新・私のアイヌ語地名解(2024年6月7日更新)

(元の
「私のアイヌ語地名解」は、2002年7月17日更新)

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目次

  私のアイヌ語地名解

 北海道小樽市「於古発(おこばち)川」について NEW!!

 

 

 私のアイヌ語地名解

 「私のアイヌ語地名解」は、アイヌ語地名好きな北海道小樽市出身の私(浜田隆史)が、アイヌ語勉強中だった1994〜96年くらいまでに頭に入っていたアイヌ語の知識と、故郷・小樽で生活していたなんとなくの実感の元に、勉強ノートまたは備忘録のつもりで執筆していたものです。
 アイヌ語関連ページで何度か記していた通り、私は小樽商科大学出身で、言語学や民俗学を勉強したわけでもなく、アイヌ語も地名研究も単なる好事家の趣味の域を出ないものです。しかし、アイヌ語や民俗学のプロですらわからない地名の謎は、幸か不幸かこの世の中にはいっぱいあるものですから、自分なりに考えて案を出してみるくらいはやる意味があるものだと信じて、人の目をあまり気にせず面白がって書き連ねていきました。

 その後、幸いにも本業(ギタリスト)が忙しくなり、なかなか地名解のページを更新できないまま、気が付いたら恐ろしいほどの年月が経っていました。なんと、前回更新(2002年)からほったらかしにして、22年間が経過していたとは!
 というか、ふと気が付いたらレイアウトもなにもかも時代遅れで、見づらくてすみません...。

 本来は、自分が出した古い説を常に新しく更新して世に問うべきものなのでしょう。実際に、現代の学問とは間違いの許されないものですから、訂正情報は常に求められています。間違いは急いで消すべきなのでしょう。しかし、私は前回の「私のアイヌ語地名解」に最終更新日以降の訂正を加えることなく、ここに「新・私のアイヌ語地名解」を追加することにしました。

 このウェブサイトというものは、恐ろしく資料性というか証拠能力の乏しいもので、その点では印刷媒体の足元にも及びません。間違いを簡単に修正してしまうことによって、その人の最初の考えがどうだったか、どんなミスを犯したのか、どういう思考方法で新しい結論にたどり着いたのかということをすっかりわからなくしてしまい、まるで最初から何もかもお見通しだったようにふるまえるのです。

 でも、世の中の全てのことは、正しいのかも、というだけではイマイチ参考になりません。特に、異論がたくさんあって定説がないことが多く、一つの資料の発見によって簡単に説の信ぴょう性が変わってしまうアイヌ語地名解については、これは必ずしも良い執筆態度には思われません。古い考えは、間違いも含めて後ろに残して、新しい考えは古い考えを参考にしながら、その先に加えていくことが正しいやり方と思えます。
 以前は見ることのかなわなかった多くの人々のご意見やウェブサイト、新たな資料も参考にしながら、また故郷・小樽について少しずつ楽しい文章が書けたら、私の取るに足らないほど拙かった興味は、もう少しだけ意味を深めていくことになるのです。

 手始めに、先日Facebookに書いた「オコバチ川」の新しい地名解を、次回の更新時に少しずつ記していきたいと思います。

 

・北海道小樽市「於古発(おこばち)川」について(2024) NEW!!

小樽運河でのストリート演奏を生業の一つにしている私は、天気が良ければ仕事という、いわゆるお天気商売です。
2024年5月17日。雨が降るという予報がイマイチ空振りでしたが、思い切って休んで小銭の貯金。ついでにお散歩。久しぶりに博信堂(小樽の古本屋)まで足を伸ばし、ナターシャセブンのLPを買いました。

順番は前後しますが、何を気が向いたものか、オコバチ(於古発)川の支流で、小樽商科大学の地獄坂脇からずっと流れている川(おそらくポンオコバチ川)の合流地点がずっと前から今ひとつ不明瞭だったので、散歩のついでに確認しました。想像していたより上流側で、緑会館や理容ささきさんを横目に下った坂道の下にマンホールがあり、大きな水の音がしていました。オコバチとポンオコバチがそのマンホールの先で合流した後も、何か川の流れというか分かれがあるようで、それが再び妙見市場の上あたりで合流するという、なかなかややこしい流れ方をしています。

明治時代の「実測小樽明細図」などには、ほんの一時だけ左右に分かれるオコバチ川の姿が記録されていて、私の上記の観察を裏付けています。この側には、現在「小樽市菅工事業協同組合」のビルなどがあり、ひょっとしたら川の暗渠化に関わられているのかもしれません。もう少し細かい裏付けが必要です。
(市立小樽図書館の古地図データから引用)
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さて、『西蝦夷日誌』のオコバチ川支流の記述では、

「川筋少し上にポンヲコバチ(右小川)、ベネタ(左川)、其源シユマサン岳より来る」

と書かれています。ポンヲコバチは「pon-OKOBACI 小さい・オコバチ川」でしょう。川筋を登っていくと右側が商大方向ですから、ポンオコバチがこの川であることは間違いないでしょう。「右小川」と書かれたポンオコバチに対して、ベネタが単に「左川」となっているのは、いわばオコバチ川の本流と思われます。
このベネタは、ちょっと首をひねるような言葉です。最初、私には、地名としては意外な言葉ですが「peni ta 川上・に」としか解釈できませんでした。オコバチ川は、ポンオコバチとの合流地点を過ぎて、さらに緑小学校、洗心橋、天狗山の方向をずっと登っていくわけですが、川の名前というにはあまりに説明的です。実際、東西蝦夷山川取調図では、この「ベネタ」という川名は載っていません。

ところが、この原稿を書きながらさらに考えてみると、以下の地名解を思いつきました。
「ペニタッ pen-nitat 上の・木原」
アイヌ語の音韻変化としては、音韻脱落(n-n で、nが一つ消える)が起きて「ペニタッ」という発音になることが考えられます。ベネタとペニタッ、このくらいであれば、和人による聞き取りエラーを考えてもよさそうです。アイヌ語の日本語訳の通り、これは川ではなく、オコバチ川に沿って、図書館、小樽裁判所、体育館、旧緑小学校の各所へと続く「雑木原」を指した言葉だと思いました。
「nitat」は、沙流方言の辞書にはもっぱら「谷地、湿地」の意味で載っていますが、十勝本別の澤井トメノさんの言葉では「(川の近くにある)平地、木原」を指したようで、特に湿地でなくても使うようなのです。そもそも川を直接指した言葉ではないのですが、川と深い関係のある言葉であることは間違いありません。

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一度火がつくとどんどん没入する私。久しぶりにこの「オコバチ」のアイヌ語地名解に関して調べてみようと思い立ち、ネット情報を検索しました。すると、以前からたまに拝読していた銭函トレッキングさんの以下のノート[*]で、興味深い記述を発見しました。
私のような者の以前の地名解も参考にしていただき恐縮至極ですが、ここで新たに「ウクハチシ」という語形が登場しました。

[*]銭函トレッキングさんのノート
https://note.com/zenibako_trek/n/n069c227b0dd9

オコバチの名前の元は「ウクハチシ」で、(小樽の歴史愛好家にとって有名な)「立岩」のアイヌ語名だったのではという説です。
私にとってはまさに目から鱗でした。以前書いた通り、このオコバチという語の中には、川を匂わせるようなはっきりした言葉がありません。川の名前でなく、立岩が固有名詞化して川に適用されたとすれば、「私のアイヌ語地名解」の「フゴッペ」が、岬の名が固有名詞化して川に適用された例と似ていることになります。

それにしても、もしこれが本当だとすれば、なぜこのように全く川に関係ない固有名詞を川名に応用するのでしょう。アイヌ語地名に詳しい人ならご存知の通り、このような例はたくさんあります。しかし面白いことに、

sa-kus-KOTONI(前の方を通る琴似)
pon-HARUUSI(小さい張碓)
si-SORAPCI(大きな空知)

のように、特にnayとかpet(川)という語を後ろにつけずに、固有名詞のままで川を表している例が実に多いです。これは、支流名の形成にはとても便利だと思いますが、それにしても川名が固有名詞である事がこんなに多い事の説明にはやや弱いです。
もしこれが山や岬などなら、例えば

MOYORO-etu(モヨロ岬)
NISEKOAN-nupuri(ニセコアン山(元は川名だったniseykoan-pet))
杜満射岳(北海道実測切図にトマムシヤウンヌプリとあるそうで、TOMAM-sa-un-nupuri「トマムの前に入る山」の意でしょう)[**]

のように、固有名詞単独で表すのではなく、山や岬などを表す普通名詞を説明的に加える事が多いような気がします。

[**]参考ウェブサイト
https://amaimonoko.at-ninja.jp/h-mtdata/hoka/sanmeko/sanmeko-yubari.htm

アイヌ語地名の固有名詞化については、「アイヌ語地名文法の部屋」でちょっとだけ書いた事がありましたが、川だけがどうしてこんなに特別扱いなのかは説明できていません。まだまだその出現パターンや実例には分析が必要だと思います。

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さて、「ウクハチシ」が立岩を指す地名だったという説の確からしさを探るためには、今は無き「立岩」の他の記述や写真はどんな感じだったのか、そしてそのアイヌ語地名の実際はどうだったのか、できる限り資料を調べる必要があります。
しかし私の好きな資料である『西蝦夷日誌』の記述は全くなく、ただ「ウコバチ[大鉢(おこばち)](人家多し)、此處まで平地、其之上畑によろし(川有、幅五六間)」と記しているのみ。『データベースアイヌ語地名1』にも、立岩に注目した記述はありません。立岩を目印に「オタルナイ場所」と「タカシマ場所」の境界ができたというのであれば、もう少し何か書いてくれてもいいような気がするのですが...

銭函トレッキングさんのノートには、そんな私の疑問を晴らしてくれるような、いくつかの資料、そして絵図や写真が紹介されていて、少なくとも「ウクハチシ」が立岩を指す地名だったという線で地名解を検討するには十分だと思われます。

オコバチ、ウクハチシに似た地名は道内各所にはないのか調べてみると、以下の例がありました。
松浦武四郎の『西蝦夷日誌』によると、太田(現在のせたな町)にある尾花岬近辺の岩崖に「ホーネヲコバツセ」と「ホロヲコバツセ」という地名がついていて、「オコバチ」との近似が注目されます。それぞれ「po-ne-OKOBASSE 子供の方のオコバツセ」「poro-OKOBASSE 大きい(親の方の)オコバツセ」という名でしょう。

一つわからないことがあるとすれば、「チ cis 岩」の訛り方です。小樽の赤岩は「フレチ」と明らかにチという発音です。強いて言えば、ヲコバツセの「ツセ」に「チ」が転訛した可能性を考えられます。
この見方がもし正しければ、銭函トレッキングさんの「オコバチは岩」説を援護することになるでしょう。

ただし、銭函トレッキングさんのアイヌ語解釈「o-ukot-pa-chis(互いにくっつく・立岩)」には、今少し検討の余地があると思います。私が「私のアイヌ語地名解」のオコバチの解で「oukotpa 川尻が互いにくっついている」と解釈したのはあくまで解釈で、そもそも地名の解釈に動詞の複数形成を表す「pa」が出てきていいのかというと、今の私の考えではちょっと疑問があります。また、川の合流地点であれば地名の命名意義はそれなりにあると思いますが、海中の岩群であれば底でくっついているのは当たり前で、この岩をそのように命名した理由が今ひとつわかりません。

「ウクハチシ」を原点と見て、昔の立岩の様子から解釈して、以下にいくつかの解を作った順に挙げてみます。

案(1):「ウコパチシ u-kopa-cis 互い・〜を取り違える・岩」(どっちがどっちかよくわからない岩)

千歳辞典にある「kopa 〜と間違える」という2項動詞を使ってこのように解釈しました。こうすると、尾花岬の「pone 子供の方の」「poro 大きい(親の方の)」という言い方が生きてきます。どっちかわからないものを区別するためには、大きさの比較が一番わかりやすいからです。
その線で検討してみると、しかし以下の結果になりました。
「kopa 〜を〜と間違える」は、千歳辞典と田村辞典に載っていますが、千歳辞典では2項動詞(他動詞)、田村辞典では複他動詞(3項動詞)となっています。久保寺辞典と千歳辞典の分析では「sikopayar 〜のようである」という2項動詞の構成要素として見られていますが、もしそれが正しいとすれば「si-kopa-yar 自分・〜を〜と間違える・してもらう(動詞の取る項数を変えない接尾辞)」となるでしょうから、本来は田村辞典の「kopaは3項動詞」という分析が正しいと思われます。
そうすると、この案は動詞の取る項数と実際の名詞の数が合わないので、解釈不可能ということになります。

案(2):「ウクパチシ u-kupa-cis みんな・を噛む・岩」

「ウクハチシ」の語形をほとんどひねらずにストレートに考えると、この解釈になりました。
さてここでアイヌ語の勉強の時間。アイヌ語の「u」という名詞的接頭辞には、「互い(両方)」と訳せる場合(A)と、「みんな(全員)」と訳せる場合(B)があります。同じ言葉でどういうわけか両立するこの二つの訳は、アイヌ語としては同じ感覚なのでしょうが、日本語世界に生きる私たちから見ると少しニュアンスが異なる感覚です。例えば以下のような例があります。

「u-kasuy 互い・を助ける=助け合う」(A)
「u-e-tusmak 互い・に・先を越す=競争する」(A)
「u-ko-apkas 両方・に・歩く=往来する」(A)
「u-hopunpa-re 全員・立ち上がる・させる=みんな一斉に立ち上がる」(B)
「u-respa みんな・を育てる=子育てする、みんなが育つ」(B)
[「育て合う」という訳がされるときもありますが、実際は子育てが順調なことを表す場合に使われることが多いです。]
「u-ko-korewen みんな・で・につらく当たる=(一人の者)をよってたかっていじめる」(B)

アイヌ語の動詞は人称変化をするため、主語が誰であるかを定義することはとても簡単かつ重要なのですが、上の動詞はだいたい主語が複数です。それが双方向に行われる行為なのか、全員で一斉に行なわれる行為なのかは、前後の文脈で判断する形になります。私は、このBの視点で地名解を考えました。

では、岩が誰にかみつくのでしょう。
私は、この「みんな」というのは人間ではなくて、なのではないかと思いました。
銭函トレッキングさんのノートに紹介されている「北海道歴検図 後志州(下之上)」や「小樽港立岩遠望」を見ると、海中の岩は大なり小なり複数確認できます。まるで歯のようです。大きい岩が目印だったという側面は当然あったでしょうが、それよりも岩への衝突や座礁を避けなければいけないという、交通上の理由があったとすれば、地名としての命名には意義があったと思うのです。「おいみんな、この近辺に舟を寄せるときにはちょっと注意しろ」くらいの意味だったのではないでしょうか。

まだ疑問点、書き足りない点、調べなければいけない宿題がいっぱいありますが、今のところの私の考えを書いてみました。

(2024-06-07)

 

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