2.フィールズ The Fields

 

Fields F−Cutaway(現在無し)

表面板:ドイツ松単板
側板:カーリーメイプル単板
背面板:カーリーメイプル単板(左右)とハカランダ単板(中)の3ピース
指板:エボニー
ネック:マホガニー(1本)
その他:ラウンド型のカッタウェイ
 
使用アルバム:「ラグタイム・シサム」「猫座のラグタイマー」「月影行進曲」「ラグタイム・ギター」「海猫飛翔曲」「歌棄の歌」「オリオン」「プレイズ・ロベルト・クレメンテ」「太陽の音楽」「Echoes From Otarunay Vol.1」「Echoes From Otarunay Vol.2
 
 私が買ったギターの中で、もっとも高価な日本製手工ギターです。とにかく材料から作りから音から全て最高の、まさに手工ギターという傑作です。しかし、ある時、友達から「白いギター」と言われて大笑いしました。そりゃないだろ!
 このギターは、私が大学4年の頃、神戸のヒロコーポレーションという有名なお店で買いました。なぜ神戸まで行ったかというと、これにはいろいろと思い出深い話があります。まさにギター列伝です。

(写真左:会社員時代の頃。多分今より白かったかも。)
(写真右:1992年の『ラグタイム・ギター』ジャケット写真。)

 私は、当時一部で流行していたフィンガースタイルギターブームに乗っていました。京都のレコード店・プー横町などからギター関連のレコードを買いあさり、大学でもその手の音楽が好きな先輩と交流したりしていました。そんなとき、大阪に「弦と指」というフィンガースタイルギターの同好会があることをプー横町のカタログで知り、さっそく参加させてもらうことにしました。そこでの交流から、「ぜひ実際に大阪に行って直接会いたい」という熱意が私を初めてのフェリーの旅へと駆り立て、舞鶴から大阪へと長い道のりを経て、私は会員のみなさんに直接お会いしたのです。
 当時のメンバーは吹田さん、八木さん、古川さん、そしてアコースティック・ギタリストとしてソロアルバムも発表している安田守彦さんでした。私は歓迎を受け、好きな音楽の話で盛り上がり、かなりハイになっていました。
 
 「実はいいギターを探してるんですが...」
 
 「じゃあヒロに行ってみようか」
 
 実はその時私は、トリプルオータイプのギターにあこがれを抱いていたので、本当は中古の安いトリプルオーを買う予定だったのですが、ヒロコーポレーションのマスターはギターへの情熱がとても熱い人で、私もつい引き込まれていきました。そして、ヒロから出たときには、私の手にはしっかりとフィールズF−Cutawayが握られていました。その後のギターがほとんど全て中古で購入した物なのに比べて、このギターだけは新品での購入でした。某有名ギタリストもこれを所有していたことが決め手となったことを、私は素直に白状しましょう。(のちにその人が同モデルを手放したと知り、ひそかに今でも恨んでいる...?)。
 
 学生だった私にはとても手が出せない価格(当時55万)だったので、5年間のローン計画と相成りました。男の60回。この買い物は、私の人生の中でも最大の買い物の一つでした。
 北海道からやってきた初対面の学生に、いきなりこんなローンを組ませるなんて、一般常識で考えればちょっと「アコギ」な商売にも思えるのですが、結果的にこのギターは、それまでの(大学入って一流企業に就職して一生を終わるという)それこそ常識的な私の人生を、型破りで自発的で楽しい方向に変えることになりました。
 少し見方を変えれば、就職前からローンを抱えることにより、少なくとも5年間は会社を辞めることができなくなったので、開き直って仕事に打ち込むための理由にもなりました。
 
 最近、巷ではこれより高いギターはいくらでもありますが、このギターに対する私の中での価値はあまりに高すぎて、外に持っていくようなことはなかなかできません。埼玉から札幌への引っ越しの時にも、これだけは自分が担いでいったくらいです。
 
(写真、フィールズ購入後すぐに撮られた、学生時代の歴史的な写真。)
 
 
 
 CD『海猫飛翔曲』(1995)の後、録音ではあまり使わなくなり、ストリート・ミュージシャンとして外でギターを弾くことが多い私は、これに傷を付けたら大変などと考えてしまい、いつからか弾きやすいヤマハの方をメインに使うことになっていきました。しかし、その後のCD『オリオン』(2001)では、久しぶりにメイン・ギターとして活躍。情けない話、数年間全然弾いていなかったのですが、試しの段階で弾き込んでみると自分の想像以上に骨太くいい音だったので、急遽メインの使用となりました。
 特に「勝納ラグ」(1996)はもともとカッタウェイが前提になっていて、このギターが念頭に置かれていました。少々硬質な音色からも、かっちりしたクラシック・ラグにどうやら向いているようで、過去の例でも「ラグタイム・ミーティング」(CD『海猫飛翔曲』収録)などでその実力を発揮しています。いいギターも、常に鳴らしてないと音が良くなくなるという先入観がありますが、常時弾く・弾かないに関わらず、いつでもこのギターは存在感のある音を出してくれました。
 
 その後、『プレイズ・ロベルト・クレメンテ』(2005)、そして最新作『太陽の音楽』(2007)でも数曲の録音に使用しました。ヤマハS−51と比較すると若干抜けが悪く、ただしその分荒々しい生っぽさがありました。ミキシングではEQ調整に少し苦労しましたが、やはり愛すべき個性的な音です。実はこのギターでストロークもやってみたのですが、各弦の分離が良すぎて、マーチンでおなじみの「コードの塊」の感じがうまく出ず、ばらけてしまいます。
 言うまでもないかも知れませんが、このギターは完全にフィンガースタイルに特化しているといえるでしょう。

 

 
追記(2008-4-6): 友人のギタリスト・伊藤賢一くん目当てで購入した2008年の「アコースティック・ギター・マガジン35」(リットーミュージック刊)に、最近復活したという新生フィールズのことが取り上げられていて、思いがけない喜びと懐かしさとともに拝読しました。その中で、私のものも含めた初期のフィールズ・ギター(岡山の工房で製作)は、1979〜97年までの期間に40本弱しか生産されていなかったという意外な事実も知りました。

 また、私のギターの形は、現行モデルでいうとFというよりOMに近いものであることもわかりました。
 理由はよくわかりませんが、確かに当時は「Fields F-Cutaway」と言われていたのです。
 私も今までずっと「Fields F-Cutaway」と言ってきたので、いまさら「Fields OM-Cutaway」とは言いにくいかも...
 
 参考のために、追加で写真を載せてみます。

 

追記(2016-10-4) NEW!! つい先日、私が所有してきたギターの中でもっとも古い付き合い(1987年に購入)だった、このギターを手放しました。

このページに記してきた通り、クラシック・ラグの録音に適した野太く硬質な音が特徴で、今までたくさんのアルバムの録音に使用してきました。しかし、貧乏学生〜新入社員の頃に5年ローンでやっと手に入れた経緯もあって、なるべく大事に弾かなければという思いが強すぎて、あまり外に持ち歩くことがなく、さらにプロになってからは使い勝手のいいヤマハS-51やマスターOMがメインギターになりました。
いつまでもこの状態でいるよりは、自分が今弾きたいギターを手に入れるために手放した方が良いと判断して、ご希望の方にお譲りしたのでした。

使用頻度はやはりヤマハやマスターの方が多かったのですが、このギターの音はもちろん好きでした。このギターを買ったおかげで、支払いに追われる会社員生活を怠けずに死に物狂いで頑張れました。そして、こんな高いギターを持っていて恥ずかしくない音楽性を身につけるべく頑張り、ひいては結果的にプロになれました。また、経済が苦しい時も「最後にはこのギターがある」と思って心強くなれました。今思えば、私のほんの小さなプライドの一つでもありました。

Fields、ありがとう(^-^)/!

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