇都宮から遠く離れた神奈川県の海老名。よりによって関東平野をまるまる縦断しなければならない。水戸黄門の世直し旅なら一週間くらいは掛かるところだ。何で移動日も取らずにこんな無茶な予定を立てたのだろう、と過去の自分を恨みつつ、ここはさすがに節約がどうのと言っていられないので新幹線に乗る。新幹線で宇都宮→大宮、埼京線で大宮→新宿、そして小田急線で新宿→町田→海老名と、乗り換えが四回くらい、計4時間ほどの旅程。何ともない時ですらキツイのに、最悪の体調という条件がプラスされて、みるみるうちに風邪が悪化するのが自分でもよくわかった。首を動かすことすらままならないほど頭が痛いので、弁当が口に運びづらい。
やっと海老名駅に着いて、重たい荷物を引きずるようにタクシーに乗り込み、お店の地図を見せて「ここに行きたいんですが」と言うと、「近すぎるから歩いて行きなさい」とつれない返事。近いのは承知で乗ったのに! しかし、私も頭がバカになっているので、言われた通りにふらふらと歩く。そうして、最後のお店「シュガー」にたどり着くと、お店のイスに座ることができずにいきなり横になってしまう。恥ずかしい話、顔の表情すらなかなか変えられないくらい、真剣にグロッキー状態だった。まともな挨拶もできない状態の私を、初対面のお店のマスターはどう思われただろうか。今となっては申し訳ない気持ちで一杯である。
今日は、「三人の変態」というオムニバス・ライブの企画。その共演者(変態仲間?)の益田洋(Sketch)さんが私に続いて会場入り。私のことを親身にいろいろご心配いただき、ビタミンC入りのドリンクも飲ませていただく。お店の奥にある休憩所で休んでいる間、人の情けが身に染みて涙がポロリ。
続いて、多少遅れてAKIさん登場。もちろんAKIさんもこんな状態の私をいたわってくれたのだが、「これ、何にでも効くよ!」と言いながら、何だか怪しげな忍者の丸薬のようなものを取り出して、飲ませてもらう。これまた感謝で目頭が熱くなるものの、いかにも「伊賀のラン丸」AKIさんらしくて、ひそかに私は泣き笑い。
この二人がいなかったら、私はたぶん救急病院行きだった。
自分のソロライブでなかったのが、不幸中の幸いだったというべきか。ついにライブの時間。どんなにひどい風邪であっても、私は一応プロであるから、なるべくセキをしないようにして、横を向きながら一番最初に演奏。思えば過去にも、38度の熱をおしてライブをやったことがある。まさに熱のこもった演奏である。終わったらすぐに休憩所に直行、そのままダウンする。本当は Sketch さんやAKIさんのステージも当然見たかったのだが、体がまったく動かず、言うことを聞いてくれない。どうにもしかたないので、お二人のギターの音だけを夢見心地で聞く。
AKIさんのギター音楽は、いつも別世界というか、AKIさん独特の世界観を強く感じる。ひょっとしたらこのメンバーの中で一番ヘンタイかも知れない。最近は琴との共演にすでに定評があり、相変わらず精力的な勢いで活動している。
Sketch さんのビートルズ・アレンジを核としたチェット・アトキンス風の演奏は、実に楽しくて痛快だ。一頃はギターから距離を置いていた時期もあったらしいが、Sketch さんの昨年からの積極的な演奏活動への復帰は、ギター界にとって心からうれしいニュースである。最後は、三人での共演。Sketch さんと二人でリハーサルをやっていたとき、「Cでジャムろうか」と打ち合わせていたが、後から来たAKIさんが「Eでやろうよ」と言って、急遽Eのブルースに変更。即興バリバリのお二人に比べて、昔の私は即興プレイが苦手だったが、今では、キーと曲想さえ決まればかなりテキトーに弾くことができる(もちろんオタルナイ・チューニングで)。多分、ガチガチに一音ずつ決められた演奏を繰り返していた頃より、音楽に対する姿勢がいい意味でも悪い意味でもいいかげんになっているのかも知れない。
これで終わりのはずが、アンコールが止まない。お二人が、北海道から来た私に花を譲ってくれて、熱でもうろうとなりながら最後にソロで「クライマックス・ラグ」を演奏。これ以上は逆さに振っても鼻血も出ないほど、最後のエネルギーを使い切った。終演後、ライブを見に来てくれたあの南澤大介くんが、私の状態があまりにひどいのを察してくれて、「僕の家で休みませんか?」と言ってくれる。南澤くんの家は、ここからそれほど遠くないところにあるという。ここで彼と一緒に行かないと死んでしまいそうなほど辛かったので、ご厚意に甘える。持つべきものは友達、南澤くんも日頃の体調管理に気をつけていることは、彼のホームページの日記でもわかるのだが、一も二もなく病気の私を家に招いてくれたことに、私は無償の友情を感じてまた涙がポロリ。
お家では、昨年秋の音楽同人即売会M3で初めてお会いした、彼の奥さんにもいろいろ気を遣っていただき、本当に心から感謝である。
自分でもよくこんなに眠れるな、と感心するくらいグーグー寝ると、だいぶ気分がよくなる。南澤くんの案内で、近所の病院にもかからせてもらい、当時流行の兆しを見せていたSARSではないことがわかり、ほっと一安心。食欲も少しずつ出てきて、やっと普通の人間の顔になってくる。
普段の私なら遠慮しまくるところだが、ここは恐縮しつつもう一泊させていただき、そのおかげで何とかこのやっかいな風邪が快方に向かう。南澤くんがいなかったら、「浜田隆史、演奏旅行中に急死」の記事が北海道新聞の地方欄の片隅にでも載っていたかも知れない(?)。いくら感謝してもし足りない。
以前から、南澤くんの家に遊びに行きたいね、とメールなどでやりとりしていたが、まさかこんな形で初めての訪問が実現しようとは夢にも思っていなかった。次の機会があれば、元気なときに改めてご挨拶に行きたい。また、これから南澤くんが北海道旅行でもする際には、今度は私の家に連泊していただき、もう結構と言われても引き留めたいものだ。今回のツアーでは、連日で予定を入れまくった上に、前述のように宿題まで抱えていて、少し自分をいじめすぎた。病気になったのは不幸な偶然で、自分にはいかんともしがたい事だが、余裕のない心を改めることなら簡単にできる。これからは、時間に追われたり、財布の中身を気にしすぎたりして潰されないように、自分を適度に甘やかしながらツアーをやっていきたい。
大変お世話になった南澤くんの家に別れを告げて、今回のツアーの最後の目的を果たすため、病み上がりの状態でAKIさんの葉山ムーンスタジオへ向かう。これまた、以前からの念願だったAKIさんのスタジオでの録音が、ついに実現することになる。
しかし、葉山という場所は結構遠い。地理に疎い私なので、なおさらそう感じた。南澤くんの最寄り駅→横浜→厨子という経路だが、乗り換えもあり、待ち時間もあってなかなか進まない。やっと着いた厨子駅で、待ち合わせしていたAKIさんと合流。浜:「AKIさんのスタジオ、ここからどのくらい行くんですか?」
A:「うん、バスで30分くらい。」
ひえ〜、ビックリ。まだそんなにあるの、という感じだったが、乗って窓の景色を眺めてみると、これがまた風光明媚な街で、ちっとも退屈しない。聞くと、天皇陛下の別荘があるという。その緑豊かで歴史ある町並み、そしていかにもおしゃれな避暑地を思わせるトロピカルな海岸線を楽しみながら、いつの間にかスタジオ最寄りのバス停に着いてしまう。絵に描いたような砂浜とシーサイド・タウン。有名芸能人の別荘。恋人たちがアロハシャツを着て散策。これがうわさの湘南だ!(イメージで適当に言っているのだが、合ってるかな?)
海岸づたいに歩き、嫌でも目に入る巨大なマンションに入って、ついに葉山ムーンスタジオ到着。そして、二台のPCワークステーションと幾多の音響機材を自在に操り、さっそうと作業を進めるAKIさん。これが、あの忍者の薬をくれたAKIさんと同一人物なのだろうか? 「ロックと和の融合」さながらに、つくづく不思議な人である。ピーター・フィンガー直伝の録音技術は、AKIさん独特のカラーをも感じさせる、ここでしか生まれない整った質感と生の迫力を感じさせる録音となった。やはりここに来て本当に良かった。私は、ノーミス演奏が出るまで少し手こずったが「ラグタイム・ホーボー」と「ピカタ」を録音。前者はあのオムニバス盤「アコースティック・ブレス」シリーズ4作目に参加予定の曲で、1996年に作ったギターソロ曲。以前からかなり気に入っているのに、チューニングがスタンダードに近いのが災いして、今まで発表機会がなかった(最近になるまで、スタンダード・チューニングに一種の拒絶反応があったので...)。
後者は別に録る予定でもなかったが、AKIさんの勧めでMP3サイトに登録するための曲だった。そういえば、このホームページからもリンクを貼らなければ(すでに1ヶ月以上も忘れていた...)。ともかく、この有意義な録音を無事に終えて、全ての日程が終了した。
戻ってきた東京は、あいにくの雨。本当は、今まで時間がなくて回れなかった、お茶の水界隈の楽器屋さん・レコード屋さん巡りをしたかったのだが(もはや定番)、少ししか回れなかった。といっても、やっぱりお茶の水に足が伸びてしまうのはいかんともしがたい。東京に行くときは、いつもお茶の水を基準に行程を考えている自分に気が付く。
しかし、この雨は、「せっかくツアーで稼いだお金を無駄遣いしちゃいかん」という、神様の思し召しだろうと思い、早々に羽田空港へ。一便早くしてもらい、機上の人となる。無事に懐かしの北海道に着くと、いつの間にか、あの重苦しい雪がなくなっていた。この季節の変わり目、約半月もかけて旅行していたわけだが、いろんな経験をして、たくさんの人からのご厚意を受けて、何とか無事に(風邪をひいた時点で、すでに無事ではなかったわけだが)ツアーを終えることができた。お世話になった皆さん、そしてライブを見に来ていただいた皆さんに、心からの感謝を伝えたい。
なお、次の本州ツアーは、今秋の予定です。
久しぶりのフェリー。朝10時発、翌日晩の5時着だったかな。
時間がないか、あるいはもったいないという理由から、昔はよく利用していたフェリーに乗る機会が少なくなってしまい、ここ数年間は全く乗っていなかった。私は「フェリー」という歌があるくらい、この乗り物を愛している。時間がないという意味では、アイヌ語関連本の締め切りを抱えている現状なのでいつも以上なのだが、小樽→舞鶴→岡山という経路はなかなか自然なので、ここは経費削減の意味でも譲れなかった。フェリーの浴場、レストラン、映画館(といってもビデオをプロジェクター上映するというもので、船によっては無いことも)、そして甲板から見える大海原。船こそ旅の醍醐味、そして贅沢というもの。結局今年は、春秋のツアーを通してこの一回しかフェリーに乗らなかったのだが、これからも機会があれば利用したい。
舞鶴に着いても貧乏旅行は続く。福知山まで鈍行、乗り換えて和田山まで鈍行、乗り換えて寺前まで鈍行、また乗り換えて鈍行、やっと姫路に着いたときにはすでに夜遅くであった。鈍行おそるべし。計算では何とかギリギリで岡山に着ける時間だが、もともとそのつもりはなく、姫路のカプセルホテルで一泊した。前回のツアーでは時間と体力のことを度外視して失敗したので、少し余裕を見たのである。
姫路からまたも鈍行で岡山まで。小樽から姫路までの総旅費(カプセルホテル代含む)は、なんと1万2000円ほど。飛行機なら定価で4万円近くはかかる所なので、大幅なコストダウンである。ツアーの宿命として、経費節減は必ずしなければならないのだが、ここまで安くあがったのは人に自慢できそうだ。足かけ三日ですけど。
なるべくゆっくり行っても開演前の時間というのは余るもので、空き時間には例によってネットカフェで時間を潰す。岡山にはコーヒー代だけで自由にアクセスできるカフェがあった。さすが情報インフラの充実した町だ。さて、岡山ではいつもお世話になっているOldtime Picking Garageさんとしばし歓談。みなさんお変わりなくて何よりです。ここに長い時間いると、ギターを衝動買いしそうなのでヤバイ。その後、お車で会場に向かい、今日共演する昌己μさんご家族とお食事。楽器堂での演奏は、うれしい驚きだった。昌己μさんのギターのすごさは既知だったのだが、初めて奥さんとのデュオ「masaki & kazuko」を聴いたのである。奥さんのよく伸びる表現力豊かな声と、昌己さんのギターの伴奏が絶妙。別の友人である亀工房もそうだが、息がピッタリの夫婦デュオのよさを再認識した。私もこの日はよい演奏ができた。
明日は倉敷・音楽舘でのライブ。この日の調子で、気合いを入れて望みたい。
例の「アイヌ語関連本」はまだ校正作業が続いていた。この作業の為だけに、私は前日から5日連続でホテルを取り、ライブのないときは缶詰状態で作業をしなければならなかった。この日のライブが終われば、あとはアイヌ語に集中せざるを得ない。
さて前回の「音楽舘」でのライブは、お店に申し訳ないほどお客さんを呼べなかったので、この日のライブはいわば「リベンジ」なのであった。といっても、私はお客様の数で人気を計ることにむなしさを感じているし、この日に特別にお客様が入るという算段もなかった。ああしかし、昌己μさんが共演も含めていろいろサポートしてくれたにも関わらず、この日も正直言って前回と同じくらいの入りで、今回もリベンジはかなわなかった。それでも私はプロで、間違ったことは何もしていない。堂々としていればよい。マスターの八木たかしさんはフォークシンガーでもあり、ミュージシャンの立場からやさしい言葉を掛けてくれたのが心の救いだった。「お店に迷惑を掛ける」という発想を棄てて、私は自分の低い知名度を少しでもアップさせて、宣伝も含めてお店と共によいライブにするための努力を続けていきたい。
音楽舘は、今まで私がやったライブハウスの中でも、設備的にも雰囲気的にも最高の店である。演奏もしやすく、ライブテイクも完璧に近いものがいくつも録れた。昌己さんの演奏もすばらしかった。あとは、こんな素晴らしいライブ(自画自賛?)を何かの事情で見に来られなかった方たちに、粘り強くアピールしていくことだ。今回もお世話になった昌己さんと再会の約束を交わし、私は気持ちを切り替えてホテルに向かう。
アイヌ語モード全開である。
4.4月14日(月)〜17日(木)岡山のホテルで缶詰&移動日。
ここから、音楽家としてではなく、アイヌ語研究家としての私の生活が始まったわけだが、このページをご覧の皆さんと趣向が合わない恐れもあるため、作業の詳細を書いても仕方がない。校正と言っても、くる日もくる日もアイヌ語をチェックしながらの解説文や逐語訳の入力作業。いくら時間があっても足りないくらいだった。この期間をみっちりその時間に当てて、努力した結果、何とか大きな進展を得る。ここまで来れば、もはやどちらが本業と言えるのか...。
そんな中、息抜きにホテルを出てご飯を食べに行ったり、散歩をしたりという、なかなか優雅な時も過ごした。岡山はすでに二回目で、歩き方にも少しは馴れてきたところだ。こういう息抜きは大事。特にミスをしてはいけない作業ではなおさらだ。街なかを流れる小さな川のほとりで、買ったばかりの『悪魔の辞典』という本を数日掛けて一気読み。息抜きのレベルを超えていたかも。時間に追われているんだかあり余っているのか、だんだんわからなくなってくる。岡山での最終日は、夜行バス出発まで時間があったので、Oldtime Picking Garage でいつもお世話になっている Kazu Boss さんのご厚意で、「倉敷美観地区」なる観光名所に連れていってもらう。江戸時代にタイムスリップしたかのような古式豊かな町並み。私はここで、何とアンプもないのにストリート演奏までやってしまう。今まで、ツアー中にストリートをやる機会はそれほど無かったのだが、こんな素敵な場所でギターが弾けるなんて、投げ銭の有無に関わりなく感動的だった。一人だけ、すごく熱心に聴いてくれた人がいた。こういう交流はストリートならではである。こうして私は岡山に6日間もいたわけだが、本当に仕事抜きでゆっくりしたい街で、気候も穏やか。「晴れの国おかやま」というキャッチフレーズは、なるほど名句である。
最後は、私のツアーではもはやおなじみである夜行バス(岡山→福岡という路線)。ホテル代がかさんでいるので、一も二もなくサクッと決まってしまった。北海道の人間は、大阪以西の地理についてあまり詳しくないのが一般的で、私も距離感がよくわからなかったのだが、よく見るとこの都市間には相当な距離がある。寝ながら行くのはいいセンだった。
ついに福岡(博多)到着。
朝早く、しかも深夜バス明けでさすがに眠い。駅の広さは九州屈指の大都市ならでは。ここだけの話、ホームレスの人がやたらに多くて、洗面所で洗濯したりしていた。私は余った時間を喫茶店でつぶし、やっと今回お世話になる城直樹くんと再会。実は北海道でも彼には会ったことがあるのだが、共演は今回が初めてとなる。彼は、パーカッシブなニューエイジ系ギターを弾く新進気鋭のギタリストだが、まだ大学院生。しかし何とかスケジュールの都合をつけてくれて、レンタカーまで用意してくれた。改めて、彼には本当に感謝したい。城くんの案内で、福岡名物のとんこつしょうゆラーメンにはまったり、二つの地元FM局におじゃましてライブの宣伝をしたりする。彼のオリジナル曲(当時は題名なし)での共演が心地よく、次のライブでもやろうという話になる。さらに噂の福岡ドームも見物し、地域に完全に密着した文化施設をうらやましくも思った。まるで恋人同士のように(おいおい...)二人で海岸を散歩したり、彼の行きつけのお店で呑んだりと、とても楽しい時を過ごした。
夜遅く、やっと彼のアパートにおじゃまする。音作りにもこだわる彼の機材が所狭しと散乱している。今日はいろんな事があったが、実は深夜バスということもあり結構眠かったので、あっさりとグーグー寝てしまう。明日からのライブシリーズを楽しみにしながら。
二人で北九州まで電車で移動。博多と北九州・小倉までは、近いようでかなりの距離がある。ツアーをするときは、バッティング(会場が近すぎて想定した客が分散すること)を考えなくてもいいなと思った。あいにくと小雨模様だったが、この日のライブは特に楽しみにしていた。
フォークビレッジにおじゃまするのは今回が二度目だが、前回が3年前で、お店がまだ古いときだった。しかもその時のライブは、お店の引っ越し前の最後のライブだったらしい。私にとっても感慨深かった記憶がある。新しいお店で、あの時のご恩返しをするような気持ちなのである。初めておじゃまする「新フォークビレッジ」は、より専業ライブハウスとしての設備と貫禄を備えていて、マスターの小野さんの音楽を愛する気持ちが端々に表れていた。これからもお世話になりたいと心から思う。
オープニングのクラシック・ギタリスト、若菜潤一郎さんの演奏にしばし聴き惚れた。私が昔よく聴いていたアルベニスのアストリアスとか、タルレガのタンゴとか、スペイン・南米風の選曲も私の好みにヒットした。そんなクラシックの若菜さんが何とAGストンプを使うのを見て、時代はやはりピックアップなのかと感じた。
私は自分から希望して城くんの前にやらせていただき、自分にできる限りのラグタイムをやる。「フォーク」つながりで歌まで披露する。出演順を変えてもらったのは私の茶目っ気でもあり、クラシック→ラグタイム→新世代ギターという時系列を演出したかったというのもあるし、初お目見えの城くんに花を持たせたかったということもあった。城くんは、リハーサルでえらく時間が掛かった分、本番では素晴らしいパフォーマンスを見せてくれた。珍しく唄った歌もいい。今は、若いのにすごいギターを弾く人がいっぱいいるが、彼の音楽や音作りに対する真摯な取り組みと、リズミックかつハードなギターの響きを感じるにつけ、その中でも一歩飛び抜けたものを感じる。若さだけではなく本当の意味で実力のある人だ。盛りだくさんのライブで時間が無くなってきたため、城くんとの共演曲は次回にお預けとなったが、これだけが唯一の心残りだった。
ライブ終了の余韻にもっと浸っていたかったが、残念ながら時間がないので足早にフォークビレッジを後にする。かなりひどい雨で、駅までたどり着くのにも一苦労。城くんと二人で駅までダッシュというのも、今考えると微笑ましい。何とか間に合い、長い時間かけて彼の家に着いたときには夜中の1時頃だった。
7.4月20日(日)福岡「ライブバーGENGEN」でのライブ。
次のライブは、福岡・博多でのメイン・イベント。「GENGEN」さんは、入った途端に馴染めてしまうような、イカした雰囲気のバーであった。ハコは長めの形で、奥の方にステージがある。ギターをかたどったテーブルや、舶来のギターアンプ風電話機、さらにこだわりのBGMなど、マスターの音楽への愛情溢れる店作りが素敵である。私はナッシュビルの人なつっこそうなカントリー・バーを思い出した。城くんの宣伝努力のおかげで、開演前にはすでに満員御礼となった。私はお店からあぶれて、外で見ていたくらいである。
今日は最初に城くんが演奏。昨日リハーサルが長引いた原因だったマシントラブルを今日に引きずらないところが、さすが音作りにセンシティブな彼のなせる技である。前の日よりも安定していて、さらにすばらしい演奏だった。次に私が演奏、という頃になってステージに座ると、意外にご年輩の方もいらっしゃることに気付く。では、という事でもないが少し曲目をいじって、典型的なラグタイムの明るい曲、有名な曲を交えてメリハリをつける。城くんのニュー・スタイルと私のオールド・スタイルはあまりにも違うのだが、それが好対照を生んでいたと思う。
城くんとのラグタイム風の共演曲、演奏のデキはこの日が一番良かったと思う。しかし残念ながら、スペースの関係で録音機材を使うことができず、この日の録音だけが残っていないのである。残念。ライブ録音というのは、得てしてそんなモノかも知れない。
この日の余韻が余りにも心地よくて、撤収がついつい遅くなってしまい、城くんの友人に送っていただく。改めて感謝したい。ところが、城くんの家に着くと、「浜田さん、どうぞ先にお休み下さい。ボクは、これからちょっと友達と飲みに行ってきます!」と、また出かけてしまう。ひえ〜、もう夜の1時過ぎなんだけど。彼の若さがうらやましい、と思いつつ、お言葉に甘えて熟睡する。
九州での最後のライブは、とても立派な専業ライブハウス。アコースティックと言うよりは、まさにロックを大音響でやるための設備が整っている。今回は私達だけでなく、他のギターバンドとの対バン形式である。もともとこういう対バン形式ライブはプレイヤーに経済的リスクがあり、満員にでもならない限りペイしにくいものなのだが、いろいろ準備をしてくれた城くんには改めて感謝したい。
今回は、また私が最初に演奏する。前が見えないほど明るいステージライトが当たる、一段高いステージでやる機会はあまりないので、一種の学芸会的な気分に浸りながらの演奏。何かロック・スターになったような気分。座ってギターを弾くのはかなり野暮に感じたが、何とかマイペースでやっていると、後ろの方から何とモクモクとスモークまで立ち上ってくる。ス、スゴイ。裏方さんの、ステージをもり立てるプロの技を感じたが、今だから言うと、イマイチ地味なスタイルの私には全然似合わないみたいで、弾いている最中に思わず笑いがこみ上げてきてしまった。実はオプションでのビデオ撮影もしていただいたので、このときのビデオは珍品中の珍品になりそうである。
城くんは立って弾く、ロック・ギタリストのスタイルなので、文句無くライブハウス映えするかっこよさ。というか、例えば身動きのできない小さな飲み屋さんでやるよりもツボにはまっている。ワイヤレスでコードから解放され、客席まで所狭しと歩き回るパフォーマンスは、谷本光君がやっていたのを何度か見ていたが、彼も城くんのこういうバイタリティーの影響を受けているようだ。
二人で最後に例の曲を共演。まだタイトルが決まっていないらしい。曲のタイトルは早めに決めた方がいいよ、城くん。いつまでも名無しじゃかわいそうだ。トリをつとめたギターバンドは、お名前を失念したがベテランのギタリストを中心とした完成度の高い音楽を聴かせてくれた。おそらくプロだろう、サンタナにも通じる曲や演奏がすばらしい。さすがにバンドは大音響で、耳が反対側に曲がってしまうくらいの音圧だったが、私にとって新たな刺激になった。こういう未知の体験は、対バン形式の良いところだと思う。
今までの長いツアーに、さすがに疲れが溜まっていて、急遽前々日に、城くんの友人経由で航空チケットを購入。本当は行きと同じく帰りもケチケチ作戦で行くつもりだったのだが、前のツアーで勉強した通り、無理は禁物。長い期間お世話になった城くんに別れを告げ、福岡空港へ。岡山まで足かけ三日掛かったのに、飛行機なら九州からでも飛んで帰れる(当たり前か)。よく考えたら、国内では今までで最長となる航空路線だったが、ほとんどその時間を意識することなく千歳空港に着いてしまう。
今回のツアーは、初の九州ツアーを含めた意欲的なものだった。昌己さんや城くんといった共演者との繋がりのおかげで、何とか無事に務めることができた。これからのツアーも、人との繋がりを大切にしながら、楽しんでやっていきたい。
・2003年秋の本州ツアー 10月30日〜11月9日 NEW!!
2003年秋も、10月30日〜11月9日まで、本州のあちこちでライブをやりました。おかげさまで、このツアーは過去最高の盛り上がりでした。お世話になった方々、そしてお越しいただいたお客様に、改めて感謝いたします。なお、この記事は、メールマガジン(『ライブ・ラギング8〜10』)に連載した「秋の本州ツアーの想い出」にちょっとずつ加筆したものです。
1.10月30日(木)横浜・KING’S BAR(Alexei Rumiantsev のライブに飛び入り) NEW!!
この日は、羽田空港から横浜まで直行。
時間があったので、練習の意味を込めて、みなとみらい地区(なんでひらがななんだ?)のとある場所でストリート演奏。アンプもないし、場所や時間などの勝手も全然わからなくて、ほとんどだれも聞いてくれませんでした。投げ銭活動としては完全な失敗でしたが、雄大なビルや観覧車を眺めながら、歴史ある港町でギターを弾くのはとても晴れやかな気分で、自分が芯からのストリート・ギタリストであることを再認識しました。続きまして、今話題のロシア人ラグタイム・ピアニスト、Alexei さん率いるトリオのライブが横浜でありました。もう心ゆくまで堪能しました。彼は、ジェリー・ロール・モートンのスタイルで、端正かつ軽快なラグやスイングを聴かせてくれる、素晴らしいピアニストです。奥さんの裕美さんのヴォーカル、寺島さんのコルネットも素晴らしく、もうずっと聴いていたい気分でした。光栄にも、数曲(メイプル・リーフ・ラグなど)私もギターで共演させていただき、夢のようなひとときでした。
当のライブは、あのSketchさんも一緒に鑑賞しました。これ以上ないくらい理想的なツアーの始まりです。
その後、Sketchさんと来たる11/3のライブの打ち合わせ。有意義な時間。
この日の泊まりはカプセルホテルというつもりでしたが、慣れない町のためどこにあるのかわからず、地元であるSketchさんがだいたいの場所に連れていってくれました。Sketchさんと別れ、カプセルに入ると、これまでの決して短くないカプセルホテル体験の中で初めて、横から入るカプセルであることを発見。蜂の巣というより、人間魚雷状態でした。
2.10月31日(金)東京・中野教会(with 飯泉昌宏) NEW!!
途中、TABのオフィスに寄って打田さんたちにご挨拶。毎度様です。
その後、道に迷いながら何とか中野教会へたどり着きました。
そこに、今回お世話になる飯泉さんご夫妻がいらっしゃいました。飯泉昌宏さんは日本のタンゴギターの俊英(「過去の共演者ご紹介」参照のこと)。リハを聴いているだけで圧倒される、密度の濃い音楽。特に初期のタンゴは、一般に思われているようなステレオタイプのものではなく、より自由な表現の幅を持っていることを再発見しました。また、飯泉さんの叙情的なオリジナル曲の数々にも感動しました。ラグとタンゴ、そしてクラシックの近親関係を検証する、歴史的にも希なライブだったと思います。なお最近(2004年)、飯泉さん初のギターソロアルバム『タンゴとギター』が発表されましたので、もっと多くの人に評価されてほしいです。
場所的にも、私としては初めて教会で演奏する機会をいただけて光栄でした。ゴスペルの「ジャスト・ア・クローサー・ウォーク」をやるととても似合う、厳かな残響が印象的でした。
最後に共演いただいたカントリーの曲では、私が珍しく弦を切るほどの熱演!
また機会があれば是非ご一緒したいです。
さて、この日は、翌日の共演者である北村さんのお家にご厄介になりました。同じラグタイマー同士、アルバム談義に花が咲きまくりました。(以後、加筆予定)
3.11月1日(土)千葉 新柏・キッチンパタータ(with 北村昌陽)
北村さんとはこれで二度目の共演。同じラグタイマーでも、北村さんはストリング系のノリを重視した、からっと明るいプレイで楽しませてくれる、日本には希な本格的ラグタイム・ギター奏者です。最初は柏の新星堂前でのインストア・ライブ。お客様の目が心地よい。やはり見られると投げ銭魂が燃えてきます。続いて新柏のレストラン、キッチンパタータでの演奏。ここはお料理がまたおいしいのです。戦うオヤジの応援団の山下さんはじめ、多くの皆さんのご支援を受け、今年も素晴らしいライブになりました。終演後は誰からともなくナツメロ大会になってしまい、陽水とジョン・デンバーの曲に涙しました。
4.11月2日(日)東京 国分寺・クラスタ(with 覆面シンガー)
クラスタさんは、ギター・ファンにはもうおなじみのお店。私も既に三回目の出演です。お店に置いてあるギター関連のCDを何枚も購入。基本的にこの日はソロで、やはり『赤岩組曲』の曲を中心に弾きまくりました。今回共演(?)してくれた私の一心同体のような友人・覆面クンは、東京での初ライブにしておそらく最後のライブ。恥ずかしかったのかちょっとしか唄いませんでしたが、その歌を聴けた人はラッキーでした。
5.11月3日(月)横浜・ヤマハ横浜店3階サロン(with Sketch)
何と初めての横浜でのライブ。Sketch さんのご尽力により、ヤマハでのジョイント・ライブが実現しました。私は学生時代からヤマハのギターを愛用しているので、とても光栄でした。録音スタジオのようなライブ会場。知り合いのギタリスト・荒谷みつる君もお世話になっている Studio migmig さんが、もの凄い機材でライブ録音をするという、なかなかスリリングな状況。Sketch さんも私もテンションに満ちた演奏で、かなりイケてたと思います。終演後は、CDが飛ぶように売れてホクホク。お忙しい中ライブ鑑賞してくれた打田さんや南澤君たちを交えて、大カツ定食パーティー。心もおなかも懐も満ち足りた一日でした。
前回春のツアーでは、過密日程がたたって病気になったという事がありましたが、今回のツアーも休みはこの一日だけ。反省がまるでナシ...。移動日は、いつもお世話になっている長野県の前澤君の家へ。新宿から高速バスで高遠という所まで行くのですが、5時間くらいかかります。高速バスファンの私は、いつもこの旅程が楽しみなのです。やっと着いたら既に夜の11時を回っています。前澤君も亀工房のツアーから戻ってきたばかりだったのですが、私を暖かく迎えてくれて、いつも感謝に耐えません。
7.11月5日(水)長野 飯田・ふぉの(with 野田悟朗)
その前澤君の車に乗せてもらって、飯田市のライブハウス「ふぉの」さんに行きました。ここでのライブは二度目で、一度目は前澤君とのジョイントでしたが、今回は初めてお会いする三重県の即興ギタリスト・野田悟朗さんとのジョイントです。野田さんとはメールでのやりとりは何度かありましたが、実際にお会いすると一般人とどことなく違うオーラを感じました。実におおらかな人柄と、イマジネイティブで微細な表現力のある演奏のギャップがまた面白く、私は野田さんというアーティストに魅せられたのです。その後、お世話になった方たちと共に宴会。お開き後、野田さんと二人でなかなかユニークな場所で一泊。さてその場所とは...
目覚めるとあれっ? 目の前に天井が。野田悟朗さんが連れてきてくれた宿泊場所は、とある山の上にあるライブハウスに隣接した、小さなロッジだったのです。野田さんが寝袋を貸してくれました。アウトドア派とは言いがたい私にはなかなか無い体験で、とても面白かったです。
その後、野田さんや、ふぉのでお世話になった皆さんに別れを告げて、高速バスで名古屋へ。いつもの安ホテルに転がり込み、その後、地下鉄終点・藤が丘の「ウエスト・ダーツ・クラブ」へ。日本ラグタイム・クラブの室町さんや青木さんとお会いできるこの機会を、いつも楽しみにしています。何と運河で投げ銭を入れてくれた方も思いがけず来ていただき、感動しながら演奏したのでした。このお店の雰囲気は、まさにラグタイムにピッタリ。
奈良のライブははじめて。行くのも高校の修学旅行以来だったと思います。ゆっくり一駅一駅進む電車が心地よい。ネットではなかなかいいホテルを探せず、大和高田に着いてから宿を探すという、スリリングなこともしました。路地裏を歩くだけで気分はタイムスリップ。SCAR FACE は、名前はいかつい感じがしますが、歴史ある商店街の並びにあり、古い本屋さんを改装した、とても暖かい雰囲気のお店でした。以前、大阪のミノヤホールでご一緒したブルースマンの朱華さんも出演しているそうで、こういうニアミスもライブツアーならではです。アイヌ語ペンクラブでお世話になっている平石さんなども、お忙しい中来ていただき、楽しい雰囲気の中、良いライブができたと思います。
10.11月8日(土)大阪 摂津市・カフェテラス讃(with ROOTS)
今日は関西方面のメイン・イベント、アイリッシュ・デュオのROOTSさんとのジョイント・ライブです。まずホテルをイエローページで探すと、信じがたいことに「一泊2500円」の文字が。チェックインして「得したな!」と思っていると、このホテルの周辺で「一泊2300円」「2000円」などの看板にビックリ。どうなってるんだ。実はこの近辺(地下鉄「天王寺動物園」下車)、労働者のための低予算ホテルが集中していたのです。大阪に用事のある方は、まずチェックして損はありませんぞ。その後思いがけず時間が空いたので、ちょうど吹田で開かれていたアコースティック・ギター・ファンフェアを見に行きました。花田さん、いろいろありがとう!
そして今日のお店「カフェテラス讃」。まさにイタリアの小粋なカフェテラスを彷彿とさせる、素晴らしいお店でした。ここで、ギターの天満さんと井上楽器の井上さんに再会。いつもお世話になっています。バイオリンの平野さんと天満さんの演奏をライブで初めて見て、その優雅な音楽に浸りました。入りきらないほど大勢のお客様にお越しいただき、本当に感謝感激でした。井上さんの監修で、サウンドもバッチリ。私も安心して思う存分弾きまくりました。終わった後の打ち上げがあまりにも盛り上がり、せっかくチェックインしたホテルまでたどり着けず、梅田のカプセルホテルに直行しました。トホホ、結局またカプセルか!
11.11月9日(日)三重 津市・異時輪摩(with 野田悟朗)
名古屋から奈良、大阪と来た阪急線を戻り、長い道のりをかけて津へ。三重県でのライブももちろん初めて。今日がツアーの最終日で、長野「ふぉの」に続き野田悟朗さんとのジョイント・ライブでした。異時輪摩(イジリンマと読みます)さんは夜の雰囲気に溢れた素敵なジャズ・バー。本州ツアーでは初めて「投げ銭方式」でのライブでしたが、これは野田さんとすっかり意気投合してしまった私にとっても望むところ。野田さんとの共演曲の即興演奏も、スリリングでとても面白かったです。私もこれからは、即興をどんどん取り入れていきたいと思います。
またも打ち上げですっかり遅くなり、「じゃあ、健康ランドでも行こか」と、夜の二時くらいに二人でサウナの休憩室へ。ひ、広い...何でこんなに広いんだ。これならぐっすり眠れます。このツアー、最後まで何が起こるかわからない旅でした。
(追加執筆予定)